5月のレース初参戦から4カ月。ついに、水素エンジンが性能でガソリンエンジンの背中をとらえた!?
9月18~19日、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久シリーズ第5戦で水素エンジンを積んだカローラスポーツ(水素カローラ)が完走を果たした。
カーボンニュートラル実現へ広がる選択肢と仲間づくりを扱った前編に続き、後編は性能でガソリンエンジンに並んだクルマの進化を取り上げる。
ドライバーの会話が変わった!?
予選が行われた18日。会見に出席したGAZOO Racingカンパニーの佐藤恒治プレジデントは、チームに起こったある変化を口にした。
佐藤プレジデント
クルマ全体を総括すると、鈴鹿でフェーズがひとつ変わったと思います。ドライバーのフィードバックがガラッと変わりました。
これまではエンジンの出力もあまり出ておらず、その不足分や弱点を補うために車両をどうまとめていくべきかの議論が多かったと思います。
この鈴鹿からは「130R*でもう少し空力を効かせて走りたい」など、もっと速く走るためにどう改良すればいいかという会話に変わってきました。
*鈴鹿サーキットの超高速コーナー。130Rは曲率半径130mに由来する。これは明らかにクルマのレベルが一段階変わったのではないかと受け止めています。
ガソリンエンジンに並んだ出力・トルク
佐藤プレジデントは、水素エンジンの初陣となった今年5月の富士スピードウェイ(静岡県小山町)での戦いを振り返った。
佐藤プレジデント
満身創痍で走り切った富士24時間に対して、大きな性能の進化が実現できています。開発は非常に順調に進んでいます。
水素カローラで使うエンジンは量産で販売しているGRヤリスとまったく同じものをベースとしていますが、富士のときの出力は10%減。もう少し劣っていたかもしれません。
アクセルを踏んでもなかなかトルクが上がらない状況でしたが、今回のエンジンは、GRヤリスのエンジンが出せるのとまったく同じ性能を実現できています。
わずか3戦の間にここまで開発が進んだのは、納期を決め、アジャイルに仕事が進んだからであり、モータースポーツを起点にしているからこそのスピード感ではないかと思っています。
当時の最高出力は180kW。今回は200kWと4カ月で20kW向上させている。そんなエンジンの進化はROOKIE Racingのチームメンバーも肌で感じていた。
モリゾウ選手こと豊田章男社長が「富士ではST-5と競争していた。そのクルマが現在、プロドライバーが運転するとST-4より速くなってきている」と言うと、片岡龍也監督も「オートポリス(大分県日田市)から出力が上がってきていて、今回はST-4よりも確実にストレートスピードは勝っている。車両自体が重いので、ラップタイムはST-4と同じくらいだが、出力はST-2に近いところまできている」と手応えを語った。
ただ、速くなったのは全開走行だけではない。
佐藤プレジデント
エンジンの出力・トルク特性はGRヤリスのガソリンエンジンとほぼ変わらないカーブを描けています。
ちょうど4000回転以上のいちばんおいしいところのトルクカーブは富士のときとはまったく違うものになっています。
ピークトルクだけだと「10%良くなりました」という話でしかありませんが、サーキットで使うことを考えると、圧倒的にレーシングドライバーが使いたい領域の回転数で走れるようになってきています。
では、どのように出力を上げてきたのか。
GRパワートレーン推進部 山崎大地部長
燃焼室の可視化を進めており、空気がどう入り、水素がどう混ざって異常燃焼が起きるかが見えてきました。その調査を一歩ずつ進めてきています。
その中で「ここが原因ではないか」と狙いをつけて実証をするというのを繰り返し、「こうすると異常燃焼の圧力が小さくなる」「こうすると出なくなるんじゃないか」という解析が進んできました。
それらをもとに、もう少し性能・トルクを上げても抑えられるということが見えてきて、空気の入れ方、燃料の水素の量、水素の圧力などを含め、最適化することで出力を上げてきています。
気になるのは燃費だ。基本的に出力とトレードオフの関係にあるが、出力の向上に対して維持できているという。
