2025年、明知工場から鋳鉄の火が消えた。半世紀にわたり鋳造と歩んだ工場は、電池工場へと生まれ変わる。変化を前向きに受け止める風土、鋳造の現場で育まれためんどう見の良さは、今も人々の中に息づく。新たな挑戦に向かう想いに迫る。
寄せ集めからワンチームへ
下山工場、衣浦工場、上郷工場など、全社から集まったこの混成チームは、当初24人ほどだった大久保前部長のグループから、いまでは800人近くにまで膨れ上がった。この急拡大の中で彼らをまとめる支えとなったのが、「このままでは自分たちのつくるものがなくなるかもしれない」という危機感を、出身工場の垣根を越えて分かち合ってきたことだった。
大久保前部長
我々が競うべき相手は、PPESさんやトヨタバッテリーさんではありません。本当に競うべきは、中国勢をはじめとする海外のメガサプライヤーです。少年漫画によくある展開ですが、それまで競い合ってきたライバル同士が、より大きな舞台を前に力を合わせるように、我々も世界で競っていくためには、日本勢として団結しなければならない。それが我々の役割だと考えています。
チームづくりの現場で「めんどう見役」を自任するのが藤田次長だ。慣れない環境で働く従業員一人ひとりの不安を、面談を重ねながら拾い上げてきた。
藤田次長
明るく、楽しく、元気よく。これを常日頃、心がけています。ですが、電池づくりの現場ではそれがなかなか難しい。防護メガネやマスクをすれば表情も伝わりにくい。しかも3交代のスライドシフトなので、直が違えばなかなか顔を合わせる機会も少ない。
そこで、工場の敷地内にある池のほとりを整備して、みんなが集まれる場所をつくりたいと考えています。秋には芋掘りをやって、みんなに振る舞いたい。電池の現場は特に、集まる機会自体が少ないので、増やしていきたいんです。
明知工場の現在の姿は、今後続いていく電池工場としての歴史の、ほんの序章にすぎない。土屋CPLは、明知工場が担う意味について語る。
土屋CPL
コストの競争力だけを見れば、グループ会社や協力会社に生産を任せたほうが有利な側面もあるかもしれません。ですが、鋳造だろうがエンジンだろうが車両だろうが、トヨタのモノづくりの強みは、現場で改善を積み重ね、良いものをより安く、より効率よくつくり続けてきたことにあります。
原料を混ぜ、熱をかけ、取り出して加工し、封をする。要素技術まで分解すれば、鋳造も電池も基本的な流れは変わりません。その改善の力を電池にも注ぎ込めば、より価値の高い電池や、これまでにない製造技術も生み出せるはずです。だからこそ、内製することに大きな意味があると信じています。
視野は海外にも広がっている。これまで海外拠点との関わりが少なかった明知工場だが、電池生産を機に米国ノースカロライナ州の電池工場「トヨタ・バッテリー・マニュファクチャリング・ノースカロライナ」の親工場としての役割も担うことになった。ノウハウを身につけた人材から順に、現地へ派遣する動きが生まれているという。
継承の先にある進化
鋳造工場としての半世紀と、電池工場としての数年。振れ幅の大きい二つの時代に身を置いてきた大久保前部長は、すでにノースカロライナの電池工場の立ち上げを、現地で支援する仕事に就いている。ただし持ち込むのは、技術だけではないという。
大久保前部長
ノースカロライナは新しい会社で、採用も新規です。つい先日までガソリンスタンドやスーパーで働いていた人たちが、電池づくりに挑戦する。会社も、製品も、人も、すべてゼロからのスタートで、正直、日本よりもはるかに厳しい状況です。だからこそ、明知のときとは違うアプローチが必要になる。ただ、基本はやはり人づくりなんです。
その大久保前部長が、明知工場でのこの数年をこう振り返る。
大久保前部長
社内には、歴史を綴った「DNA継承館」というスペースがあります。そこには、豊田自動織機から自動車部が誕生した創業期の写真が飾られている。50年後、電池に携わった仲間たちの写真もあそこに並んでいたら嬉しいですね。「あの時があったから、今の自分たちがある」。そう思ってもらえたなら、この仕事に携わった甲斐があります。
大久保が語った、この豊田自動織機から自動車部が生まれた創業期になぞらえる見方に、高橋工場長も強く共感する。
高橋工場長
PPESさんやトヨタバッテリーさんが先に電池をつくり始めていて、彼らから学ぶべき点は非常に多い。ただ、ラインの問題を解決し、改善していく力は、トヨタが長けているところです。
それをどう織り込んで、もっと良いラインをつくっていくか。まさしく、創業当時と同じ感覚ですね。トヨタの強さの本質は、そこで働く人が持っている力そのものにあるんです。苦労しながらでも、改善するマインドを備えているのはトヨタならでは。これは一朝一夕にはできないことだと思っています。
粉じんの舞う鋳物工場から、ミクロン単位のクリーンルームへ。1973年、公害という社会課題に向き合いながら生まれた明知工場は、いま、電動化という新たな時代の課題に向き合っている。つくるモノは変わっても、人を育て、技を磨き続ける文化は、次の半世紀へと受け継がれていく。