Woven City着工に伴い、「ともに未来をつくる仲間」へ社長 豊田章男からメッセージが送られた。
嘘だったら、やばいですよ
コロナ禍になる直前の2020年1⽉6⽇。米国・ラスベガスでWoven City構想が発表された直後に、社長 豊⽥章男とトヨタイムズ⾹川編集⻑はこんな会話をしていた。
⾹川
新年からものすごい発表(Woven City構想)を聞いたんですけど。社⻑、僕はかなり驚いたんですが、本気なんですか?
豊⽥
これだけみんなの前で⾔ってますからね。嘘だったら、やばいですよ。
⾹川
やばいですよね。
豊⽥
はい、やばいですよ(笑)。
⾹川
これはやっぱり、本気なんですね。
豊⽥
本気です。もうやるしかないですよね。
⾹川
やるしかないですね。
豊⽥
やるしかないです。
この会話をした後、世界は、誰もが想像し得なかった “動けない⽇常”に変わっていく。
社長が「嘘だったら、やばい」「もうやるしかない」と腹をくくったプロジェクトは、思いがけず“動けない”中でのスタートとなった。
しかし、それから約1年たった2021年2⽉、Woven Cityの計画が“嘘ではなかった”ことが証明される――。
ともに未来をつくる仲間に向けたメッセージ
2⽉23⽇、“富士山の日”に地鎮祭が⾏われ、ここから建設がスタートする。
これに伴い、ある映像が公開された。それは、一緒に未来をつくっていく世界中の仲間たちへのメッセージだった。
トヨタイムズでは、この映像を紹介するとともに、そこで語られた⾔葉を全⽂掲載したい。
メッセージの冒頭は、動けない⽇常の中で、「決められたことを決めた通りに」進められたことへの感謝から始まる。
そして、改めて、このとてつもなく壮⼤なプロジェクトに⽴ち向かう決意の理由が語られた。
豊⽥という姓に⽣まれてきた人生、だからこそ背負ってきた想いや苦しみ…。
ただ、それがあったからこそ「この街をどんな街にしたいのか?」「それを通じて、どんな世界を実現したいのか?」というビジョンが⽣まれている。
社長が仲間たちと実現しようとしている “未来の幸せ”がどんなものか? この映像を見て、はじめて垣間⾒えてくるものがある。
「誰かのため・未来のために動きたい」
昨年1月、米国ラスベガスのCESにて発表いたしましたWoven Cityプロジェクト。
2月23日、東富士にて、地鎮祭を滞りなく終え、プロジェクトが、正式にスタートいたしましたことを皆様にご報告申し上げます。
コロナ禍において、決めたことを決めた通りに進めるということは、決して簡単なことではありません。
関係者の皆様のご尽力に心より感謝申し上げます。
本日は、Woven Cityに込めた私の想いについてお話させていただきます。
これまでの私の人生を振り返りますと「あなたにはできない」「お手並み拝見」「失敗すればいいのに」「誰も応援しないからどうぞ」。
そう言われ続け、常に「孤独」の中で生きてきた、そんな気がしております。
だからこそ、「誰かのため」「未来のため」に動きたいという想いが、自分の中で強くなったと思っております。
私は、リーマン・ショック後の赤字転落の中で、社長に就任し、その直後に発生した大規模リコール問題では、米国で公聴会の証言台に立ちました。
その翌年には、東日本大震災が発生し、それ以降も、「まるで地球が人間に怒っている」としか思えないほど、毎年のように大規模な自然災害に見舞われました。
さらに、「100年に一度の大変革の時代」と呼ばれるほど、ビジネスを取り巻く環境も激変いたしました。
しかし、多くの困難に直面する中で、常に「孤独」を感じていた私の周りには、ともに闘おうとする仲間が少しずつ増えてまいりました。
彼ら、彼女たちは、どんな困難や環境変化に直面しても、それぞれの現場で、カイゼンを続け、「今やるべきこと」をしっかりやることによって、トヨタを強く、たくましい会社にしてくれました。
Woven Cityの原点
そんな仲間とともに、どんな形で、未来へのたすきを渡すべきか、悩み苦しんだ結果、たどり着いた結論は「ヒトが中心」で、未来のための「実証実験」ができるプラットフォームをつくるということでした。