次なるレースは11月13~14日に岡山国際サーキット(岡山県美作市)で行われるスーパー耐久シリーズの最終戦。
佐藤プレジデントは「『目指せ! ガソリンを超える出力・トルク』が我々のモチベーションになっている」と意気込みを見せた。
エンジンに負けない車体の改善
エンジンが進化すれば速く走れるわけではない。それとバランスがとれる車体側の進化が必要だ。
水素カローラの開発を担当するGRプロジェクト推進部の坂本尚之CE(チーフエンジニア)はこう解説する。
坂本CE
これまではエンジンがシャシーに追いつく、シャシーはエンジンを助けるセッティングでした。
出力がしっかり出て、加速性能も上がり、最高速度が伸びてきたことで、レーシングカーと同じように、足回りや空力を気にしてアップデートをしなければというポジティブな課題が出てきています。
例えば、今回、タイヤサイズを一回り大きくしている。佐々木雅弘選手は「今まではクルマが重たいのに、260の小さいタイヤだったので、キャパが超えていて、クルマが曲がってくれなかった。今回280になったので、レーシングカーみたいに動くようになった」とコメント。
富士のときは、「3分に1回、プレイグニッション(過早着火。異常燃焼の一つ)がどうだったかという話で、ドライバーもそういった無線をずっと飛ばしていた」と語る佐藤プレジデント。
今回は、モリゾウ選手からも、クルマを速く走らせるための大量のフィードバックをもらったとうれしい悲鳴を上げていた。
給水素もコネクティッド技術も進化
初戦の富士では満タンにするのに5分かかっていた給水素も、次戦のオートポリスでは3分に短縮。鈴鹿ではさらに1分縮めて2分となった。
その変化は見た目で明らか。水素充填車両が横に2台並び、その間にカローラが駐車。それぞれの車両からカローラの両側についた給水素口に水素を流し込む。
佐藤プレジデント
新たな技術革新があったんじゃないかと思われているかもしれません。ですが、4本のタンクを2系統に分けて入れれば2倍のスピードになるという単純な発想だったんです。
2系統を1系統にすることもできるようにつくってあり、その差をどのように制御するかとか、2系統でもそれぞれの充填速度や温度を均等にできるよう制御するトライもやっています。
さらに、車両のデータをモニタリングできるコネクティッド技術も進化させた。
トヨタはこれまでに日本、アメリカ、中国、ヨーロッパを中心に1000万台を超える「つながるクルマ」を販売している。これらの市販車では、数十秒から分単位でクルマとセンターが通信するが、今回のレースでは、秒単位でクルマのリアルタイムな情報を送る。
前回のオートポリスでは市販の通信システムを使用していた。ただ、分析できる対象や情報として視える化されている部分が少なく、エンジニアにとっては歯がゆい状態だった。
今回は、クルマに付ける通信機もゼロからつくり直した。クルマから上げる情報量を増やし、クラウド上に情報処理環境も設けている。
コネクティッドカンパニーの山本圭司プレジデントは「情報を分析した結果のグラフをつくるとか、インジェクション(燃料噴射)の揺らぎも可視化して見せるなど、かなり自由度も上がった。瞬時にいろいろな情報が読み取れるので、分析に必要なリードタイムが短くなり、開発のスピードが上がってくる実感を持っている」と語った。
レースの先を見据えて
いまだ発展途上ながらも、進化を続けている水素エンジン車。レースを戦うための戦闘力を付け、チームの中でも速く走らせるための活発な議論が行われている。
しかし、佐藤プレジデントは強調する。「実際に水素エンジンが世の中を走ったときに想定される課題を考えながら技術開発をやっている。単にレースで勝ちたいというより、ある種の実証、実装実験の役割を持っている」。
あらゆる運転領域で、水素エンジンが安定して動くためにどんな改善が必要か――。
水素ステーションで同時に複数の給水素を行う場合、全体の圧力はどう調整すべきか、どのくらいの速さなら普及に向かうか――。
市販車でもリアルタイムに通信し、分析できるようになったとき、エンジニアの人材育成は追いついているか――。
水素エンジンの技術開発は常にレースの先を見据えている。