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つくるモノは変わっても、つくる心は変わらない 明知工場 電池への挑戦

2026.10.02

2025年、明知工場から鋳鉄の火が消えた。半世紀にわたり鋳造と歩んだ工場は、電池工場へと生まれ変わる。変化を前向きに受け止める風土、鋳造の現場で育まれためんどう見の良さは、今も人々の中に息づく。新たな挑戦に向かう想いに迫る。

「寄せ止め」の先に見えた可能性

明知(みょうち)工場が大きな転機を迎えたのは、2020年前後のことだ。当時、明知工場の姉妹工場である三好工場が担ってきたCVJ(等速ジョイント)などのドライブライン事業は、競争力強化を目的に、協力会社のジェイテクトへ移管される流れにあった。三好工場はジェイテクトとの協業を進めながら、ドライブラインの生産に特化した拠点として再編されていく。

この過程で、明知工場が担っていたディファレンシャル(デフ)などの生産も、三好工場へ集約されることになった。その後も残っていたランドクルーザー250向けなど一部の生産ラインも、2028年中にジェイテクトグループのジェイテクトギアシステムへ移管される。工場の仕事が先細りしていく中、高橋一彰工場長は当時の危機感をこう振り返る。

高橋工場長

ラインがなくなっていけば、モノをつくりたくてもつくれません。そこにいた人たちは、必然的に忙しい他の工場へ異動していく。残った現場から、どうしても活気は失われていきました。だからこそ私たちの中では、新しい仕事がしたいという想いが強まっていったんです。

生産の集約が進むにつれ、明知工場の中には空きスペースが生まれることになった。細切れのスペースが敷地内に点在したままでは、いざ新しい仕事を任されても、迅速に対応することができない。そう考えた高橋工場長は、既存のラインを一箇所に寄せ、まとまった一体スペースを確保する道を選んだ。

先行きが見えない中でも、高橋工場長は現場の従業員たちに向けて、こう語りかけ続けていたという。

高橋工場長

まだ何も決まっていませんでした。ただ、TPS(トヨタ生産方式)の技さえ磨いておけば、たとえすぐに新しい仕事が来なくても、僕たちはどこへ行っても通用する。だから心配はいらないと、当時から現場にはそう伝え続けていました。

そこに舞い込んだのが、バッテリーEV(BEV)用電池生産の話だった。当時、三好・明知工場の製造技術部長として電池生産の計画に携わっていた山本雅博(現・グローバル電池製造部長)は、明知工場が電池生産の拠点に適していた理由として、長年培ってきた多様な工法と技術の蓄積を挙げる。

山本部長

三好・明知工場全体で見ると、加工や組み付けはもちろん、鋳造、鍛造、焼結、熱処理といった工法もすべて手がけてきました。これほど多様な工法を持つ工場は、そう多くありません。我々は長年、グループ会社や協力会社と競い合いながら部品をつくり続けてきたので、常に競争力を問われる立場にありました。だからこそ、新しいものに挑戦する精神が根づいていた。それが電池の受け入れにもつながったのだと思います。

明知工場がスペースを空けたのは、ちょうど電動化という時代の要請が高まっていた時期でもあった。トヨタ全体でBEV向け電池の内製化が急務となる中、量産を担う新たな拠点が求められていたのである。

ドライブラインの移管や鋳造の集約など、幾度となく担う仕事の変化にさらされてきたこの工場は、そのたびに人と設備を鍛え直し、次の仕事を受け入れる土台を整えてきた。

火と粉じんの現場から、ミクロン単位のクリーンルームへ

トヨタは電池の生産技術や設備仕様を、トヨタ自動車、トヨタバッテリー、トヨタとパナソニックの合弁会社PPES(プライム プラネット エナジー&ソリューションズ)の3社で共通化し、同じ仕様の生産ラインを世界各地へ展開する方針を掲げていた。

