一過性の支援ではなく、その地に長くつながっていく支援が必要。未曾有の震災から10年、休むことなく通った東北の地への豊田章男の想いとは。
いくつかの世論調査によると、被災地の若年層では10年前に起こった未曾有の大震災の記憶の風化を感じるという答えが5割を超えるそうだ。
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2011年の3月末、ようやく高速道路が通行できるようになったその日、豊田章男は東北にいた。当時の心境を「何もできない無力さを感じていた」と振り返る。
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震災で失ったものは、形あるものだけではない。かけがえのない家族、友人、大切な想い出もある。今でも、目を閉じると、あの日の光景が目に浮かび、忘れたくても、忘れることができない人たちもたくさんいる。
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「被災していない自分は、そんな人たちの本当の気持ちを理解することはできないかもしれない。それでも、震災を忘れることなく、被災者の心に少しでも寄り添いたいと思い続けることはできるはずだ」
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そのためには、一過性の支援ではなく、その地に長くつながっていく支援が必要だと考えた。導いた答えは、クルマづくりを通じて、雇用を生み、利益を出し、税金を納めること。それがその地域の復興の糧になる。実業で一緒に闘っていくことこそ、やるべきことと判断した。
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当時、自動車産業は成熟産業と言われ、期待をされていなかった上に、6重苦と言われた時代。特に為替は 超円高。普通に考えれば、日本でモノづくりをすることの経済的合理性はなかったはずだ。
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「そんな中、東北の人たちだけは違いました。自動車産業に期待し、私たちを復興のど真ん中に置いてくださいました。私たちも、何としても復興の力になりたいと思いました」
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あれから10年、東北に勤務するトヨタ自動車東日本の従業員数は3,100人(2010年)から4,500人(2019年)に、出荷額は、300億円(2011年)から8,000億円(2019年)に拡大(3社統合による拡大も含む)し、この地でも生産されているヤリスは欧州カーオブザイヤー2021を獲得した。今や自動車の電動化の最前線でもある。
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記憶の風化は進んでも、支援と貢献の活動は止めるわけにはいかない。むしろ東北を希望と未来の場とするべく、豊田章男はあの日から10年間、東北を訪れ続けている。「忘れないでいる」ため、未来への期待を込めて。