「変な甘えがなくなった」。液体水素で走る水素エンジン車の初戦を5月の24時間レースに見据え、佐藤恒治社長は語った。
スーパー耐久レースの初戦があった三重県の鈴鹿サーキット(三重県)。トヨタは改めて、5月の富士24時間レースに、液体水素を燃料とするGRカローラで参戦する方針を示した。
同車は、3月8日、サーキットでのテスト走行中に出火し、3月18日から始まる開幕戦に修復が間に合わず、出場を断念していた。
24時間耐久という、シリーズで最も過酷なレースに、ほぼ「ぶっつけ本番」で投入する液体水素車両。しかし、佐藤恒治社長の表情に迷いはない。
「振り返ってみれば、気体水素の初戦も24時間だったので、変な甘えがなくなりました。24時間を乗り越える技術的な備えを一気に考えるという意味では、覚悟が決まりました。モリゾウさんも『運命的だよね』と」
火災の原因と実証できたこと
水素を燃料とするクルマが燃えた――。こう言うと、「水素は危ない」「爆発したのではないか」という反応もあるかもしれない。
しかし、今回の車両火災について事実を整理すると、印象はだいぶ違ってくる。
原因となったのは、水素を供給する配管の継ぎ目が緩んだこと。そこから水素が漏れ、着火し、周囲の樹脂部品が燃えた。
水素が漏れたのは、エンジンに最も近いところにあった継ぎ目で、車両の加減速によるエンジンの動きや振動の影響を受けやすい部位だった。
一方、この一件で、実証できたこともあった。それは、安全装置が正常に働き、0.1秒以下で水素供給をシャットダウンしたということである。
その結果、火が大きくならず、けが人を出すこともなく、鎮火に至ったのだという。
今後は、継ぎ目の構造を見直すとともに、熱源から離し、漏れても水素が回らないよう、設計上の修正を施していく。
「『危険』のイメージを『未来』に変える」
一連の経緯を説明する中で、トヨタが強調していたことがある。それは、火災は設計の問題によるものであり、「水素=危険ではない」ということだ。
GAZOO Racingカンパニーの高橋智也プレジデントはこう解説する。
「ガソリンは火花があれば、どんな環境でも燃えてしまいます。一方で、水素はある一定の濃度と温度で発火する。具体的には、空気中に占める割合が4%、温度が550℃以上の環境で引火します。言い換えると、それ以外で水素は引火しないということです」
佐藤社長も豊田章男会長も、今回の一件について「事故とは思っていない」という認識で一致している。
佐藤社長
このクルマが参戦しているカテゴリはST-Qクラス。将来のモビリティ社会実現に資する技術開発に取り組むことを目的に設定されたカテゴリで、課題を出すのがテストの目的です。
液体水素がレーシングスピードでクルマに搭載されて走っていること自体、世界で誰もやったことがない仕事なんです。
大事なのは、出てきた課題をどのように次に生かすか。改善の手を緩めることなく、進めていきたいと思っています。
豊田会長
レースをやっていく中では、当たり前に起こっていることだと思っています。
水素社会実現のために始まった活動で、当初から言ってきたのは「意志と情熱ある行動が未来をつくる」ということ。エンジニアたちは「そんなことできるわけがない」と言われながらも、アジャイルに、しっかり競争しながら、周囲が見ている中で開発を進めてくれています。
私自身がドライバーでいることで、プロジェクトを止めない。「危険」というイメージを「未来」に変えていきたい。
水素を止めない 各社の意志
S耐初戦が行われた鈴鹿サーキット。そこに、水素エンジン車両の姿はなかったが、レース初日の会見には、佐藤社長とともに、水素社会の実現へ力を注ぐ川崎重工業の橋本康彦社長と岩谷産業の間島寛社長が出席。
カーボンニュートラルへの選択肢となる水素について、取り組みを加速させていくことを誓った。そこには「水素を止めない」という各社トップの強い意志が表れていた。
2021年から豪州産水素を運ぶ仲間として、レース活動に加わり、取り組みを広げている川崎重工業の橋本社長は、液体水素の可能性について、LNG(液化天然ガス)を例に説明する。
橋本社長
皆さんは、LNGをごく当たり前のエネルギーと思っているかもしれません。
ですが、私が川重に入社した1981年、弊社が日本で初めて大型液化船をつくったときに言われたのは「いったいどこに使うの?」「液化してわざわざ運ぶ必要があるの?」「こんなに高いものを誰が使うんだ?」ということでした。
しかし、エネルギーの選択肢を増やす中で、LNGは世界になくてはならないものになりました。
水素は天然ガスと非常に近しく、天然ガスで動くものは水素に置き換えやすい。電気にもかえられる。ガソリンの代わりとして、新たな可能性を探ることもできる。燃焼性がいいので、エンジンとしても非常に期待できるものになっていくと思います。
当時のLNGと同じ道を歩んでいると考えています。
会見の後に開かれたラウンドテーブルでは、改めて水素の安全性について、質問があがった。
水素の原料調達、製造、輸送、供給まで一貫して事業を展開し、水素エンジン車でのレース挑戦を初戦から活動を支える岩谷産業の津吉学水素本部長はこう説明した。
津吉本部長
我々は80年ほど水素の仕事をやっています。水素はもちろん危ないです。
ですが、「ビジネスをやる中で、トラブルはありましたか?」と言われると、私の知る限り、ほぼないと思います。なぜかというと、それだけ気にしているからです。
どんなものでも使い方を間違えたら危ない。包丁でも切り方を間違えると指を切ってしまいます。でも、包丁がなかったら料理はできません。「水素は危ない」「ちょっとしたら漏れるかもしれない」という前提で仕事をしているんです。
今回のレースも「絶対漏れない」ではなく「漏れるかもしれない」と考えて、漏れたら分かるようにしよう、漏れたら溜まらないようにしよう、漏れても被害が出ないようにしようと、二重、三重に気にしながら設計し、運用することが必要だと思っています。
24時間レースへ挑戦は続く
現在、開発チームは来月に迫った24時間レースに向け、日夜挑戦を続けている。そんな現場の雰囲気を佐藤社長はこう伝える。
佐藤社長
メンバーは厳しい仕事ながらも、モチベーション高く、「未来のモビリティ社会の選択肢をつくるんだ」という気概を持ってやってくれています。
モチベーションを守りながら、学びを生かして、実現する努力を継続していきたいと思っています。
水素というエネルギーの可能性を信じ、カーボンニュートラルに向けた選択肢にする。そのために、意志と情熱を持った仲間とともに、未知なる世界への挑戦を続けていく。