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豊田会長、米国自動車殿堂入り 仲間と受けた栄誉、共に未来へ

2026.09.24

米国自動車殿堂に豊田章男の名が刻まれた。殿堂入りの意義とは。そして豊田会長は式典で何を語ったのか。現地からお伝えする。

9月23日、米ミシガン州デトロイトで行われた式典では、豊田章男会長ら4組が新たに2026年の殿堂入りメンバーとして迎え入れられた。

三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY

会場には、自動車メーカー、販売店、サプライヤー、モータースポーツ関係者ら米国や世界から700人超が詰めかけた。そんな聴衆に豊田会長がスピーチで伝えたのは、米国への深い敬意。そして殿堂入りは、自動車業界の仲間を代表して受けたものだということ、その仲間たちとともに、未来をつくっていくことだった。

「栄誉は全員のもの」

式典ではまず、殿堂事務局が豊田会長のトリビュート映像を放映。映像は、創業者一家に生まれたものの「豊田章男氏はレガシーを受け継いだだけではなく、自らの手で道を切り開いていった」と紹介した上で、リコール危機への対応、マスタードライバーとしての役割、モリゾウとしてのモータースポーツとのかかわりなどを振り返った。そして、「トヨタが歩んできた歴史を尊重しながら、恐れることなく未来の姿を形作っていった」とした。

その後、殿堂の式典では恒例となっている、受賞者と親交がある人物による祝辞が行われた。今回その役を務めたのはPenske Automotive Groupのグレッグ・ペンスキー副会長。世界最大のトヨタ販売店として知られるロンゴ・トヨタを率い、40年以上にわたり米国でのトヨタの販売を支えてきた人物だ。

ペンスキー副会長は「章男の社長就任は、まさに試練の連続でした。世界金融危機に続いてリコール問題が起こり、新しい名刺のインクも乾かないうちに、米国議会で証言することになりました」と就任直後の危機を振り返った。さらに、Lexus LFAやLC、GR86、ヤリス、スープラ、RAV4、プリウスなどの商品を挙げながら、豊田会長が社長就任当初に「もう退屈なクルマはいらない」と宣言し、人々が振り返るようなクルマを次々と生み出したと紹介した。

豊田会長が52歳でマスタードライバーを目指す訓練を始め、自らクルマの開発や評価に関わってきた歩みにも言及。「章男はトヨタを世界最大の自動車メーカーへと変革しました。それは常識に従ったからではなく、自らの直感を信じる勇気を持っていたからです」と語り、豊田会長の名はビヨンセやボノのように、ファーストネームで通じる「自動車業界のロックスター」だと話してスピーチを締めくくった。

三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY

続いて登壇した豊田会長は、まずペンスキー副会長に「深い敬意と感謝」を伝えると、「話を始める前に、皆さんにちょっとした秘密を打ち明けたいと思います」と切り出した。「2日前、私はオフロード車のテストドライブ中にアクシデントに遭いました。ですから、もし傷だらけに見えるとしたら、それは本当に傷だらけだからです」と会場を驚かせた。

しかし、「でも、ご心配なく。クルマは無事です」。そう話すと、ジョークと捉えた聴衆からは拍手が沸き起こった。聴衆からは傷は見えない。ただ、服の下に隠れた傷の痛みはある。クルマの乗り味を最後に確かめるマスタードライバーとして、式典直前まで評価を行い、怪我をした。意図せずとも、豊田会長のこれ以上ない自己紹介でのスピーチの幕開けとなった。

豊田会長はその上で、スピーチの本題に入った。世界中のトヨタ・レクサスの販売店に対して「これほど素晴らしいパートナーに恵まれた私は、本当に幸運だと思います」と語りかけた。さらに、「今日、私がここに立っているのは、販売店の皆さんとその従業員、そして世界中の約40万人のトヨタ従業員のおかげです。この栄誉は、本当はその全員のものです」と続け、殿堂入りは、皆に支えられて受け取ったものだと強調した。そしてお客様やサプライヤーも含め、「皆さんの心をつかむことが、いつも私にとって最大の原動力であり、最大の励みになっていました」と続けた。

三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY

その後、クルマを人々の手に届けることの意味へと話は及ぶ。豊田会長は「何台のクルマを売ったかは、私にとって一番大切なことではありません。何より大切なのは、そのクルマが買ってくださった方々にどういう意味を持つかです」とした上で、「私たちが売っているのは、『幸せ』なのです。クルマを受け取るときに、不幸せだった人が世界のどこにいるでしょうか。クルマは、心を躍らせ、喜びをもたらす、特別なものです」と語りかけた。「私たちは、世界で最も素晴らしく、最も刺激的で、最もやりがいがあり、そして私に言わせれば最もクールな産業に携わることができるのです」と力強く訴えた場面では、業界関係者で埋め尽くされた会場から、ひときわ大きな歓声が上がった。

