豪州産の水素でレースに参戦。"大動脈"から"毛細血管"まで、実際に運んだから見えた課題があった――。
9月18~19日にかけて、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久シリーズ第5戦で、水素エンジンを積んだカローラスポーツ(水素カローラ)が完走を果たした。
今回で3回目となる水素エンジン車両でのレース挑戦。トヨタイムズでは、回を重ねるたびに広がるカーボンニュートラル実現の選択肢と仲間づくり(前編)、車両の大幅な進化(後編)を2本の記事に分けてお届けする。
水素の大量消費へ進む仲間づくり
予選が行われた18日、記者会見に臨んだ豊田章男社長は、今回のテーマをこう語った。
豊田社長
この(水素カローラでレースに参戦する)取り組みはカーボンニュートラル時代において「選択肢を増やす」ためのものです。
1戦目の富士スピードウェイ(静岡県小山町)では、水素を「つくる」「はこぶ」「つかう」というサイクルの「つかう」の選択肢を広げるトライアルだったと思います。
2戦目のオートポリス(大分県日田市)は「つくる」ということで、地熱発電で水素をつくりました。
今回、第3戦の鈴鹿では「はこぶ」と「つくる」。オーストラリアの褐炭からつくった水素を日本まで運びました。
(今回パートナーに加わった)川崎重工は、中部地方における水素の2025年社会実装に向け、自動車に加え、化学や発電など、さまざまな分野で水素を供給し、大量消費のサプライチェーン構築を目指す(中部圏水素利用協議会の)仲間でもあります。
水素エンジン車の挑戦に共感して、海外の水素を日本に運ぶ挑戦をしていただきました。
豊田社長はバックボードを指して続けた。
私の後ろのこのボード。最初はこんなにたくさんの会社はありませんでした。
今回、海外から水素を運ぶにあたり、川崎重工はもちろん、オーストラリアでの水素精製はJ-POWER(電源開発)、精製してからの輸送で岩谷産業にご協力いただいています。
さらに、CJPT(Commercial Japan Partnership Technologies)のFC小型トラックやトヨタ輸送のバイオ燃料トラックでカーボンニュートラルな水素輸送にも挑戦しています。
給水素では、大陽日酸・岩谷産業に加えて、地元のみえ水素ステーションにもご協力いただきました。
このパネルのように、一戦一戦積み重ね、意志ある情熱と行動で仲間づくりが広がっていることをご理解いただけたらと思っています。
前回のレースは九州で水素を“地産地消”した。地熱発電や太陽光発電で水を電気分解し、できあがったグリーン水素を同じ九州域内のサーキットで使用する。そのメリットの一つは、「はこぶ」過程でのCO2排出を抑えること。
今回は遠く離れたオーストラリアから水素を運び、使用する。前回とはまったく異なるアプローチだが、これこそ本格的な水素社会の実現を見据えた取り組みだった。
豪州からつなぐ水素供給の“大動脈”
オーストラリア南東部のビクトリア州。州都メルボルンから東へ150kmのラトロブバレーには、未利用資源の褐炭が豊富に眠っている。
褐炭とは若く、低品位な石炭。水分や不純物を多く含むため、重くかさばる割には発熱量が低い。さらに、乾燥すると自然発火しやすく、輸送も難しい。
そのため、コストは普通の石炭の約10分の1。褐炭から水素を取り出す*のは、数々の水素製造法の中でも、最も経済的な方法の一つと言われている。
*水素製造過程で発生するCO2はCCS(Carbon dioxide Capture and Storage)という方法で地中に埋め込みカーボンニュートラルを実現する(ブルー水素)しかも、地平線まで褐炭層が広がるラトロブバレーには、日本の総発電量の240年分のエネルギーがある。
今回、豊田社長が仲間として紹介した川崎重工業、J-POWER、岩谷産業ら民間各社は日豪政府とともに、この地で褐炭のガス化・水素精製に始まり、水素液化・貯蔵、日本への海上輸送・荷役までの実証事業を行っている。
