会長職を離れる「ミスタープリウス」こと内山田竹志会長。豊田章男社長を支え続けた男は「嫌なことを言う人」だった!? 生放送の6つのシーンを振り返る。
「(会長は)私が聞きたくない嫌なことをいう人」
シーンⅢ:富川キャスターから豊田社長へ「内山田会長はどんな存在か」と聞かれて
豊田社長
会長である前に「やんちゃな弟を優しく冷静沈着にサポートしてくれた兄のような存在」だと思います。
(豊田章一郎)名誉会長から引き継いで、私が聞きたくない嫌なことを言う人なんです。例えば「運転するな」「いつまで運転してるんだ」とか(笑)
「私はエンジニアじゃないので、『もっといいクルマづくり』を示すには、自分でハンドルを握って走る以外ないんです」と申し上げましたが、絶対に聞きません(笑)
でも、私が困ったときは本当に優しい。特に最近のコンビは抜群です。商品化決定会議のムードは変わってきたと思います。私が全然違う方向を示したときも、現実的な方向にスッと戻してくれる。そういうところは人格者ですよ。
富川キャスター
そこは意識されていたんですか?
内山田会長
社長が一生懸命、構造改革を推進しているので、みんなの前ではいつも社長をサポートする側にいこうと。
だけど、ちょっと意見が合わないこともあります。それはみんなの前じゃなく、2人で話す。あるいは、案として固まるもっと前の段階で、どっちの方向に行くかを議論する。そうやって、いつもベクトルを合わせていました。
豊田社長
個別に「ちょっと話があるんだけど」と言われるのが、私にとっては一番恐怖でした。「何かあるのかな…」と。
内山田会長
唯一ずっと反対してきたのは、モータースポーツです。レースに社長がドライバーとして出る。やっぱりかけがえのない人だし、本人は「レースはやらずに走っています」と言っていますが、ラリーと違って他人との戦いなので。
そういうことをやっていただいたおかげで、モータースポーツも非常に盛り上がっているんですが、是非、そのシートを若いドライバーに譲って、これからは別の形でモータースポーツを支えていただきたいと思います(笑)
豊田社長
「水素社会を実現するため、みんなに分かりやすいプロジェクトを」と言ったのも内山田さんでした。「じゃあ、水素エンジンのクルマをやりましょう」って言ったのは佐藤さん。それに乗るドライバーとしては私が適任だなと。
それまで「水素=危険・爆発」というイメージが「水素=未来」というイメージに変わったのに、(内山田さんは)「よくやった」と言ってくれない(笑)
「豊田章男にはもっと大きく羽ばたいてほしい」
シーンⅣ:富川キャスターに「なぜ今トップを交代するか」を問われて
豊田社長
内山田さんが辞められるからじゃないですか? 内山田さんにいていただければ、私が社長でもなく、会長でもないポジションも考えていたと思います。最初はそういう案を申し上げました。
そのときはご満足でない顔をされていましたが、「私が後任をやります」と申し上げたときに、「やっと決めたか」という感じでした。
心の中では、「ここがタイミングだよ」と思っておられて、私自身が決断をするのを待ち、発言する場を与えていただいた。ですから、兄貴のような存在だと思います。
富川キャスター
内山田さんも、そういう認識で?
内山田会長
急にではなく、この数年間のいろんな考えとか準備がありました。最初は「後任の社長像」だったのが、それが固まってくると、次は「社長名」(誰を社長にするか)になりました。
非常にいい推移をとりながら決まってきたと思います。問題は会長を誰がやるかというところ。
最初は意見が合わなかったんですが、豊田章男にはもっと広く、トヨタ自動車やグループの37万人ではなく、(自動車産業)550万人、あるいは、さらにその枠を越えて、日本の産業界全体に大きく羽ばたいていただかなくちゃいけない。もちろん、健康に気をつけながら。
そのためには役割にふさわしい「トヨタ自動車会長」という肩書がセットになっていないといけないと思いました。私自身としてはいい形に収まったのかなと思っています。