8月30日にトヨタ本社内で発生した火災。翌朝の現場に豊田の姿があった。豊田が伝えようとしたこととは。
8月30日夕方、トヨタ自動車本社の敷地内にある研究開発施設で火災が発生した。豊田市消防本部の協力のもと、充満した煙を外に出し、約2時間半後に鎮火した。幸いなことにけが人はいなかった。
翌日の土曜日、火災現場に社長の豊田の姿があった。別の仕事をキャンセルして、急きょ、現場に駆けつけたという。
実際に火元となった現場で、当時の状況について、エンジニアからの説明に耳を傾けていた豊田が口を開いた。
地域の皆様にご心配をお掛けして大変申し訳なかった。また、多大なるご協力をいただいた消防、警察の方々に感謝しなければならない。けが人がでなくて本当によかった。
危険が伴う仕事でも、ずっとやっていると危険なことが当たり前になってくる。ここが危険だ、ここは特に注意が必要だというところをはっきりさせないといけない。自動化も必要だが、人間の危険予知能力もリスペクトして、より安全な体制を整えてほしい。安全はすべてに優先する。とにかく安全第一で考えていこう。
今回の件に関わった若いエンジニアが責任を感じて落ち込んでいることを聞くと、豊田はこう語った。
そのエンジニアに伝えてほしい。「いろいろな方にご迷惑をお掛けしたことは反省しないといけない。幸いにしてけが人が出なかったのだから、この失敗を安全のためのノウハウにしていこう」と。上司は部下を責めたらいかんよ。新しいものをつくろうとしているわけだから、失敗してしまうこともある。そのために私がいるんだから。
せっかくの機会だから、何か私に伝えておきたいことはある?
現場で社員と向き合ったときに、豊田は必ずこう質問する。
中途入社で入ったというエンジニアがそれに応えた。
失敗を経験しないと先の技術はできないので、社長にそう言っていただけるのは本当にありがたい。トヨタは恵まれていると思う。恵まれた環境でやらせてもらっているありがたさを感じている。社長が「失敗してしまった時のために私がいる」と思ってくれていることを肌で感じたので、もっともっとチャレンジしたいと思う。それが今回ご迷惑やご心配をかけた方々への恩返しになると思う。
豊田はこう続ける。
私が技術部に期待することは、新しい技術を一番早く出すことではない。トヨタが出したら信頼できるとお客様に思っていただくこと、信頼されることで一番になりたい。研究開発の領域は、先がわからないことに挑戦しているのだから、上司の人たちは「全部完璧にしろ」と言うのではなく、「ここだけはこだわれ」とか「これが出来たら次に行こう」とか、優先順位をつけて、やらせてあげてほしい。
別のエンジニアが口を開いた。
我々と同じ仕事をしている方々もいる。今回の件をしっかりと解析して、同じ失敗が繰り返されないように、知見をお伝えすることも大切なことだと思う。
豊田が頷きながら答えた。
我々はこういう経験をした。その経験値を信頼につなげていかなければならない。同じ失敗が起きないように、我々が危ないものは危ないと言っていかないといけない。
最後に全員にこう告げて、豊田は現場を後にした。
火災の翌日にこうして現場に入ることができたのも、消防や警察の方々のご協力のおかげ。地域の方々に信頼いただけるよう安全な職場をつくっていこう。
災害や事故が発生した時に、豊田は必ず現場に入る。どうしても自分が行くことができない時は、他のトップに現場に入るよう指示をする。それは、報告書では決して知ることのできない真実が現場にあると考えているからだ。
今回も現場に入ったからこそ、エンジニアの心情や状況、消防や警察の方々にどれだけお世話になったかということを、豊田は肌で感じることができた。
また、こうした現場に入った時、豊田は必ず失敗体験を人材育成につなげようとする。人材育成こそが真の対策になると考えているからだ。
そして、もう一つ。トップ自らが現場に入ることで、全社をあげて、今回の火災と向き合い、安全を最優先に取り組んでいることを、ご心配をお掛けした全ての方々に伝えようとしたのではないだろうか。