その一環で、今年度中には、川崎重工が世界で初めて建造した水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」で日本に運ぶ予定だ。この船が一度に運べる液化水素の量は1250㎥。FCEV(燃料電池車)1.5万台分の燃料に相当する。さらに、2025年ごろにはその128倍まで船を大型化。荷役基地も並行して大型化を図り、水素の導入コストを下げていく。いわば、水素供給の“大動脈”を構築する取り組みだ。
実は、日本は可住面積当たりのエネルギー消費も、再生可能エネルギーの発電量も世界一。言い換えれば、エネルギー需要が旺盛な国であるものの、再生可能エネルギーによる対策の多くは既に打たれている状態にある。
このため、2050年のカーボンニュートラル達成に向けては、海外から大量のクリーンエネルギーを運んでくる必要がある。
褐炭はオーストラリアに限らず、世界中に賦存する資源。長期的にも供給の見通しが立てられ、エネルギーセキュリティの面でも、非常に有望な選択肢になりえる。
海外から水素を運ぶハードル
とはいえ、海外から日本へ水素を運ぶには、それ相応の課題もある。川崎重工 水素戦略本部の西村元彦副本部長は言う。
西村副本部長
船のルールは航海上では統一的に使われ、運用されていますが、陸上の設備は国のルールに依存します。オーストラリアの基地と日本の基地では規格が違います。
今回、オーストラリアでつくった水素をボンベに入れて、国内で(ボンベを束ねる機器である)カードルに詰め替える作業をしましたが、口が合わないなどさまざまなことがあって、やっと移し替えました。そこには技術やレギュレーションの壁があります。
日本のレギュレーションは世界的に見ると、あるものは非常に特殊であったり、人口密度の高さから、安全性が非常に高めてあったりもします。
水素を早く普及させようとしたら、インターフェースの共通化をして、同じ技術で回っていくようにしなければなりません。
世界的な動きとしても、できるだけ規制は同じにして、早く普及させようと言われています。ヨーロッパと同じように、さまざまな規制を動かし、改善できればと思います。
水素を運ぶ“毛細血管”で見えた課題
日本へ大量の水素を運ぶ取り組みを“大動脈”とすると、日本各地の消費地へのラストワンマイルの輸送は“毛細血管”と言えるだろう。
今回は、いすゞ、日野、トヨタが輸送業の課題解決やカーボンニュートラル社会の実現を目指して3月に立ち上げた新会社「Commercial Japan Partnership Technologies(CJPT)」とトヨタ輸送が鈴鹿までの運搬を担当した。
CJPTはオーストラリア産の水素を名古屋で受け取り、FC小型トラックで運んだ。トヨタ輸送は福島県浪江町の福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)でつくった水素をバイオ燃料トラックで運搬。陸上輸送のカーボンニュートラルを実現した。
しかし、実際にやってみて、いくつかの課題が見えてきたという。例えば、FC小型トラックは3tまでの荷物を運ぶことができるが、15kgの水素を運ぶためのカードルは1.7tもあり、一度に一つしか積むことができない。
しかも、名古屋-鈴鹿の往復200kmを運ぶのに燃料として使う水素の量は7kg。運んだ水素の半分を使用したことになるという非効率が発生している。
FC小型トラックのドライバーとして、自ら水素を運んだCVカンパニー* CVZ ZMの太田博文CE(チーフエンジニア)は、運び手の目線で気付いた課題を次のように紹介した。
*主に商用車を担当する社内カンパニー太田CE
結論を言うと、運べはしますが、かなり気を遣いました。カードルのサイズが非常にギリギリでした。
水素社会を実現させようとすると、家の前とか狭い路地など、いろいろなところに水素を運ばなければなりません。
