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オリンピック聖火リレーアナザーストーリー「約束のトーチ 〜モリゾウから鈴木少年へ〜」

2020.05.20

オリンピック聖火リレーにまつわるもうひとつの物語。豊田とある少年の間で交わされた"約束"の一日とは。

はじめに

トヨタイムズでは「オリンピック聖火リレー~誰かのために走る人~」と題し、東京2020オリンピック聖火リレーのスタート予定日だった326日から5回に渡り、ランナーに選ばれた5人のトヨタ社員を紹介する記事を掲載してきた。

それは東京2020オリンピック聖火リレーが延期になった今でも、彼・彼女たちが聖火に乗せて運ぼうとしていた“誰かのために”という想いを伝えることに、変わらない意義があると考えたからだ。

insidetoyota_0508a.jpg「オリンピック聖火ランナー」~誰かのために走る人~

こうした数々の想いをつなぐリレー走者の一人として名を連ねていた豊田もまた、オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナーであるトヨタにできることを考え、特別な想いで走ろうとしていた。

そこで今回は、オリンピック聖火リレーにまつわるもうひとつの物語――豊田とある少年の間で交わされた“約束”の一日を紹介したい。

豊田市のオリンピック聖火リレー

当初は、それは47日に行われる予定だった。豊田市のトヨタ本社工場に設けられたコースを走る豊田から、遠隔地間コミュニケーションサポート ロボット(以下、T-TR1)を介して走る次走者へとつなぐ聖火リレーである。もし実現していれば史上初となる試みだった。

この「T-TR1」は、シリコンバレーにあるTRI(Toyota Research Institute)が開発した最新式のロボットで、360度カメラ、スピーカーやマイクを内蔵した、等身大の大きな動く”テレビ電話"をイメージしてもらえばいいだろう。

例えば障がい者など移動が困難な方でも、このT-TR1を通して、遠隔地にいながらあたかも“その場”にいるような感覚を体験できる。

insidetoyota0520_16r.jpg

トヨタが考える“Mobility for All”の中には、すべての人が好きな時に好きなところに行けるよう、物理的な移動だけでなく、自身を仮想的に遠隔地に移動させる“ヴァーチャルな移動”の提供も含まれており、この取り組みが、オリンピック聖火リレーという晴れ舞台で披露できるところまできていた。

この計画が持ち上がったとき、「T-TR1を使ってどういう人たちに“走って”もらうのがいいのか?」を議論する中で、豊田が思い描いたストーリーの根底にはやはり「すべての人に移動の自由を」という変わらない想いがあった。

豊田
本当はスポーツが好きで走れるものなら走りたいけれど、足が不自由で現場には行けない子どもをロボットでサポートして、(トーチという)未来へのバトンを渡すことに意味があるんじゃないかな。

そんな豊田の想いを受けて、トヨタ記念病院の紹介で出会った“ある少年”というのが、今回の主役である鈴木俊介くんだ。

モリゾウファンの中学生、鈴木俊介14歳

愛知県高浜市に住む鈴木俊介くんは2005年生まれの14歳。この4月から中学3年に進級した。足が不自由なため普段から歩行器を使っているが、定期的に愛知県三河青い鳥医療療育センターに通院してリハビリに励み、体力の維持に努めている。

父親の影響でモータースポーツが好きになり、趣味はSuper GTやラリーの観戦。県内のトップイベントである『新城ラリー』にもたびたび足を運んでいる。そして極めつけは“モリゾウ”の大ファンである。「モリゾウファンを公言する中学生」が、他でもないモリゾウ本人から聖火リレーを受け取ることになるとは、これも何かの縁だったと思えてくる。

トヨタガズーレーシングフェスティバル会場の俊介くん

もうひとつ、俊介くんにはオリンピック聖火リレーとの数奇な縁がある。母方の祖父、川角三男さんの存在だ。三男さんは元トヨタ陸上部のOBで、73歳になる現在もNPO法人たかはまスポーツクラブで子どもたちのランニング指導にあたっている。その俊介くんの“おじいちゃん”が実は、当時18歳の高校生だった1964年の東京オリンピックで、聖火ランナーとして愛知県内を走った“大先輩”だったのだ。

トーチを掲げる川角三男さん(1964年)

その三男さんが持って走ったトーチは今、俊介くんが通う中学校に飾ってある。毎日のようにそれを目にしてきた俊介くんは、祖父のことを誇らしく思うと同時に「いつか自分も走ってみたい」という想いを抱いていたのだという。トーチは長い時を越えて巡り、最高のタイミングで俊介くんのもとに回ってきた。モリゾウから鈴木少年へ――夢のような聖火リレーがこうして決まった。

ドアを開けたらそこにモリゾウがいた!

