東京2020パラリンピックを前に、国際パラリンピック委員会の前会長フィリップ・クレイヴァン氏に森田記者がインタビュー。
いよいよ東京2020パラリンピックが開催される。トヨタは大会のワールドワイド・パラリンピック・パートナーとして、モビリティ面を中心に大会をサポートしている。トヨタと国際パラリンピック委員会(IPC)との関係がはじまったのは2015年のこと。2016年から2024年までの夏季・冬季パラリンピック競技大会や関連活動についてグローバルで支援を行うというスポンサー契約を締結した。
そのときIPCの会長を務めていたのが、現在トヨタ社外取締役を務めるフィリップ・クレイヴァン氏だ。16年に渡りIPCを率いてきたクレイヴァン氏は、初対面から豊田社長の信念に共感したという。そんなクレイヴァン氏に東京2020パラリンピックへの期待やスポーツへの想い、トヨタで取り組んでいる挑戦について聞いた。
見てほしいのは「純粋なスポーツの姿」
まず森田記者が聞いたのは、東京2020パラリンピックのこと。オリンピックの興奮冷めやらぬ東京で開催される、もうひとつのスポーツの祭典だ。2018年までIPC会長としてパラリンピックを見てきたクレイヴァン氏は、コロナ禍という前例のない環境下でのパラリンピック開催について、どう感じているのだろうか。
森田
東京2020パラリンピックがいよいよ開幕します。クレイヴァンさんは、今どんな心境でしょうか。
クレイヴァン
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されるのは、本当にすばらしいことだと感じています。そして組織委員会は、いわばエンジンとして大変うまく準備を進めてきたと思います。表に出るのは会長や幹部ですが、その背後では、困難な状況下で多くの人たちが大会開催の準備を進めてきました。
私は、大きな関心を持って今回のオリンピックをテレビで観戦してきました。常々感じているのですが、オリンピックはパラリンピックにとって、いいテストイベントになるからです。さまざまな課題が、オリンピック期間中に解決されたと確信しています。ですから、これから東京で素晴らしい大会が始まることを楽しみにしていますよ。
続けて森田記者は「パラリンピックのどこを見てほしいですか」と質問。オリンピックはさまざまなスポーツの世界一を決める大会として、見どころは分かりやすい。一方のパラリンピックは、これまで見たことがないという方も多いだろう。これに対し、「見てほしいのは純粋なスポーツの姿だ」とクレイヴァン氏は言う。
クレイヴァン
見てほしいのは、とてもシンプルで、相互に関連する2つのポイント。アスリートとスポーツそのものです。パラリンピックでは、最も純粋なスポーツの姿というものを見ることができるでしょう。
そしてパラリンピックでは非常に優れたアスリートたちを見ることができます。例えば私と同じロンドン出身のジョニー・ピーコック選手は、ロンドン2012大会とリオ2016大会の100メートル走の金メダリストです。片足に義足を付け、11秒を切るタイムで100メートルを駆け抜けました。信じられますか?実際に目の当たりにしたら、その姿に衝撃を受けると思いますよ。
誰もが同じルールで競い合えるパラスポーツの魅力
実はクレイヴァン氏自身も、車いすバスケットボールのイギリス代表選手として5度のパラリンピックの舞台を経験したパラアスリートだ。パラスポーツには、選手によって身体能力が違うという特有の課題がある。異なる障がいのレベルを持つ選手たちが、同じ競技の場、同じルールの下で競い合うために、どんな工夫をしているのだろうか。クレイヴァン氏は、車いすバスケットボールを例に説明してくれた。
森田
パラリンピックでは、障がいを持つ選手たちが同じルールの中で戦うために、いろいろな工夫が詰まっているそうですが、具体的に教えていただけますか。
クレイヴァン
とてもいい質問ですね。私自身も車いすバスケットボールのプレーヤーで、現役を引退するまでに代表として200試合近くプレイしてきました。日本でも何度かプレーしたことがあります。その後、クラス分けに関わることになりました。
障がいではなく、選手たちについて話しましょう。チームの中には、異なるレベルの身体能力を持つ選手たちがいます。例えば、私のように胸から下が麻痺している者と比べると、下肢の一部が切断された選手は、座った状態ではるかに体のバランスがとりやすいのです。
そこで、コート上の5人の選手にはポイントシステムが適用されます。片足が切断された選手は4.5ポイント、私は1.5ポイントの選手という具合です。そしてコート上の選手のポイント合計が常に14ポイント以内になるように組み合わせるのです。こうして異なるレベルの身体能力を持つ選手たちを組み合わせることで、お互い公平に競うことができます。このようなシステムを採用することで、車いすバスケットボールを含めたパラリンピックはうまく機能しているのです。
