全チャネル併売が始まる日本の販売店に豊田章男が伝えた「今を生き抜くヒント」とは?
毎年1月にトヨタ自動車が全国販売店を地元愛知に迎える日がある。その目的は2つある。1つは、販売店の1年間の努力・成果に報い感謝を伝えるため。2つ目は、トヨタの方向性や想いを販売店に伝えるためである。この2つについて紹介していきたい。
努力に報いる豊田流の接待
まずは、感謝を伝える式典について紹介したい。トヨタでは、年間で優秀な成績を残した会社・スタッフ、そして累計販売1,000台・2,000台・3,000台を達成した営業スタッフに向けて感謝の気持ちをあらわす表彰を行う。中でもいわゆる「名球会入り」である3,000台スタッフには、特別なおもてなしをする。こうしたおもてなしの企画は、数カ月前から始められる。事務局が相談する相手は豊田社長だ。なぜならこの1日のことを豊田社長は「自分からの接待」であるとしているからだ。相談の中で何度も出た言葉は、「お客様(招待される販売店社員)の笑顔のためなら何をやっても良い」。豊田社長自身もおもてなし企画のアイデアを出すことも多い。そして迎えた当日、3,000台スタッフを出迎えるスタッフのもとには、こんな映像が届いた。スタッフにも知らされていないサプライズメッセージだった。
<豊田社長から受賞者へのビデオレター>
3,000台達成の皆様、トヨタ自動車にようこそお越しいただきました。
今日は、(代表者会議が行われる)国際会議場でお待ちしております。また、夜のGALA Party(晩餐会)ではご夫婦揃ってお食事をお楽しみいただきたいと思います。なお、抽選で当たられた方、センチュリーのGRMNに乗っていただきます。世界に2台しかありません。ぜひともその特別感を今日は1日堪能いただきたいと思います。トヨタ自動車の職員みんなで皆様へ普段の感謝をお伝えしたいと思いますので、ぜひ期待いただきたいと思います。
3,000台スタッフが泊まった宿に送迎用として用意されていたのはセンチュリーGRMNであった。箱根駅伝の先導車も務めた、世界に2台しかないこのクルマが、豊田からのおもてなしのひとつ目だった。センチュリーが向かったのはトヨタ自動車本社。そこでは寺師副社長が出迎える。そしてトヨタ社内でもごく限られた人しか入れないデザインドームに入り、新型車のデザイン審査のデモを体験、その後はe-Paletteの試乗など、販売店の社長でも体験したことのないような特別なおもてなしが続いた。クルマがなかなか売れないこの時代に、3,000台という、とてつもない台数を販売し、お客様との絆を作られたヒーロー達を称える豊田流のおもてなしが行われた。
受賞者からも、「今まで忙しくて妻のために何もできなかったが、今日は妻を立てていただき、家族の絆を深める“おもてなし”をしていただいた」「これまで3,000台が一つのゴール・節目だと思っていた。次は後輩にこの感動を伝えることが自分の次のゴール」など喜びや未来への決意の声があがっていた。
その後、3,000台スタッフ達は、代表者会議の行われる会議場に移動していくが、そこでも「豊田からの接待」を受けることになる。
Woven Cityの原点
ここからは「全国トヨタ販売店代表者会議」について紹介する。
ラスベガスでWoven Cityを発表して2週間後であったこの日、豊田はやはりそのビックニュースからスピーチを切り出した。しかし、「その前に」と自ら話しを遮った。
<豊田社長スピーチ>
【00:48】
本日は、ラスベガスでは伝えきれなかった想いを皆さまにお伝えしたいと思います。
その前に…、皆様に、私の大切なゲストを紹介いたします。
私どもトヨタが本当にお世話になっている方々です。
厳しい市場の中、この方々の多大なる努力なしに、トヨタは生き延びてこられなかったと言っても過言ではありません…。
3000台販売を達成されたスタッフと、そのご家族の皆さまです。
皆さま、盛大な拍手をお願いします!
本当にありがとうございました!
全国販売店の社長を差し置いて、最前列には3,000台スタッフが座っていた。スピーチ冒頭で、そのことを紹介し、豊田は会場からの拍手をうながす。3,000台を売ってきたスタッフ達は、その拍手によってメーカートップ、販売店トップから一斉に賞賛を受けることになった。
その後、話しはWoven Cityのことに戻る。なぜWoven Cityのアイデアに行きついたのか。年頭挨拶でも語られた話であった。
<豊田社長スピーチ>
【06:50】
なぜトヨタが、今、これをやろうと決断したのか?
