今年、新たに"プレジデント"となった3人を、自動車研究家 山本シンヤ氏が直撃! 第1弾は佐藤恒治社長編。これまでのトヨタマン人生を掘り下げた。
「モリゾウさんを笑顔にしたい」の原点
そして、ついにクルマづくりの中枢ともいえる製品企画本部に異動し、最初はカムリを担当。
と言っても最初は部品の質量のPC打ち込みや認証届出資料の作成、試験車の洗車などが主な仕事でした。
逆に言うと、そういう下積みをやったことで、「CEごとにクルマのつくり方は違う」ことが分かりました。個性的な魅力をつくるためには、「意志」や「哲学」が大事だと感じました。
その後、3代目GSではCEを補佐する番頭役(主査)を担当。ただ、当時GSは「開発をどうする?」、「3代目は本当に必要か?」という議論が社内で巻き起こっていたそうだ。
社長のところに上がる前には、もう「×」が2個ぐらいついていて、開発中止指示書も来ました。
そんな中でも、「このクルマは出すべきだ」という現場の情熱を章男さんが認めてくれて、「そこまで言うならやり切ってみろ。その代わり、モリゾウが納得できる走りで笑顔にしてくれよ」と。
それまで章男社長は遠い存在でしたが、これをキッカケに「モリゾウさんを笑顔にするクルマつくりたいな」という想いが芽生えました。
そんなGSは2011年にアメリカ・カリフォルニア州ペブルビーチで発表。かなりの自信作だったが、北米のジャーナリストの評価はと言うと「レクサスはつまらない」だった。
歯を食いしばって、走りも頑張って、全部やって出したのに、そのような評価でした。
でも、振り返ると「我々の前提条件ならばこれがベスト」だっただけで、「世界と戦うってそういうことじゃないんだな」と。
レクサスの変化点「できないからやるんだよ」
そして2012年のデトロイトショー、レクサスは「LF-LC」と呼ばれるコンセプトモデルを発表。
GSでの「レクサスはつまらない」を打破するために開発されたデザインコンセプトだが、お披露目すると予想を超える評価から、章男社長は「やろうよ」と市販化GOを出した。
そのCEとして任命されたのが佐藤氏。あの時の内山田氏の提案がついに現実になったのだ。
でも、CEと言っても、部下はおらず私1人のみ。自分でレイアウト図を作成しましたが、あのデザインとそれまでのトヨタが持っているリソーセスを組み合わせると、法規を満たさないどころかクルマにならず……。
そこで、章男社長に「せっかくCEにしていただきましたが、このクルマは無理です」と話しました。
すると「今のトヨタではできないことは分かっている。だからやるんだよ。できないからやる。それが挑戦なんだよね。だからまず自分を変えていくところからじゃないの??」と。
つまり、自分のリミッターを外せと。そこがレクサスの大きな変化点だったと思います。
そんなLCの開発中に印象に残るエピソードなどはあるだろうか?
これまでのトヨタ/レクサスの課題はクルマの動き、特にヨー(クルマの上下を軸とした回転挙動)方向の動きにリニアリティ(連続性)がない所だと思っていたので、そのアイデアを形にすべく、手持ちのクルマ(LS)とポンチ絵だけで先行試作車を製作。
「慣性諸元が良ければクルマの動きはもっとリニアになる」という計算を実証するためです。
これに章男社長……マスタードライバーに乗ってもらい自分たちの考えが間違っていないかを確認しようと考えました。
「そんな中途半端なものでは」と反対の声もありましたが、私は、東富士に役員研修会で来た章男社長に半ば強引に駆け寄って「LCの佐藤です。今日、乗ってほしいものがあちらに」と。
章男社長が試作車を見てまず言ったのは、「このクルマのどこは評価しちゃいけないのかを教えてほしい」と。
私は「アクセルレスポンスはハチャメチャ、トランスミッションもガタガタです。見ていただきたいのはステアリングの切った量とヨーの動きのつながり、リニアリティのみ。これがマスタードライバーの目指すクルマなのかどうか。それだけを知りたいので、あとは見ちゃダメです」と言うと、「おお、分かった」と。
そして、試乗後に「ここはこういう方向だよ」と言ってくれたので、LCの開発ではそこを徹底的にこだわって進めました。
2017年に登場したLCの評価は、言うまでもないだろう。登場からすでに6年が経過しているが、その美しさ、走り、存在感は今でも全く色褪せていない。