それを踏まえて小型トラックで運んだのですが、(荷室が)小さいのでカードルを載せるにはフォークリフトを運転する人、誘導する人、荷室の台を動かす人など3~4人が必要でした。
しかし、毎回それだけかかっていたら運搬になりません。普及を見据えてもっと載せやすいクルマやカードルの構造は何か。物流ドライバーの問題にも関わるので、どうにかして克服しなければと感じました。
「はこぶ」ところを少人数でスムーズにできて初めて、世界のいろいろなところに普及させられるんじゃないかと思います。
CJPTの中嶋裕樹社長(トヨタ・CVカンパニー プレジデント)も、今回の取り組みで見えてきた課題に言及した。
中嶋社長
トラックにも積載重量があります。それと、水素を運ぶボンベの重量には関係がありません。どちらかの規制を変えることで、もっと効率よく水素が運べ、簡易に使っていただける可能性もあります。
水素のボンベ一つとっても、技術的には、もっともっと圧力をかけて、押し込めばまだ入ります。でも、安全の考え方や基準があり、ハードルが越えられない状況です。
例えば、(FCEVで使っている)樹脂のタンクは、もう少し容積が大きくて高圧にも耐えられます。それに替えることで効率が上がるのではないかとも考えました。
こういう言い方をすると、規制だけが悪いように聞こえますが、どういう使われ方を前提に安全率が決められているか、技術的に示されなければならないと思うんです。
だとすると、実際の使用シーンで「こういう環境だから基準はこうすべきではないか」と我々から示すべきで、それをみんなで共有して、基準ができあがっていく。(基準を)つくる側と提案する側が、ともに手を携えてやっていくことが大切だと思います。
FCEVの効率もどんどん上げていきますし、運び方の提案もしていきます。民間だけでなく、国も含めて何が最も効率的かやっていく。そのいいきっかけになればと思っています。
いずれも、その道に長く携わる人たちには既に知られている課題かもしれない。しかし、仲間が広がり、新たに「はこぶ」を実体験して、問題意識を共有する人たちが増えてきたからこそ、その声は大きくなっていく。
水素エンジンでのレース活動をきっかけに、水素社会実現への課題が明らかになり、議論が活発になる。中嶋社長はそんな手応えを言葉にした。
中嶋社長
レースを通じて、仲間づくりが進んで、相談相手が増えたんです。トヨタ社内だけで話をしていても、リアルな現場はわかりません。
現場を知る人と話すと、本当に困っていることが分かるので、一緒に改善に向けた流れがつくれます。こういう議論ができることも大きな仲間づくりです。
カーボンニュートラルは共感で動く
回を重ねるごとに、仲間が増え、水素社会実現に向けた議論が進む。今回、海外で大量の水素をつくり、日本に運んでくる道筋が見えたことで、水素社会の現実味が湧いた人も少なくないはずだ。
冒頭の会見に登壇した川崎重工の橋本康彦社長は会見の席でこんな言葉を口にしていた。
橋本社長
豊田社長が度々言っているように、さまざまな分野の企業がビジョンに共感し、カーボンニュートラルの実現に情熱をもって具体的に歩み続ける、仲間づくりをするのがとても大切だと感じております。
我々のミッションは、水素を大量につくって、安く日本に供給するということですが、サプライ側と「つかう」側が一緒に動いて初めて水素社会が循環していきます。
我々はサプライチェーンを大きくしながら、仲間づくりをしてきました。どこまで使っていただけるかと思っていたところ、トヨタが先陣を切ってその可能性を示しました。
レースという一番過酷な状況で水素エンジンが動いているのは我々川崎重工だけでなく、日本の多くのエンジニアに希望の光と力を与えたと思います。
今はトヨタが引っ張っていますが、国の動きを待つのではなく、我々も一緒になって広げていくことが極めて大事だと思います。
今年5月、豊田社長が初めて水素エンジンでレースに出た際に残したのが、「カーボンニュートラルは共感で動くべき」という言葉。あれから3戦。共感の輪は、確かに広がっている。