さらにクレイヴァン氏は、パラリンピックスポーツの魅力を熱く語る。ひとつは「ボッチャ」というスポーツのエピソード。ボッチャは「ジャックボール」と呼ばれる白いボールめがけて6個のカラーボールを投げ、いかに近づけられるかを競うスポーツで、パラリンピックの正式競技でもある。カラーボールは投げても転がしてもOKで、クラスによってはランプと呼ばれる滑り台のような用具を使った投球もできる。障がいの有無に関わらず、あらゆる人が競い合えるスポーツだ。
実はクレイヴァン氏がIPCの会長を務めていた2017年10月、クレイヴァン氏率いるIPCチームが東京都知事チームとボッチャで対戦したのだという。だが都知事チームが予想外にすばらしいプレーをして、IPCチームは負けてしまった。おそらく試合前に何カ月も練習してきたのだろう、とクレイヴァン氏は嬉しそうに振り返る。老若男女、誰もが同じ土俵で戦えるスポーツだからこそのエピソードだ。
もうひとつ紹介してくれたのは、視覚障害者のための5人制サッカーだ。
クレイヴァン
5人制サッカーも、健常者のサッカーと同じようにブラジルやアルゼンチン、ポルトガルなどが強豪国なんです。きっと皆さんに楽しんでいただけると思いますよ。
パラリンピックが開催国に与える“ポジティブな変化”
現場でプレイする選手から、大会を管理するIPCの会長へと役割を変えながら、一貫してスポーツと関わってきたクレイヴァン氏。IPC前会長という立場から、パラリンピックが開催国や開催都市に及ぼす効果について語ってくれた。
クレイヴァン
2つの開催都市を例として紹介しましょう。ひとつは1992年の開催都市、バルセロナです。私にとっては現役を引退してはじめて迎えた大会でした。大会から10年後の2002年、私は10周年の記念式典に出席するため再びバルセロナを訪れたのですが、スペイン、カタルーニャの人々は10年間に劇的な変革を成し遂げていました。街の中心部全体が、バリアフリーになっていたのです。車いすでどこへでも行くことができ、歩道と車道の間には傾斜が用意されていました。
2008年の北京でも同様のことが起きました。北京では大会に備えて大規模な工事が行われましたが、大会後も中国のあらゆる都市でその取り組みが引き継がれ、誰もが利用できる都市へと変わっていったのです。
パラリンピックによって変わるのはインフラだけではない、とクレイヴァン氏は言葉を継ぐ。開催都市の住民、そして国民全体の心にも大きな変化が起こるのだ。
クレイヴァン
パラリンピックを見て、アスリートたちが成し遂げたパフォーマンスを見れば、障がいというネガティブな発想から、ポジティブな考え方へと心が動かされます。そして気がつくのです。「彼らがあれだけできるのに、私はどうだろう。“できない”で終わらせていいのだろうか?」とね。
森田
オリンピックによってマイナーなスポーツが注目を集め、人気スポーツになることがあります。一方パラリンピックは、私たちにどんな影響を与えてくれるのでしょうか。
クレイヴァン
パラリンピックは、オリンピックよりも、さらに大きなインパクトがあると考えています。もちろんオリンピックには、これまで知られていなかった新しいスポーツを見ることができ、プレイする人が増えるという効果があるでしょう。
一方でパラリンピックは、人生の全く新しい側面を見せてくれるのです。テレビでパラリンピアンを見る人もいるでしょうし、大会ボランティアとしてパラリンピアンと出会うこともあるでしょう。どちらにしても、彼らはあなたの人生に新しい視点を与えてくれるはずです。
パラリンピアンはアスリートとして優れているだけでなく、人間としてもすばらしい人たちです。彼らと接することで、豊田章男社長のような企業の方からボランティアまで、あらゆる人がインスピレーションを受けるでしょう。
2つの組織に共通する価値観とは
そして話題は豊田社長の印象へと移っていく。クレイヴァン氏が初めて豊田社長と会ったのは2015年。トヨタがIPCとワールドワイド・パラリンピック・パートナー契約を結んだときの会長がクレイヴァン氏だったのだ。豊田社長の第一印象を、クレイヴァン氏はこう語る。
クレイヴァン
東京での調印式の前日、私は豊田社長とディナーをご一緒しました。IPCの同僚と一緒に会場に向かい、エレベーターのドアが開いたら、目の前に豊田社長が待っていてくれました。そのエネルギーあふれる笑顔をひと目見て、私は「この人とはうまくやれそうな気がする!」と思ったことを覚えています。私たちが一緒に取り組めば、お互いのエネルギーが重なって、さらに素晴らしいものを生み出すことができるだろうと感じたのです。
