30周年を迎えた中国の学校に、社長の豊田が色紙を贈った。伝えたかったのは、創業以来トヨタが受け継いできたDNAだった。
9月1日、トヨタと中国の自動車メーカーである金杯(じんべい)汽車が共同で設立した「遼寧トヨタ金杯技師学院」が開校30周年を迎えた。
30年で50倍
中国東北部に位置する遼寧省の省都・瀋陽(しんよう)市。人口は約830万人と東北部最大であり、商業や経済、交通、文化の中心地として知られている。この町に、遼寧トヨタ金杯技師学院の前身である「中国汽車工業トヨタ金杯技能工養成センター」が設立されたのは1990年のことである。
当時の中国とトヨタ、金杯の状況を振り返ってみたい。
55万台。これは同校が設立された1990年の中国における自動車の販売実績だ。今や世界最大となった中国市場の昨年実績(2580万台)と比較すると、わずか50分の1の規模ということになる。
当時、トヨタは中国に車両工場を持っておらず、完成車輸出や、現地メーカーと契約を結び、日本から送った自動車部品を組み付ける「ノックダウン生産」を続けながら、現地生産の道を検討していた。
そのころの中国で自動車と言えば、公用車やタクシーだ。中国では人や物資を載せて悪路を走っても壊れない、頑丈なクルマへのニーズが高まっていた。そこで、金杯からトヨタに技術援助の申し出があり、1988年11月に「商用車の生産に関する技術援助契約」を締結した。
トヨタが生産技術を供与して誕生したのが、金杯ブランドのハイエース「海獅(ハイシー)」だ。高性能、高品質なマイクロバスとして人気を集め、金杯はこのカテゴリーで中国最大のメーカーへと成長。発展著しい中国を人や物資の輸送の面で支えた。
中国の発展のためにできること
中国の人々の暮らしを「移動」の面からサポートしたのが「海獅」だとすれば、「中国汽車工業トヨタ金杯技能工養成センター」の使命は、中国のモノづくりを「人財」の面からサポートすることだった。
まだ、中国に工場を持たないトヨタが現地で受け入れてもらうために、どんな貢献ができるのか――。自動車産業政策を担当する「中国汽車工業総公司」(現中国汽車工業協会)に相談する中でたどり着いたアイデアが、日本のモノづくりを教える学校を造ることだった。
1991年6月、中国汽車工業トヨタ金杯技能工養成センターの完工式で、豊田章一郎社長(現名誉会長)はこんな言葉を残している。
「トヨタが創業以来、大切にしてきた理念は『モノづくりは人づくり』、まず、モノづくりを担う人を育てるということです。この理念のもと、優秀な人材の育成のご支援をさせていただきます」
来るべきモータリゼーションの時代を控え、自動車産業の基盤を整えなければならない。そのために必要なのは、モノづくりを支える知恵と技能を有した「人財」を育てることだ。中国自動車産業の発展に人づくりで貢献する。これこそがトヨタの中国事業の「初心」であった。
1学年100人程度で立ち上がった中国汽車工業トヨタ金杯技能工養成センターも、現在では4000人の生徒が在籍するようになり、これまでに3.5万人の卒業生を送り出した。彼らは今、自動車産業を中心に、中国のさまざまな企業でモノづくりを支えている。
受け継がれる想い
社長の豊田章男は、2005年に初代中国本部長を務めている。その当時から口癖のように繰り返す言葉がある。
「世界一ではなく、町いちばんの会社を目指そう」
「お互いにありがとうと言い合える関係をつくろう」
「いつの時代もトヨタのクルマづくりの真ん中には人がいる」
どんなに時代が変わっても、お世話になる国や地域が違ったとしても、その町の人々の笑顔につながるかどうかを考えながらクルマをつくる。そのために「人財」を育てる。
これができるのは、その国や地域の学校教育や家庭教育があるからこそだ。すばらしい「人財」をトヨタに与えていただいたことに心から感謝をする。「人財」がトヨタの中でさらに成長し、今度は町の人たちのお役に立っていく。そこから笑顔が生まれ、「トヨタがいてくれてよかった。ありがとう」と言ってもらえる関係が生まれていく。
それが豊田の目指す企業の姿であり、トヨタが創業のころからずっと大切にしてきた価値観でもある。
遼寧トヨタ金杯技師学院の開校30周年の節目を祝う色紙に、豊田がしたためたのは「不忘初心」。「初心忘るべからず」という言葉だった。