今年、新たに"プレジデント"となった3人を、自動車研究家 山本シンヤ氏が直撃! 第2弾はBEVファクトリー加藤武郎プレジデント編。これまでのトヨタマン人生を掘り下げた。
自動車研究家 山本シンヤ氏によるトップインタビュー第2弾は、5月に発足したBEV(電気自動車)ファクトリーの加藤武郎プレジデント編。
前回の佐藤恒治社長編に続いて、今日までのキャリアや個性、クルマ愛を掘り下げてもらった。
「BEVが大好き」と語る加藤プレジデントの原体験は? 波乱の会社生活を経て、新組織を託されるに至った経緯まで、ここでしか読めないインタビューをお届けする。
異色の経歴 勉強嫌いが本気で勉強
(以下、山本氏執筆)
加藤氏は大学では電子工学科に在籍。暮らしていたのは、交通の便があまり良くない場所で、移動はいつもバイクだった。
元々は、“生活の足”として購入したものだったが、いつしかその魅力にとりつかれ、嫌いな勉強そっちのけで、どんどんのめり込むように…。
ただ、バイク好きとは言っても、ガンガン走るのではなく真っすぐな道を風を受けながら走る“クルージング”が大好きだった。
将来はバイクの仕事をしたいと思っていましたが、(採用の)枠がなく。さらに就職も成績のいい人たちから決まっていくため、なかなか自分に回ってこず(笑)。
ただ、親元(愛知県出身)に戻ろうという気持ちもあったので、愛知県の会社で乗り物と言えばトヨタだな……と。
そんな経緯で、ある意味渋々(⁉)入社した加藤氏。電子工学を専攻していたのにも関わらず、配属されたのはボデー設計部だった。
実は最初はデザイン部希望でした。昔から絵を描くのが好きで、自分でスケッチなどを良く描いていました。
ただ、人事の方や諸先輩方に伺うと、「それはあなたの仕事ではない」と一喝。「それができないならば、目に見える所だ!!」とボデー設計部を希望。
ただ、最初は本当に苦労しました。そもそも「図面って何ですか?」というレベルでしたので(汗)
最初の仕事はボデーではなくガラス。合わせガラスと強化ガラス「どちらがいいか?」や、クルマのガラスはラウンドしているので「どんな形状なら成立するのか?」といったことを、サプライヤーさんと一緒にやりました。
ただ、ボデー同様、ガラスのことも全く知らないので、週末に書店に行ってガラスの本を買い漁って勉強しました。
何も分からず配属されたことがキッカケで勉強嫌いが本気で勉強。その甲斐あってその後はさまざまなプロジェクト・業務を任された。
思い出深いのは、内装担当の時に初めて側面衝突の評価基準が導入され、ドアトリムの形状検討の際に身体の構造に注目したことです。衝突時に人間がどう動くかを調べて衝撃吸収材の位置を決めました。
実は大学では電子工学科ながらも先生は音声・医学関係の教授という変わった学部でした。喋っている人を横からレントゲンで撮影した画像を用いて、舌のスピードや動き方など人間を研究していましたが、そこでの経験が設計に活きるとは、驚きでした。
生産部門へ異動 技術の翻訳に苦労
2009年、20年在籍したボデー設計部から畑違いの生産部門の新車進行管理部に異動。
クルマの開発日程だけではなく、開発が終わってからの生産準備の進行管理を行う部署だ。ここでは技術のことを理解した上で「日程をどう流していくか」が重要となる。
これまでクルマのボデーに特化した仕事をしてきた加藤氏だが、“会社全体”を知ることになる。
これまでは技術部のメンバーとしか話をしたことがありませんでしたが、初めて生産部門の人と話をしました。最初は技術用語が通じず苦労。技術では当たり前の部品名を言っても「何ですか、それは?」と。
そこでどんな役割をする部品かを、常に説明するように心掛けました。今思えば、技術と生産の翻訳者というイメージだったと思います。
2011年に車両基盤企画部に異動。聞きなれない部署だが、簡単に言うとTNGA(TOYOTA New Global Architecture)の先行開発のような業務である。
ある意味、ボデー設計の経験が存分に活きる部署に返り咲いた加藤氏だが、今までのそれとはちょっと違った。
これまではボデーに特化した仕事でしたが、ここでは「クルマ全体の中でボデーとは?」ということを、大先輩の森本(清仁)の下で勉強しました。
ボデーのパッケージをつくる上で、剛性を上げる、質量の配置、タイヤの特性などを一つずつ整理していくと、「どのようなクルマになるのか」が理解できました。
その後、古巣のボデー設計部に戻ってTNGA全てのプラットフォーム計画と開発を担当しました。