幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。ついに最終回では、組み立て、試走、完成、ミュージアムへの展示までの経緯と苦労について。
クルマづくりの素晴らしさ。そして先人たちの情熱を体感
シェイクダウンからミュージアムでの展示に至るまでの間、3人はどんな想いを抱いていたのだろうか。
杉本
自分はものすごく心配性なので、シェイクダウンのときは自分たちで設計して組み上げた足回りが大丈夫か内心不安でした。パーッと速度を上げて走りたい気持ちもありましたが、「安全第一」と自分を抑えました。
でもモビリタのテストコースでは、ドライバーとして最高速も出せたし、本当に気持ちよく走ることができました。
その後、役員に試乗してもらう機会があり、そのとき、とても喜んでいただけてうれしかったですね。最高速を出す役員もいらっしゃいましたが、安心して見ていられました。
そしてミュージアムに展示されたときは「これで最後だ。いよいよプロジェクトが終わったんだ」とつくづく思いましたね。
渡部
シェイクダウンでは「走らせたい」という思いも果たされましたし、「ひと安心」という気持ちでしたね。
その後、ボデーパネルはキズがつきやすいため、試乗やイベント展示のたびに取り付けたり外したりすることになりました。設計と実際のクルマにはズレがあって、255本ものボルトでパネルを毎回固定するのは、とても大変でした。整備性を考える余裕はほとんどなかったです。
ボデーの製作をメインにしていた他のメンバーが「あんまりボデーを載せて走らせたくない。走るたびに傷が付くから」と言っていたのも忘れられない思い出です。
ミュージアムにトヨペット・レーサーが展示されたときは、誇らしい気持ちになりました。
三木
シェイクダウンの前、組付けた4つのタイヤが地面に接地したとき、素直に感動しました。
モビリタでの本格試走では、「クルマをつくるというのはどういうことで、それがいかにスゴイか」を体感することができました。
現代のクルマは、「スイッチを押す」だけでエンジンが始動し、走る、曲がる、止まるが当たり前に正しく動作します。この当たり前の性能と品質は、先輩たちが数多く困難に挑戦してきた証だと気付きました。
そして、ミュージアムで、メルセデスベンツの「W25」(1934年)など欧州のレーシングカーと並べられたときは、それでも「いつか追いつき、抜かすぞ」という気概でマシンをつくった先輩たちのことを改めてスゴいと思いました。
W25はトヨペット・レーサーより20年近く前のマシンで最高出力が354馬力なのに対してトヨペット・レーサーはわずか27馬力。
戦後すぐのタイミングで、欧州車とは到底追いつけるとは思えないほど大きな技術力の差があるのに、より高みを目指した。ぜひミュージアムに足を運んでいただき、そのことを感じてほしいと思います。
後編では、3人のリーダー一人ひとりに「復元プロジェクトに参加して、自身が何を得たか」を語ってもらう。さらに、本プロジェクトの推進者で、トヨタ博物館、富士モータースポーツミュージアムの館長でもある、社会貢献推進部部長の布垣直昭に、プロジェクトの成果について聞いた。
(文・渋谷康人)