ヤリスを生んだ、東北のモノづくり

2021.04.09

欧州で最高評価を得た新型ヤリス。その裏には震災復興への豊田社長の想いと、東北のモノづくりの力があった

欧州22カ国のジャーナリスト59名が投票によって「その年最もよかったクルマ」を決める欧州 カー・オブ・ザ・イヤー(以下、欧州COTY)。並みいる強豪を抑えてその栄冠に輝いたのは、ヤリスだった。なぜ欧州の地で、ヤリスが選ばれたのか。どこが高く評価されたのか。チーフエンジニアの末沢氏に続き、ヤリスの生産を手がけるトヨタ自動車東日本(TMEJ)岩手工場の永坂雅彦工場長に話を聞いた。

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受賞の知らせに、全員でガッツポーズ

欧州COTYを受賞したという知らせを聞いたときの感想は?という森田記者の質問に、「欧州で受賞できたのはめちゃくちゃうれしかったです!」と満面の笑みで答えてくれた永坂工場長。受賞の一報が届いた日、工場の課長以上が集まる朝会では、全員でガッツポーズ。この喜びを見てもらおうと、その姿を写真に収め、ヤリスのもうひとつの生産拠点であるフランス工場に送ったという。

欧州COTY受賞の一報を聞いた翌朝の岩手工場メンバーの様子

とはいえ、欧州COTYの受賞は決して寝耳に水ではなく、永坂氏には手応えと自信があった。

永坂
当然期待はありました。製品として、ヤリスは商品性が高いと思っていますので、本場のアウトバーンを走っている(欧州の)方々であれば、絶対にこの良さが分かるだろうと思っていました。

森田
本場を走っているからこそ分かる良さが、ヤリスには詰まっている、と。

永坂
はい。コンパクトですが、走りはパワフルですし、安全機能も「ユーロ NCAP(欧州の安全評価プログラム)で5つ星を取るなどトップレベルですし、ハイブリッドだから環境にも優しい。これは絶対に評価されるだろうと思っていました。

一方で日本 カー・オブ・ザ・イヤーが3位に終わったことについても聞いてみた。

永坂
お客さまから燃費や安全性能で非常に好評をいただいていたので、日本のCOTYも取れると思っていたのですが、残念な結果で。ただ、お客さまに購入していただいた台数はずっと1位を継続していますから、欧州だけでなく日本でもお客さまに評価していただいていると思っています。

永坂氏自身がヤリスに乗り、その魅力を感じてきたからこそ、ヤリスには絶対の自信を持っている。

森田
欧州COTYの審査員のコメントを見ると、燃費、走りの楽しさ、静粛性など、いろいろな面が評価されているように感じます。

永坂
スタイルもそうですし、コンパクトですが乗ってみると非常にパワフルです。販売に際しては、うちのテストコースでいろいろ走らせてもらいましたが、本当にいいクルマだなと感じました。

また国内では、雪国では待望だったハイブリッド車の4WDも、このカテゴリーではヤリスからスタートしました。我々が住んでいる東北や北海道といった地域の方々からも愛されるクルマだろう、と自信を持って工場から出荷しています。

森田
ということは、つくっている皆さんからすれば、狙いどおりですか?

永坂
そうですね。生産台数も多くて、工場としては高稼働ということで大変ですが、それだけお客さまにいい商品をお届けできているということで、皆満足しています。

こつこつと積み重ねてきた競争力

岩手工場の生産ライン(2019年12月撮影)

現在、東北で完成車をつくっているのはトヨタだけだ。多くの自動車メーカーや部品メーカーが集まる中部地方などと比べ、どうしても東北にはハンデがあるという。だが、それでもトヨタにとって重要な車種であるヤリスが岩手工場で生産される理由は何か。そこには、岩手工場が持つ「高い競争力」があるのではないか、と永坂氏はいう。

森田
ここまでのものを作り上げる過程は、決して簡単な道のりでは無かったと思いますが、振り返ってみていかがですか。

永坂
ヤリスは、競争力がある工場でなければつくらせてもらえないだろうと思っています。岩手工場は、日本の中でも遠隔地にあります。物流費やコスト面では不利な地域になるわけですが、競争力があるからこそ、この岩手工場でつくらせてもらっています。

これは、過去にいろいろな取り組みをして競争力を高め、「絶対岩手でクルマをつくり続けるんだ」という先人の方々の指導もあり、それを我々が受け継ぎ、今につながっています。ですから非常に感謝しています。