殿堂入りの意義 

スピーチはまだ続きがある。しかし会場の雰囲気が伝わったところで一旦式典から離れ、今回の受賞の意義を解説したい。

米国自動車殿堂は1939年、自動車産業を興した先駆者の功績をたたえ、その記憶を後世に残すことを目的に設立された。現在は、経営者や発明家、技術者、デザイナー、販売店、モータースポーツ関係者など、自動車・モビリティ産業を形づくった世界の人々を顕彰している。

これまで最高位にあたる「殿堂入り」を果たしたのは300を超える個人・団体。フォード・モーター創業者のヘンリー・フォード、ポルシェ創業者のフェルディナント・ポルシェ、F1ドライバーのアイルトン・セナらが名を連ねる。日本からの殿堂入りは、ホンダ創業者の本田宗一郎氏ら。豊田会長は日本人11人目となる。

殿堂のサラ・クック代表は、殿堂入りメンバーについて、「それぞれの時代で産業を形づくっただけでなく、世代を超えて世界中のエンジニアやリーダー、自動車を愛する人々に刺激を与えてきた」と説明している。

今回、豊田会長とともに殿堂入りしたのも、モータースポーツ界を代表するエンジニアで、世界有数のレーシングカーコンストラクターのダラーラを創業したジャンパオロ・ダラーラ氏ら、自動車産業とモビリティの発展に様々な形で貢献してきた人々だ。

トヨタからも、豊田会長以前に、豊田英二(1994年)、豊田章一郎(2007年)、豊田喜一郎(2018年)、大野耐一(2022年)が受賞している。

米国に刺激を受け、日本に自動車産業を興した喜一郎。フォードの工場から多くを学び、後にゼネラルモーターズ(GM)との合弁によるNUMMI設立を決断した英二。米国でも学ばれるトヨタ生産方式(TPS)を築いた大野。そして、米国で「日本車」というブランドへの信頼を育て、北米事業を発展させた章一郎。それぞれの功績は、トヨタが米国から学び、米国に根を下ろし、ともに成長してきた歴史と重なる。

豊田会長も、「はるか昔、祖父(喜一郎)と父(章一郎)を奮い立たせた、まさにこの場所から2人は顕彰されることになりました。そして今、豊田家の三代目である私も、2人の足跡をたどり、ここに立っています」と語っている。

そして豊田会長自身にとっても、米国は特別な場所だ。

本人曰く、日本での学生生活はフィールドホッケーのグラウンドとの行き来だった。だが、卒業後に米国・バブソン大学に行ってからはまさに「勉強漬け」の青春の最終章を過ごしたそうだ。その後、トヨタから離れるように金融業界に飛び込んだものの、どこに行っても自動車の専門家として扱われ、「豊田」という名前から逃れることはできないと悟ったのも米国だった。NUMMIの副社長としても、米国で勤務した。

I was not alone

まだ、スピーチの後半には進めない。豊田会長と米国。まず、その縁を示す決定的な出来事を振り返りたい。2009年に米国で始まった品質問題は、最終的に世界で1000万台以上のリコールに発展。米国で報道が過熱する中、就任間もない豊田社長(当時)は下院の監督・政府改革委員会の公聴会に出席・証言し、約3時間にわたり、議員の厳しい質問に一つひとつ答えていった。

公聴会が終わるとすぐに、豊田社長はワシントンに来ていたトヨタ販売店や工場の人たちが集まる激励集会に向かい、こう語った。

In the hearing. I was not alone. 
You and your colleagues across America, and around the world, were there with me.
Your presence was encouraging and inspiring.
Words cannot express my gratitude, but please accept this simple phrase.
Thank you.

公聴会では、私は一人ではありませんでした。
皆さんはもちろん、アメリカ中の、そして、世界中の仲間が、私と共にいてくれました。
皆さんは私に大きな力を与え、私の心の支えとなってくださいました。
言葉では言い表すことができないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
(PHP研究所『上司 豊田章男』(藤井英樹著)より引用)

豊田社長は、こうした言葉を涙ながらに語った。スピーチを終えてからも泣き続けていた。集会が終わってすぐに司会が豊田社長に「これで米国を嫌いにならないでほしい」と伝えに来た。豊田社長自身、米国が大好きだった。その気持ちはこれからも変わらずにいて良いのだと思えた瞬間、抑えていたものが溢れ出ていた。