そのモデルとなったのが、PPESがすでに稼働させていた姫路工場である。明知工場で電池ラインを立ち上げる際にも、姫路工場の設備仕様がベースとなった。

山本が部長を務める電池製造部のオフィス。素形材生技部(当時:素形材技術部)から一部スペースを譲り受け、会話のしやすいオープンな空間となっている。

しかし、姫路で確立された仕様を明知で形にするには、大きな決断が必要だった。更地に新たな建屋を建てれば、設備を自由に配置できる。それでも明知工場が選んだのは、稼働を終えつつあった鋳造工場の建屋を生かし、その内側に電池工場をつくり上げるという道だった。

山本部長

競争力が無いと生き残れない時代。コストだけでなくスピードも重要な要素です。一から建て直すよりも、既存の建屋の中に電池工場の建屋をつくったほうが早い。当時はそれを最優先しました。ただその分、既存の柱の位置や建屋の高さといった制約に、レイアウトづくりで苦しめられることになりました。

この「建屋の中に建屋をつくる」計画を、実務としてゼロから担ったのが、鋳造部の技術員としてキャリアをスタートし、主に明知工場で自動化設備を担当してきた、グローバル電池製造部の加藤良和GMである。

2022年5月、休日出勤していたある土曜日、加藤GMは上司から「3年後、明知工場ないし下山工場に電池のラインが立ち上がるから、そこで活躍してほしい」と、突然の異動を告げられた。集められたメンバーはわずか10名足らず。うち明知工場所属者は2人だけで、残りは下山工場をはじめ全社の拠点から招集されていた。電池の経験者は一人もいなかった。

加藤に与えられた仕事は、PPES姫路工場の設備仕様を、この限られた建屋の中にどう落とし込むかというレイアウト設計だった。もともと鋳造工場だった建屋は、姫路工場に比べて敷地が3割狭く、しかも既存の柱の位置は動かせない。柱の間隔が不揃いな箇所や、図面に記載のない壁、配管も見つかった。

当時を振り返り、加藤はこう語る。

加藤GM

とにかく自分に何ができるのか、全員がゼロから考えるところから始まりました。

電池工場は、工程ごとに壁で仕切られています。設備と壁の間も広くないため、入口から遠い設備から順番に搬入していく必要があります。順番を入れ替えることが出来ません。仕入れ先の工事日程とレイアウト、現地の状況をすべて同時に確認しながら検討しなければならず、設備の仕様すら固まっていない段階で、2カ月後には建屋の壁の位置を決めなければなりませんでした。

工程によっては12メートル近い高さを要する設備もあり、足りない場合には、すでに仕上がっていた床を掘り返すこともあったという。

柱一本、扉一枚の位置決めに、加藤GMたちは何度も現地に足を運び、設計ソフト上でシミュレーションを重ねた。悩み抜いた末に見えたレイアウト案を、加藤GMは高橋工場長にプレゼンした。

加藤GM

「君ができると思うのならば、進めてください」。そう言われたときは、胸が熱くなりました。すべてをこのスペースに収めたいという自分なりのこだわりがあって、3日間で何十パターンも図面を描いても、物流動線がまとまらないことがありました。それでも工場長に言葉をかけてもらえたことで、救われた気持ちになりました。

現在、鋳造ラインの撤去が進められている最後の建屋。文字通り広大な空間が広がっている

かつて砂型の砂と粉じんが幾重にも積もった建屋は、壁も内部の設備もすべて取り払われ、鉄骨の梁だけがむき出しになったがらんどうの空間へと姿を変えた。雨漏りする屋根を修復し、図面には残っていなかった古い配管や金属フレームを一つずつ掘り起こしながら、半世紀分の汚れを丹念にそぎ落としていく。

その建屋が電池工場として稼働を始めたのは、着工からおよそ3年後のことだった。

電池工場の外観イメージ

こうして生まれ変わった建屋の中身は、鋳造の現場とは対極にある、極めて精密な管理を求められる世界だった。管理基準となる異物の大きさは数十ミクロン。人の髪の毛の太さのおよそ半分だ。

室内は温度・湿度ともに一定に管理され、水分を口にすると湿度が狂ってしまうため、作業中に水を飲むことすらできない。防じん服やマスクに身を包んだ従業員は、お互いに誰なのか外見からは見分けもつきにくい。こうして電池工場では、働く人々にも大きな転換が求められたのだ。

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