幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。ついに最終回では、組み立て、試走、完成、ミュージアムへの展示までの経緯と苦労について。
2020年11月19日に豊田市本社でのキックオフ会議から始まった「トヨペット・レーサー」復元プロジェクト。約70年前の幻のレースカーをゼロから復元するという前代未聞の挑戦の足跡を辿ってきたこの連載もついに最終回。
前半では、各チームが製作した部品を集めての組み立て、さらに試走、完成、ミュージアムへの展示に至るまでの経緯と苦労について、若き3人のプロジェクトリーダーに振り返ってもらう。
最高速度の限界に挑むのか?
担当する部分ごとに、5つのチームに分かれたプロジェクトメンバーたち。彼らは社内外からの協力を得て、週1回の定期作業に加えて、それ以外の日も仕事の合間を縫って作業に取り組んだ。復元のための部品づくりが進み、これを組み合わせる「組み付け作業」が目前に迫っていた。
だがこの「組み付け作業」の前にプロジェクトチーム内では、15人のメンバーはもちろん、後見役である「兄貴」や「おやじ」たちを含めて、ひとつの確認作業と新たな議論が起きていた。
確認していたのは「走行に必要な強度が十分にあるか」ということ。そして新たな議論とは「強度が確認できたら、最高速の限界に挑戦するかどうか」だった。
この強度と最高速への挑戦に関する議論の中身はどのようなものだったのか。リーダーの3人に振り返ってもらおう。
フロントアクスル、ステアリング関連、さらにプロジェクト全体のリーダーを務めたMS電子システム設計部(当時)の三木嶺早は語る。
三木
本来の車両開発では、強度や信頼性などの目標値をあらかじめ設定してから、部品の設計や製作を行います。しかしこのプロジェクトでは、当時の図面通りに製作した部品も少なくありませんでした。
そのため、組み付けと走行テストに当たって、安全のため各部品にどのくらいの強度と信頼性があるのかを確認する必要がありました。確認できたところでようやく走行が可能になります。
まずは、製作した部品の強度や信頼性をきちんと計算して、安全性を確認してから組み付けや走行テストを行う。それから「最高速に挑戦するか」を決めよう、という話になりました。
各チームは、担当したパートの全体や部品の設計に「確かな強度があるか」を計算して確認することにした。なかでも強度の計算と確認を念入りに行なったのがボデー&フレームを担当したチームだ。
このチームのリーダーで、フレーム、ボデー外板やシート、ドライビングポジションの設計・製造を担当したボデー開発部の渡部真史は語る。
渡部
ボデーは安全上、非常に大切な部分です。もし走行中に壊れたら間違いなく大事故につながります。
そこでボデー関係の強度計算では、生産車と同じようにCAE(Computer Aided Engineering)解析を行うことにしました。
議論の末、時速100キロを目指すことに
走行しても安全な強度や信頼性があるかを確認すること。最高速に挑戦すること。この二つは別の問題だ。
3人は当初から、このマシンでどこまでスピードが出るか、限界走行でぜひ最高速に挑戦したいと考えていた。そこで目標となったのが時速100キロだった。
サスペンションなどの足回り部品や電装部品を担当するチームでリーダーを務め、またプロジェクトチームで唯一、社内の上級試験車運転資格を持つことからテストドライバーも務めた、制御電子プラットフォーム開発部の杉本大地はこの間の経緯を次のように振り返る。
杉本
残された記録の中には「最高時速150キロを出した」という記述もありました。
最高速の前提となるエンジン出力、トランスミッションのギア比やタイヤ外径など、当時の図面や今ある性能データを鑑みると、「最高時速150キロまでは出ないだろう」というのがみんなの見解でした。計算した結果も最高時速約100キロだったのです。
ただ、時速100キロまで出せるなら、そこまで出せるかどうか、ぜひ挑戦したいと思っていました。
三木
強度、耐久性を計算した結果、マシンは時速100キロを出しても大丈夫なことが分かりました。でも、実際にどこまでスピードを出すのか? これはまた別の問題です。
メンバーや兄貴、おやじたちの議論はスピードを「時速100キロに挑む派」と「挑まない派」の真っ二つに分かれました。
私は「挑む派」でしたが、「挑まない派」の主張にも説得力がありました。そもそも、ミュージアムに展示するためのマシンだから最高速に挑戦する必要はないし、つくっているのは1台だけだから万が一壊したら大変だ、という意見です。
渡部
この議論で「安全性が最重要だ」という話が出て、「最高速を出すとしても、時速40キロぐらいでいいのではないか」という意見もありました。
プロジェクトメンバーはもちろん、兄貴やおやじまで加わって、この議論は白熱した。そして最終的に、限界走行で時速100キロに挑戦するという結論になった。
三木
このクルマをつくった人たちの想いや苦労を知ることは、クルマを仕上げることに加えて、このプロジェクトの重要な目的のひとつです。
トヨペット・レーサーをつくった当時の人たちは、命がけで試作車を走らせ、限界域での性能を確認していました。
我々も当時の人たちと同じように、限界域での性能試験を行うことで、このクルマをつくった人たちの想いや苦労を体験できるはず。ならば、ぜひ挑戦して体験すべきだ、ということで挑戦が決まりました。
渡部
最高時速100キロに挑戦することが決まってからは急遽「シートベルトを付ける」という話になりました。展示する際は当時と同じようにしたかったので、取り外せることも考慮して部品を急いでつくりました。
シェイクダウンはトヨタ社内で
ここからプロジェクトは一気に、完成へと向かって走り出した。ボデーパネルを除いて部品の組み付けが終わり、トヨペット・レーサーのシェイクダウン(初めての試験走行)が実現したのは2021年10月12日午前8時。社内のテストコースの一角だった。
ボデーパネルはまだ出来上がっておらず、雨に備えて車体は透明なフィルムで覆われていた。マシンにエンジンが掛けられ、試走エリアをゆっくりと周回すると、朝の6時から今か今かと見守っていたチームメンバーや兄貴、おやじたちから歓声が上がった。ついに自分たちのつくり上げたトヨペット・レーサーが走ったのだ。
「まだいろいろと課題はあったものの、とにかく、ちゃんと走ってくれてホッとしました」と3人はその時を振り返る。
エンジンチームの手でレストアを終え、トヨタ唯一のサイドバルブエンジンであるS型の「火入れ式」、つまり初始動が行われたのは、シェイクダウンから遡ること3カ月前の7月20日のこと。
エンジンの始動不良の問題は、その後も起きていた。実はこのシェイクダウンも、このトラブルのため、当初の予定より2週間延期されていた。
その間にエンジンをフレームから降ろし、改めて点検整備を行うなど、メンバーは粘り強くこの日のための努力を積み重ねていた。
ところが、シェイクダウンの前日もエンジンが掛からないというトラブルが発生し、チームメンバーは直前まで修理を行っていた。
それだけに、プロジェクトチームのメンバーにとって、このシェイクダウンの成功は思い出深い体験となった。
その後も細かなトラブルは続き、メンバーは日常の業務の合間に、マシンの改良や整備を続けることになる。そして完成したボデーパネルをフレームに取り付ける作業など、多忙な中、プロジェクトメンバーたちの奮闘は続いた。