さらに激励集会を終えた豊田社長は、その夜、CNNの「Larry King Live」に出演した。

「議会では公平に扱われたと思いますか」
「今回の問題の責任は誰にあるのですか」
「トヨタはこの危機を乗り越え、かつての姿を取り戻せますか」

百戦錬磨の名司会者、ラリー・キングから、厳しい質問が矢継ぎ早に飛ぶ。

豊田社長は緊張した面持ちで、「正直に言えば、容易な一日ではありませんでした。私たちの誠意がどこまで伝わったのか、自信はありません」と率直に語った。しかし豊田社長は、その日、自分を支えてくれた人たちへの感謝も繰り返した。販売店、お客様、仕入先、仲間、従業員。「皆が私を支えてくれました。だからこそ、ここまで持ちこたえることができました」。直前の激励集会で口にした「私は一人ではなかった」という思いは、テレビカメラの前でも変わらなかった。

やり取りの空気が変わったのは、番組の最後、話題が豊田社長自身の乗るクルマに移った時だった。年間に約200台のさまざまなクルマを運転していると答えた豊田社長は、最後に短く、「クルマが大好きです」と付け加えた。責任を負う経営者として厳しい質問に答え続けてきた豊田社長が、クルマ好きとしての素顔をのぞかせた瞬間だった。するとキングは、こう声をかけた。

「この先、すべてがうまくいくことを願っています」

極度の緊張から始まったインタビューは、クルマへの愛を示す率直な一言と、それを受け止める司会者とのやり取りで幕を閉じた。そこに至るまで豊田社長が繰り返したのは、責任は自分が引き受ける一方、支えてくれた仲間とともに信頼を取り戻すという決意だった。

この言葉はその後、「I love cars」と訳され、全米で大きく報道された。

当時の様子を、販売店の立場からよく知る人物がいる。デトロイト近郊アナーバーのトヨタの販売店、「トヨタ・オブ・アナーバー」の代表、マイケル・スパイグル氏だ。

スパイグル氏は、2003年に業界入りし、一貫して販売店の業務に携わってきた。スパイグル氏は、当時を「先行きが不透明で、次に何が起きるのか分からなかった」と語り、自分の車の安全性について心配する顧客の声を受け止める毎日だったと振り返った。しかし、「トヨタは安易な逃げ道を取らなかった。事態を非常に深刻に受け止めて、しっかりと責任を取った」という。そして、「あれから16年が経ち、トヨタは今も業界の標準であり続けている」と語り、米国の顧客の声に耳を傾け続け、利益だけでないクルマづくりを追求することで「信頼を勝ち取っていったのだと思う」と話した。

アナーバーが位置するミシガン州は、GM、フォード、クライスラーという米ビッグ3のおひざ元。そんな土地柄で、トヨタ・オブ・アナーバーは州最大のトヨタ販売店として、年間3000台を販売している。新人教育をする部屋の壁には、「I(私)でなく、We(私たち)で語ろう」という、チームで働くことの大切さを説く目標が掲げられている。

You are not alone

豊田会長が、米国での殿堂入りを「この栄誉は全員のもの」と語った理由は、2010年のあの日にさかのぼる。責任を引き受けたのは自分だった。しかし、そこから立ち上がり、信頼を取り戻し、もっといいクルマをつくる歩みは、一人では成し遂げられなかった。「米国を嫌いにならないで」。そう言って支えてくれた仲間達がいる場所で、殿堂に入った。トヨタを厳しい目で見たのが米国なら、フェアに評価してくれたのも米国だった。

2026年9月23日の殿堂入り式典の会場に戻ろう。豊田会長のスピーチは、終盤にさしかかっている。

「私たちが力を合わせれば、人々の暮らしをより良くする、並外れた力を発揮できます。優れたスーパーヒーローがそうするように、私は、それぞれの強みを結集し、私たちの力を『善いこと』のために使うべきだと信じています」
「力を合わせ、社会に良い影響をもたらすために何ができるのかに、もう少し目を向けてみませんか。皆で同じ方向にこぎ進めたら、素晴らしいと思いませんか。ワールドカップのノルウェーのファンのように!」

両こぶしを胸の前で掲げ、「ルー!」と叫ぶ。会場が歓声を上げて呼応する。

三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY

「共に歩めば、私たちに想像できないことはありません。創り出せないものはありません。そして、乗り越えられないものはありません」
「道が私たちをどこへ導こうとも、その旅を一緒に楽しみましょう。」

式典後、参加者の一人がこうつぶやいた。

「Akio, you are not alone」

豊田会長のスピーチ全文

豊田会長のスピーチ全文はこちら

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