その想いをご説明させていただければと思います。話しは、30年前にさかのぼります。
1990年、軽を含めた市場は780万台。日本の自動車市場のピークでした。この時、トヨタの国内販売は250万台、国内生産は420万台です。グローバル販売は490万台でしたので販売の50%以上を、生産では85%以上を、この日本が支えていたことになります。
当時、生産を支えていたのは関東自動車やセントラル自動車といったボデーメーカーでした。
しかし、平成の時代は、右肩下がりが続きます。
10年経った2000年には、関東自動車の横須賀工場を閉鎖し、岩手と東富士に生産を集約する決断をくだします。
セントラル自動車は相模原から宮城への工場移転を検討していました。
オールトヨタでの生産体制見直しを決断し、少し軌道に乗り始めたと思った矢先に2008年のリーマン・ショックがおこりました。
そんなときに、私は社長に就任しました。
そこからは、大きな決断をしたと思えば、行く手をはばまれる…その繰返しです。
必死になって赤字からの立て直し策を決断した途端、今度は、米国での大規模リコール問題…。
そしてアメリカワシントンでの公聴会…
リコール問題からの再出発を誓い、グローバルビジョンを発表した2日後には東日本大震災…。
超円高も重なり6重苦と言われた困難の連続に、国内メーカー全体で1000万台あった国内生産は、震災影響もあり800万台まで減少…、日本での生産をあきらめ、海外にシフトする会社も出てまいりました。
その中でトヨタはどうするべきか。答えがない中、私は悩みましたが、
「トヨタは石にかじりついてでも日本のモノづくりを守りたい。」
「そのためには、国内生産300万台を維持しなければならない。」
そう決断いたしました。
そして皆さまにも150万台の国内販売死守をお願いしてまいりました。
また、その中で「東北の復興の原動力にもなりたい。」
それも、単なる寄付ではなく、モノづくりの基盤をつくり、税金を納め、雇用をつくる…地域が本当の意味で元気になっていくことをしていきたい…そんな思いで頑張ってまいりました。
こうした想いのもとで、関東自動車、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3社が、「トヨタ自動車東日本」という新しい会社に生まれ変わりました。
これでなんとかうまくいって欲しい…
しかし、市場の縮小は続きます。今度は、東富士の工場を閉鎖する決断を
下さなければ、いけなくなりました。
その決断のあと…、2018年7月に、私は、その工場の皆さんの想いを直接聞きたいと現場を訪問することにいたしました。
コネクティッドシティという言葉を使ったのは、その日が初めてです。
その時の映像をご覧ください。
彼が勇気を出して、必死に伝えてくれたことは自分自身のことではなく仲間のことでした。
工場閉鎖という会社の事情を受入れながらも、一緒に行くことができない仲間の気持ちを、精一杯、伝えてくれたんだと思いました。
みんなが作り上げてきた工場を閉鎖するというのは、悲しく、つらいことです。
想いの詰まった場所を閉じないといけない…
工場はなくなってしまうけれども、なんとか未来につなげるものにできないか?
そうすることで、今、目の前で悲しみに直面しているみんなの気持ちを、少しでも前向きなものにしてあげることはできないか?
国内外の工場閉鎖をいくつか決断してまいりましたが、そのたびに悩みに悩むことです。
東富士閉鎖も、ずっと悩み続けました。
そして、頭に浮かんだのがこのコネクティッドシティだったんです。
まだ影も形もありませんでした。
ですが、これを最初に伝えなきゃいけないのは、今、目の前で苦しみを味わっている“この人達”だと思い、その言葉を口にしました。
そして「意志さえあれば出来る」と自分自身に言い聞かせるように言ったことを覚えています。
Woven Cityは、もちろん100年に一度の大変革に向けた、生きるか死ぬかの挑戦です。
しかし、この構想の一番奥底(おくそこ)に流れているものは…
本当に苦しい時代の中、なんとしてでも生き抜くんだと必死でもがいてきた…
そこには、避けて通れない悲しい決断があり、そこで悲しむ人に、なんとか寄り添いたいという気持ちから生まれてきたということを、ぜひ皆様に知っておいていただきたいと思います。
全チャネル併売への決断、そして生き抜くためのヒント
その後、話題は全チャネル併売に移っていく。まずは全チャネル併売とは、どういうことか解説したい。
トヨタの販売網(チャネル)は、トヨタ店・トヨペット店・カローラ店・ネッツ店の4つが存在し、そこで売られるクルマには、どのチャネルでも購入できる「併売車種」とそのチャネルでしか購入できない「専売車種」が存在する。それが2020年5月をめどに専売車種の枠を無くし、全チャネルで同じクルマを取り扱うように変わっていく。