さらに付け加えるとすれば、とてもポジティブなエネルギーの塊、それが章男さんでした。私の尊敬する妻や家族を除いて、私にインスピレーションを与えてくれた数少ない人物の1人です。私たちは、他の誰かからエネルギーを受け取ることで、もっと前へ進もう、より良いことをしようと思えるのだと思います。そういう意味では、私たちは響き合ったのです。
実は8月8日に放送したトヨタイムズ放送部のLive配信で、豊田社長は「初めて会ったときから、“ずっと知り合いだったのかな”と思うほど、最初から意気投合しました」とクレイヴァン氏との出会いについて語っていた。出逢った瞬間からお互いに、共鳴し合ったことが分かる。
豊田社長とクレイヴァン会長。立場も国籍も、これまで歩んできた道のりもまったく違う2人が、どうして出会ってすぐに響き合ったのだろうか。それは、2人が同じ方向を向き、共通する価値観を持って組織を率いてきたからだとクレイヴァン氏は言う。
森田
なぜお2人は響き合ったのでしょうか。トヨタとパラリンピックを結びつけるものとは何でしょうか。
クレイヴァン
これもいい質問ですね。私たちに共通するもの。トヨタとIPC、どちらの組織も同じように闘志を持っています。そして、より多様でインクルーシブ(包摂的)な社会にどのように貢献していくかを常に考えています。トヨタはモビリティを通じて。IPCはスポーツを通じて。
さらに2つの組織に共通するものとして、マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えて前進していくことができる、という点があります。そしてどちらの組織も自らのルーツや核となる原則といった原点を決して忘れません。例えばトヨタには、チャレンジ、現地現物、カイゼン、チームワーク、感謝といった価値観が根付いています。一方IPCには、強い決意、勇気、インスピレーション、そして機会の平等といった力強い価値観があります。
豊田社長は2016年にドイツのボンにあるIPC本部を訪れた際、IPCのスローガンである「One World, One Dream, One People」に「One TOYOTA」を追加して記帳した、というエピソードがある。そのことについて森田記者がたずねると、クレイヴァン氏ははっきりと覚えていた。
クレイヴァン
2008年の北京大会閉会式のときに、オリジナルのスローガンである「One World, One Dream」に私が「One People」を加えたのです。そんなことを章男さんに説明したら、彼はすぐに「One TOYOTA」を追加して紙に書いてくれました。
私は今でもその紙と、その場面の写真を持っていますよ。
Start Your Impossible
2017年にIPC会長を辞めたクレイヴァン氏は、2018年にトヨタの社外取締役に就任。「すべての人に移動の自由を」というトヨタの挑戦をサポートするためだ。スポーツに人生をささげてきたクレイヴァン氏が、自動車会社の一員となる。そこには、どんな決断があったのだろうか。
クレイヴァン
IPCとトヨタは8カ月ごとに会議を行っていました。ある会議の後、章男さんが他の参加者に席を外してもらうよう頼みました。その場に残ったのは、私と章男さん、そして人事のトップの方の3人だけでした。そしてその場で、トヨタの社外取締役の打診を受けました。
章男さんは、「先ほどのミーティングでのあなたの発言を、とても心配しています」と切り出しました。「もしかしたら、あなたはトヨタの社外取締役を引き受けてくれないかもしれません」というのです。実は、私はそのミーティングで、「IPCの会長を退いたら、好きなことをやるつもりだ」と話していました。私は「どんな物事にも例外はあります」と答え、すぐに彼の依頼を引き受けました。
そして、この仕事は私たちが情熱を注ぐべきすばらしい仕事だと分かりました。今、私はほとんどトヨタに恋をしているようなものです。
私は、人生において新しいエキサイティングな時間を過ごしています。これまで私の人生は車いすバスケットボールとパラリンピックによって満たされてきましたが、今はもしかすると同等かそれ以上に、トヨタの未来がどこに向かうのか、ワクワクしていますよ。
パラリンピックをさらに振興し、すべての人々に体を動かす楽しさやスポーツの自由を広めたい。そんなクレイヴァン氏の強い想いは、個性と多様性を尊重する豊田社長の理念と響き合い、さらなる大きな流れへとつながっていく。
インタビューの最後に、クレイヴァン氏はこんなメッセージをくれた。
クレイヴァン
パラリンピアンは、優れたアスリートであると同時に、すばらしい人間でもあります。彼らは多くの不可能に直面しながら挑戦し続けてきた人たちなのです。ぜひパラリンピックで彼らと接して、皆さんも人生に挑んでください。そして前に進み続けてください。
トヨタがグローバル企業チャレンジとして掲げる「Start Your Impossible」の理念を体現する舞台、それがパラリンピックなのだ。