「ぜひ会ってみたいね。」という豊田の想いから、俊介くんとの出会いの場が設けられた。
3月2日に実現した二人の初顔合わせは当初、俊介くんを気遣って病院での対面を考えていたが、感染症予防の観点でトヨタ本社に招待することになった。高浜市にある俊介くんの自宅に向かったセンチュリーGRMNが、豊田の待つ本社に戻ってくる場面からその日は始まる。

鈴木少年、モリゾウに会う

クルマが止まってドアが開くと、そこには“モリゾウ”がいた――。

直々の出迎えに俊介くんは少し面食らったのか、「ヤバいヤバい、目合わせられない……」とひたすら照れる。母親にうながされてようやくモリゾウに対面するも、「会いたかったです」と二度三度お辞儀をするのが精一杯だ。スーツ姿の豊田はそれを満面の笑みで迎え、「こんな格好してるけどモリゾウだよ僕(笑)」と言って緊張する俊介くんの笑いを誘うのだった。

そこから再びセンチュリーに乗り込んだ二人は、聖火リレー当日の走行予定コースを経て新社屋へと向かう小ドライブに出かけていく。車内では俊介くんの好きなクルマやモータースポーツの話題を中心に、豊田が会話をリードしていった。

豊田
クルマに乗るのは好き?

俊介
はい、好きですね。

豊田
好き? ……よぉし(笑)。どんなクルマが好きなの?

俊介
シエンタとか、ルーミーとか……。

豊田
そういうね、ワンボックス系の。

俊介
そうですね。

豊田
スープラとかって乗ったことある?

俊介
乗ったことないですね。

豊田
ない? 乗ってみたい?

俊介
えっ、え――ー!
そういう機会があったら乗ってみたいですけど……。

豊田
機会あるかもしれないよ(笑)。

そう言っていたずらっぽく笑う豊田に、俊介くんも「マジですか!?」とつい興奮して笑い声がこぼれてしまう。最初はぎこちなかった会話が少しずつほぐれていくにつれ、二人の距離も縮まっていくようだった。

世界に1台しかないセンチュリーの秘密

豊田が聖火を受け取り、テレプレゼンス・ロボットに映る俊介くんへと受け渡す聖火リレーのコースは、トヨタの本社工場内で計画されていた。二人の乗るセンチュリーが敷地内へと右折すると、まもなくその道が目の前に開けてきた。

少し傾斜のある上り坂をしばらく進み、ちょうど上り切ったところに豊田のスタート地点がある。そこからさらに200メートル走った先の中継地で、ロボットに映し出された俊介くんが待ち受けているというわけだ。

ロボットと一緒に走る道のりを確認し終えた俊介くんが、この日初めて自分から話し出した場面が印象深い。

俊介
200メートルってけっこう長いですよね。

豊田
長いよね。でも、おじいちゃんも走ったんでしょ?

俊介
そうなんですよ。

豊田
すごいよね。なにかこの縁が。おじいちゃんから孫へ。

俊介
はい、もう、うれしいですね。

豊田
いや、これね、偶然じゃないと思うね。何かの力を感じるね。

俊介
ほんとにそうですね。

それからしばらく、道なりに続く旧本社や技術部・デザイン部のある社屋について、社長直々のガイドに耳を傾けていた俊介くんは興味津々だ。するとひとしきり会話を終えたところで、車外からの視線に気づいた豊田が裏話を聞かせてくれた。

豊田
この車ってさ、有名だから。会社でもね。
だからみんなこの車を見ると、ちょっとザワザワってする(笑)。

俊介
なるほど(笑)。

豊田
ほとんどは僕が乗ってると思ってるんだけど、違うときも使ってるからね。
「今日はいったい誰が乗ってるんだろう?」と。

「この色のセンチュリーはないし、この形のセンチュリーもない」――そんな世界に1台しかない車に、その日ずっと豊田と同乗してきた鈴木少年はしかし、たどり着いた先でさらに驚きの“モビリティ体験”をすることになる。

「始末書もの」のテストドライブ!?