森田
積み重ねとは、具体的にはどんなことでしょうか。

永坂
東日本大震災もありましたし、その前にはリーマンショックがありました。岩手工場は1993年に第1ラインが稼働し、2005年に第2ラインが稼働しました。リーマンショックのときはトヨタ自動車を含めて全世界で減産となり、我々もクルマをつくりたくても、なかなかつくれないという時期がありました。そんな中でクルマをつくり続けるために、当時の工場長も「絶対に生産性や品質でトップを取る」という決意で取り組んできました。

(トヨタグループ内で)1位になれば、「世界のトヨタ」だから世界で一番強い工場になれる。その思いで全員で取り組み、高い競争力を実現してきたと思っています。工場では、プレス、ボデー、塗装、組み立て、検査、化成工場などがありますが、そのすべてで生産性や品質面において、1位を目指し、実際に達成してきました。

競争力を高める2つの工夫

「東北から世界一を目指す」「いろいろな技術で世界一を目指す」。口で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。競争力を高めるために、岩手工場ではどんな取り組みをしてきたのだろうか。永坂氏は、岩手工場の取り組みとして2つの工夫を挙げた。

ひとつは、自分たちで設備をつくる「からくり」だ。「からくり」とは、作業工程の課題を改善するために、手づくりする道具のことだ。電気などの動力は極力避け、工夫を凝らしたアイデアによって、部品を整列させたり、道具を取り出しやすくしたりと小さな課題を解決し、効率アップにつなげている。

ロッカープロテクタを取り付ける「からくり」

永坂
我々は、「からくり」を使って自分たちで設備をつくるということに取り組んでいます。自分たちでつくった設備であれば、万が一壊れてもすぐに修理できますし、自分たちが思った通りの動きを再現できます。そこで「からくり」で設備をつくるということをやって生産性を向上しています。

もうひとつの工夫は、「順序生産、順序納入」。実際に組み立てを行う数日前に、生産ラインに流れるクルマの色や仕様を確定し、部品メーカーに通知する。従来は数時間前に確定していたため、部品メーカーは複数の車種や仕様に対応するため、多くの在庫を用意する必要があった。だがあらかじめ生産の順番を確定しておけば、その日必要な部品だけが届くから、在庫スペースを大幅に削減できる。

この「順序生産、順序納入」を実施するには、工場だけでなく部品メーカーの協力も欠かせない。そしてここで東北という工場の立地が生きてくる。ひとつの部品メーカーがさまざまな自動車メーカーに納入している場合、ひとつの工場の都合に合わせて納入を調節するのは難しい。ところが東北地方で完成車をつくっているのはトヨタだけだ。つまり地元の部品メーカーの多くはトヨタの工場だけと取引している。そのおかげで、工場と部品メーカーが密接に連携して取り組むことができるのだ。

永坂
仕入先さんと一緒になって取り組んでいるのが、車両生産と同期して部品を納入してもらう「順序生産、順序納入」というしくみです。これは仕入先さんと当社が無駄な在庫を持たずに生産していくというもので、東北だからこそできる、競争力強化につながっている取り組みです。

「からくり」と「順序生産、順序納入」、この2つが競争力に大きく貢献したと思っています。

地域の方々から届いた励ましの声

震災の後、豊田社長は「我々にできることは何か」と考え、東北を中部、九州に次ぐ第3の生産拠点にするという決断をした。震災のわずか2週間後には自ら被災地を訪れ、「復興には長い時間が必要だからこそ、長く継続できることをやっていかなければならない」と考えたのだ。そしてトヨタは東北の地にものづくりを根付かせるために、工場をつくり、モノづくり・人づくりの学校を設立した。

ヤリスラインオフ式にて岩手工場を訪問する豊田社長

それから10年という節目の年。東北で作られたヤリスが欧州COTYを獲得し、世界から評価された。この事実を、果たして永坂工場長はどう捉えているのだろうか。

永坂
欧州COTYを取れたことは私たちにとって、本当に自信になりました。私たちは岩手、宮城に工場がありますが、地域の方々からいろいろサポートしていただき、クルマづくりができています。仕入先さんをはじめとするいろいろな企業の方、行政の方、地域の方々からも「本当に良かったね」という励ましをいただきました。これは本当にうれしいことで、さらにこれが地域、東北全体に広がって、復興につながっていくんじゃないかなと思っております。

実は、永坂工場長も青森県津軽地方の出身。トヨタ車が好き、ということからTMEJ(当時は関東自動車工業)に入社した。そんな永坂氏は、東北地方はクルマづくりに向いていると考える。