そして、そのプラットフォームに「今よりもっといいやり方がある」というトヨタのカイゼン手法を根付かせたいと考え、「未完成の街」とすることを決定いたしました。
これがWoven Cityの原点です。
その直後に、新型コロナウィルスが全世界を襲いました。しかし、危機を前に、「立ち止まること」「やめること」しかできなかった10年前の私たちとは違います。
私たちは、コロナ危機の前から、「CASE」と呼ばれる技術革新に取り組んでまいりました。いずれも、トヨタだけではできないことばかりです。
だからこそ、私たちは、あらゆる領域に新しい仲間を求めてきました。変革の準備は整っております。
私たちは、Woven Cityで、多くの仲間とともに多様性をもった人々が幸せに暮らすことができる未来を創造することに挑戦いたします。
“喜一郎の挑戦”はまだ道なかば
今から80年以上前、「日本人にはクルマはつくれない」と言われていた時代に、創業者の豊田喜一郎と多くの仲間は「未来のために日本に自動車産業を興す」という挑戦に、その人生をささげました。
私が58歳になった時、喜一郎の墓前で、手を合わせて、こう伝えました。
「あなたの人生は57歳で幕を閉じました。あなたが果たせなかったこの先の人生は私の身体をおつかいください」
私は、時々、考えます。「今の時代に、喜一郎が生きていたとしたら、何と言うだろうか」。きっと、こう言うのではないかと思います。
「確かに、自動車産業は日本に根付いた。日本の高度成長を支える原動力にもなった。今では、世界中の道を日本のクルマが走っている。しかし、高齢者や障がいを持つ方を含め、移動の自由は実現できたのか。交通事故はなくなったのか。環境へのインパクトはどうか。本当にみんなを幸せにしているのか。日本に自動車産業を興すという挑戦は、まだ道なかば、だぞ。」
その根底にあるのは「人間への信頼」「母国への愛」そして「未来への責任」です。
今、トヨタはグローバルな企業になりました。ホームタウン、ホームカントリーと同じように、地球というホームプラネットを大切にし、次の世代に、美しい故郷を残したい。世界中の人々を幸せにするモビリティ社会をつくりたい。
そのためには、対立ではなく、人の「心」と「和」を大切にする日本の、トヨタの力が役に立つ。それが私の想いです。
この富士山のふもとのWoven Cityがその大きな役割を担っております。
まだ見ぬ18番目の世界
今年は日本にとって、「特別な年」になると思います。東日本大震災から10年。東京オリンピック、パラリンピックも予定されております。
震災からの復興、コロナからの復興が大きなテーマになる年です。
「誰ひとり取り残さない」という姿勢で、国際社会が目指しているSDGsの取り組みを加速させる年でもあると思います。
SDGsの17の目標を3マス×6マスでみると、最後の1つが空いております。
それは、「目標の実現に、本気で取り組んだものだけが、18番目の世界を見ることができる」という意味ではないでしょうか。
SDGsの目標は、いずれも1社だけで到達できるものではありません。
しかし、Woven Cityに関わる全員がそれぞれの役割を果たしていけば、18番目の世界、「世界中の人々を幸せにするモビリティ社会」が見えてくるのではないでしょうか。
そう信じて、地域の皆様とともに、一歩一歩、未来に向けた歩みを進めてまいりたいと思っております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
豊田はスピーチの最後で、Woven Cityのチームメンバーの映像を紹介している。
バトンを受け取る形で話したのは、Woven Planet Holdingsのジェームス・カフナーCEO、豊田大輔SVP(Senior Vice President)、そして、都市設計を担当したデンマーク出身の建築家、ビャルケ・インゲルス氏だ。
それぞれの立場からWoven Cityが、どんな可能性を秘めた街なのか、その魅力を解説している。ぜひ映像を最後までご覧いただきたい。