テストコースで俊介くんを待っていたのは、豊田が「あるかもしれないよ」とほのめかしたあの『スープラ』だった。そしてその横には「僕(豊田)がラリーに出てるクルマ」という『86(ハチロク)』も並んでいる。「すごい、すごい……」と俊介くんは呆気にとられている。

するとまもなくスープラの助手席に案内され、運転席には豊田が座った。ゆったりとテストコースへインするスープラに、俊介くんの家族を乗せたセンチュリーが続く。心地よい走行音を響かせながら1周、また1周と走り抜けていく2台の車からは、そこにいた誰もが「FUN TO DRIVE」の風を感じたことだろう。

興奮冷めやらぬ俊介くんに、追い打ちをかけるように次のサプライズが始まる。スーツの上着を脱ぎ、“モリゾウ”の正体を垣間見せた豊田が86のシートへ。固唾を呑んで見守る鈴木家の面々の前で、入念なアイドリングから轟音とともに急発進したクルマは一気に加速し、ドリフトを駆使した8の字走行で“観衆”の度肝を抜いた。

凄まじいエンジン音とタイヤの摩擦音、そして白煙を吹き上げて走るモリゾウのドライビングに、俊介くんは「すごすぎて言葉が出ない……」とただただ見入るばかり。およそ2分半のショータイムが終わった瞬間、会場は思わずあふれ出た歓声と拍手に包まれた。

俊介
すげー、すげー、すげー……。

豊田
すごいでしょ(笑)。

俊介父
キレイに輪っかができてる。

俊介
ほんとにキレイに……すごい。

豊田
あんな跡をここでつけたら、きっと始末書もの(笑)。
「誰だ、あんな跡をつけたのは!」って。

俊介
いやぁ、マジですごい……。

豊田
でもしっかり跡が残ったね(笑)。
(「社長がやったのバレバレですね」と指摘されて)
あのへんに“シュンスケ”って書いといて(笑)。

俊介
あははははっ。

豊田
ここでね、こんな運転したことないのよ。
ついにやってしまったよ(笑)。

おじいちゃんから孫へーートーチは巡る

センチュリーからスープラに乗り換え、高速でバンクを走る迫力とスリルを体感したばかりか、豊田が「もう二度とない」と笑った禁断のテストドライブを特等席で堪能した俊介くん。クルマを介したコミュニケーションが奏功し、最終ゴールとなる社長室へ向かう車中の二人はすっかり打ち解けた表情で笑い合っていた。

社長室に到着すると、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長を筆頭に、著名人たちが居並ぶたくさんの写真が目に入ってくる。国内外のメーカーから寄贈されたクルマの模型や、トヨタの実業団チームが獲得してきたトロフィーなど、まるで博物館のような展示品の数々に俊介くんの目は輝きっぱなしだ。

そしてこの日集まった一同を最後に待っていたのが、オリンピック聖火リレーの本番で使うものと同じ実物のトーチである。俊介くん親子3世代が勢揃いしたテーブル越しに、豊田が「どうですか久しぶりに?」と手渡した相手は、1964年東京オリンピックで聖火リレーを走った俊介くんのおじいちゃん、三男さんだった。

三男さんから息子へ、そして孫へとトーチが渡されていく――。この日のために三男さんが持参した古いアルバムをめくるごとに、55年前の情景が鮮明に浮かんでくる――。あれから時は巡り、孫・俊介くんにオリンピック聖火ランナーの座が回ってきたことは、きっとただの偶然ではないだろう。

豊田
すごいなぁ……。
これはやっぱり何かのアレでしょうね。
何かのご縁というか。

鈴木家一同
ですねぇ。
有難いです。ほんとに。

モリゾウから俊介くんへ――聖火はつながる

そこから「あらためて」という感じで、関係者による聖火リレー当日の段取りを確認する打合せがしばらく続いた。しかし、その後のオリンピック延期決定にともない、残念ながら実現に至っていないのはご存じの通りだ。

実は俊介くんの聖火リレーにはもうひとつ、彼が映るロボットの後ろを盛り上げるために伴走する子どもたちと一緒に祖父・三男さんが走るという計画もあり、「俊と一緒に走れるなんて……」「夢みたい!」と心待ちにしていた二人にはことさら辛い知らせだったに違いない。

だが幸いにも、彼らの聖火リレーはこれで終わりではない。現時点で東京2020組織委員会からは、「大会延期日程に合わせて新たに聖火リレーがスタートする際、現在決定している聖火ランナーの方々に優先的に走行いただけるよう検討していく」との方針が発表されている。

もちろん、俊介くんは走るつもりだ。

記念撮影のトーチキス

俊介くんと豊田のこの日の出会いは、鈴木一家と豊田の記念撮影で締めくくられた。そのとき交わされたモリゾウから俊介くんへの“トーチキス”は、今年走れなかったことの“想い出”ではなく、来年かなえるための“約束”として記憶されることだろう。

実はこの日、俊介くんにはもうひとつのサプライズが用意されていた。モリゾウから手渡された“あるもの”は、小さなサイズのレーシングスーツだった。

帰宅した俊介くんから、すぐに写真が届いた。そこにはモリゾウと同じデザインのレーシングスーツに身を包み、満面の笑みを浮かべる俊介くんの姿があった。

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