森田
永坂さん自身も青森のご出身ですが、東北に対する思い入れというのも強いですか。

永坂
東北の方々は、とても真面目です。また東北はお祭りが多く、北から青森のねぶた、岩手のさんさ、宮城の七夕、そして秋田も山形も福島にもたくさんのお祭りがあり、情熱的で人間味のある方が多い。そんな人たちが集まって、この東北からクルマづくりを通じて震災復興に役立てていきたいと思っています。

森田
その東北の風土は、コンパクトカーづくりにどのように結びつくのでしょう。

永坂
東北の方々は真面目ですから、自分の仕事に対して「これで本当にいいのか」「もっといい方法があるんじゃないのか」と考え、いろいろ提案してくれます。それが先ほどご紹介した「からくり」につながっています。岩手工場の全員がからくりマンとして、自分が使うものは自分でつくるということをやっています。東北の人は、そういうところに向いているのかなと思っています。

そんな東北に、コンパクトカーの生産を集約している。豊田社長が、「もっといいクルマづくり」の基準だ、というコンパクトカーを東北でつくることについて、永坂氏はこんな風に思い入れを語ってくれた。

永坂
免許を取って、最初に買ったクルマはスターレットでした。今のヤリスの前身です。最初にコンパクトカーを買い、その良さを味わって、お金が少しずつたまったら少し大きいクルマに乗る。でも、さらに年をとったら、またコンパクトに戻ってくるということで、コンパクトはずっと生き残るだろうと考えています。それをこの東北でつくっていけるというのは、非常にうれしいことだと思っています。

フランスにも受け継がれる「東北のモノづくり」

フランス工場から研修に来た際の様子(2018年11月撮影)

ヤリスは岩手工場とともに、フランス工場でも生産されている。「真面目で情熱的」な人々に支えられた東北のモノづくりは、フランスにも届いているのだろうか。

永坂
実はこの岩手工場は、フランス工場の親工場になっています。我々の仲間から、11名が現地に赴任し、さらに15名の方が出張して、品質、稼働向上、生産のサポートをしています。

ですから、国は違いますが同じクルマをつくっているということで、ある意味ライバル意識も持ち、お互いに切磋琢磨しながら、「いいクルマづくり」をしています。

森田
フランス工場にも「からくり」は持ち込まれているのですか

永坂
はい。フランスからもこちらに来ていただき、我々の取り組みを勉強していただいています。もちろん「からくり」も教え、実際に「からくり」をつくっていただき、からくりマンと認定して現地に帰っていただいています。ですからフランスでも、「からくり」を使った設備はいろいろあります。

森田
フランスでも「からくり」という言葉を使うんですね。

永坂
はい、「からくり」です。

今回、欧州COTYを受賞した欧州向けのヤリスは、フランス工場で生産されている。だが元をたどれば、そこには東北のモノづくりがしっかり息づいているのだ。

東北から、もっとクルマを届けたい

最後に森田記者は、永坂氏が今後目指すものを聞いてみた。

森田
今後についての展望や、目指すところを教えてください。

永坂
私は、この岩手工場からもっともっとトヨタのクルマをお客さまに届けて、笑顔を量産していきたい。トヨタファンを増やしていきたいと思っています。

岩手だけでなく、宮城、愛知、九州、それぞれからトヨタ車をどんどんお客様に届けて、良さを分かっていただきたいなと思っています。

森田
ここまで積み重ねてきたものも多く、これだけのモノづくりの力がある。いろいろなところから評価されていますが、まだまだ(改善の)余地はある、とお考えですか。

永坂
はい。まだまだあると思います。我々は東北に進出してきて、サプライヤーさんをどんどん地元から増やしていこうという取り組みもしています。東北がもっともっとクルマづくりでも大きくなっていきたいという思いもあります。東北の方々がクルマづくりに参加してくれるだろうと思っていますので、我々はクルマ作りだけでなく、地域貢献もやっていかなければならないと考えています。

森田
改めて、ヨーロッパのカー・オブ・ザ・イヤー受賞、おめでとうございます。

永坂
ありがとうございます。

「モノづくり」という観点からヤリスを眺めると、その高い品質の背景には、東北のモノづくりの力があった。東日本大震災からの復興を目指し「東北をコンパクトカーの生産拠点にする」という豊田社長の決断があり、その想いに答えるべく競争力を磨いてきた東北の方々の努力と工夫があった。そして、それがフランス工場へと受け継がれ、欧州COTY受賞という大きな成果に結実したのだ。1台のクルマに、どれだけ多くの人の想いが込められているのかを、改めて実感した森田記者だった。

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