従来は専売車種が中心であり、売り分けることで顧客やサービスの差別化を図ってきた。一方、全チャネルで併売に変われば、販売車種による差別化は無くなり、販売店同士の競争は激しくなる。
併売化により、販売店は「大きな変革」が求められる。もちろん豊田はそのことを十分理解している。そのうえであえて「今は生き抜かないといけない」というメッセージを販売店に伝えた。
併売を決めたのはメーカーである。にも拘わらず「生き抜かないと」というメッセージ。販売店からすれば「俺たちはどうすればいいのか?」と思うかもしれない。豊田は、「その答えは自分にも無い」と言いながらも、「販売現場にこそヒントがあるのでは?」と、会場の全員に向けて呼びかけた。
<豊田社長スピーチ>
【16:05】
トヨタのため、日本のため、多くの決断をしてきました。いずれの決断も、必死で生き抜くための決断でした。そして、決断の裏には、必ず誰かの悲しみがあります。私の決断は、どれもその誰かの悲しみに寄り添い、悩みながら、たどり着いた答えです。決断したら、少しでも多くの人が笑顔になれるように全身全霊、命を削ってでも、動いてまいりました。
全チャネル併売…、これも、みんなで生き抜くための大きな決断でした。
とにかく、今は、生き抜かないといけない…そんな時代だと思います。
販売店も生き抜く、、、トヨタ自動車も生き抜く、、、
日本の自動車産業自体も世界の中で生き抜いていく、、、
「どんな未来をつくりたいか…」想いを共有し、本当の意味での仲間をつくっていく…それができなければ、生き抜いていくことはできません。もっといいクルマを作ろうという想いのもとに、メーカー各社が、ひとつの仲間になりつつある時代です。
トヨタの中にも対立軸は必要ありません。チャネル同士…、同一府県内…、規模の大きい販売店と小さな販売店…、そして販売店とメーカー…それぞれ対立を生むような会話をしている余裕など我々にはないはずです。
今は、想いをひとつにして、とにかく生き抜くしかないんです。どう生き抜けばいいんだ?メーカーはソリューションを持っているのか? そんな声もあるかもしれません。私にもソリューションはありません。
しかし、そのヒントがあるとすれば、ここに座っていただいているスタッフの皆さまではないでしょうか?車が本当に売れないこの時代に、3000台も売っていただいた皆様です。秘訣はありますか?と聞いても「売り方にセオリーなんかない」とおっしゃられるでしょう…。
ですが、きっと、ここにいる皆さまは、街のことを深く知り、そこにいるお客様が何に喜び、何に困っているか?を誰よりもご存知なのだと思います。もしお客様が困っていたら、そこに寄り添い、一緒に悩んだりもする。車を買っていただいたお客様に「ありがとう」というのは普通のことです。ですが、きっと皆さまは、お客様からも「ありがとう」と言われているのではないでしょうか。
私が目指すのは、トヨタ全体が、そんな「ありがとうと言い合える関係」になっていくことです。
自分のために何かをするのではなく、誰かのことを思って何かをする…東富士の工場で、私に質問してくれた彼も、そうでした。そうすることで「ありがとう」は生まれます。
Woven Cityは、未来の世代のために決断したものです。未来に、出来る限り多くの選択肢を残したい。未来は、未来に生きる人たちがつくるものだと思っています。
今の世代の我々は、とにかく生き抜く…生き延びる…そして負の遺産を絶対に残さない。変えるべきものは変えておく、直すべきものは直す、そして、残すべきものは残す。それが、未来のために、選択肢を残してあげるということではないでしょうか
今は、辛抱の時…それが我々の世代の役割です。それでいいと思います。死んだ後でもいい…あの時、あの爺さんが、決断してくれたおかげで今がある…ありがとう…何年後か、何十年後か、分かりません。笑顔ばかりがあふれる未来の街で、誰かが、そんな言葉を言ってくれる…
そのために、辛抱してみんなで今を生き抜きませんか!辛抱の「辛」の字にみんなで心を一つにして「一」を加える…みんなで、この字を「幸せ」に変える1年にしていきましょう!
皆さま、本日は、ありがとうございました。
プレゼンを終えた豊田社長に会場から大きな拍手が沸きあがった。その拍手が少し落ち着いた瞬間、豊田はもう少し言葉を付け加え、その場を“会議”ではなく“接待”に戻した。
主役をお客様に戻し、自らは脇役としてその場を締めた。
<豊田社長スピーチ>
【23:16】
最後は、私ではなく、受賞された皆さまへの拍手で本日は終わりたいと思います。3000台達成の皆さま、そして販売店表彰を受賞された皆さま、この度は、本当におめでとうございました!ありがとうございました!
皆さまに、もう一度、盛大な拍手を!ありがとうございました!