幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。第7回では、シートをゼロからつくり上げたメンバーの奮闘を紹介。
トヨタ社内で復元された幻のレーシングカーが、富士スピードウェイにオープンした「富士モータースポーツミュージアム」に展示されている。それは誰がどんな想いで、どんな目的で開発した、どんなマシンだったのか。その歴史と意味、そして復元の現場をリポートする特集企画。
第7回は、シートを担当したチームによる、ゼロからつくり上げたシートの開発・製作についてお伝えする。
見た目にもこだわりたい
約70年前、トヨタで初めて製作されたレーシングカー「トヨペット・レーサー」。その復元では、エンジンのように設計図やベースになった実物が残されているものと、当時の写真だけしか手掛かりがないものがある。そして、シートも当時のモノクロ写真以外にまったく手掛かりがないパーツの一つだった。
葉巻型でオープンボディのトヨペット・レーサーにとって、シートは視覚的にも重要なパーツの一つ。しかも今回の復元は“見た目だけの復元”ではない。当時そのままに走行させるためには欠かせない機能部品でもある。
エンジンやシート、トランスミッションの配置など、このマシンのパッケージングも担当したボデー開発部の渡部真史は語る。
渡部
シートは他のパーツと違って、トヨタ社内には開発製造のノウハウがあまり多くありません。シートは、グループ会社であるトヨタ紡織に担当していただいています。私自身もシートについての知識はゼロ。ですからトヨタ紡織にお願いするしかないと当初から考えていました。
シートの見た目は当時の雰囲気を再現する上でも大切ですし、ドライバーの安全性や快適性を左右します。だからこだわりたいし、こだわらないといけない。でも自分では何も分からない。企画段階からトヨタ紡織の方に関わっていただくようにお願いしました。
人材育成を目的に若手中心の開発チームを結成
渡部からシート開発製造の依頼を受け、豊田市にあるトヨタ紡織の猿投工場で2021年4月、若手を中心にしたシート復元プロジェクトチームが立ち上がった。
トヨタ紡織で今回、リーダーを務めた第1シート設計部の箕浦善顧氏は語る。
箕浦氏
上司からは、人材育成という観点から社内若手を中心に開発製造を進めようという話があり、私も含め20代から30代の8名が集まり、開発がスタートしました。
集まったのは、シートカバー技術開発部の須藤駿氏、試作部の谷山光氏、シート実験部の上川侑祐氏、デザイン部の山口論氏と片岡港人氏、シート計画部の杉野和美氏、材料技術開発部の安田大晃氏。
箕浦氏
社内に旧車のシートをレストアした実績はありましたが、私自身こうした仕事を担当したことがないので、当初はとても不安でした。残っているのは当時の写真だけですから。
シートを製作するためには、構造、サイズ、そしてどのくらいの強度が必要かという「強度要件」を決めなければいけない。でも当時、どんな素材を使ってどのようにつくられていたのか、手掛かりも社内にはまったくありません。
そこでトヨタ博物館に行き、当時のシートを研究することにしました。
渡部は、トヨタ紡織チームとともにシートの初期検討作業を進める一方で、トヨペット・レーサー復元プロジェクトのメンバーと、エンジンやトランスミッション、ドライバーズシート等をマシンのどの位置に配置するのが理想的か、パッケージングの検討も進めた。この作業はまず図面で、さらに3D CADを使って行った。
パッケージでいちばん悩んだのは、ドライビングポジションだと渡部は語る。当時の写真を見るとシートベルトはなく、当時トヨペット・レーサーのドライバーだった方のご子息に話を聞いたところ、ドライバーは大きなステアリングを足に当てながら、ハンドルにしがみつくように運転していたという。
渡部
レース後はハンドルを握る力もなく、ハンドルに腕をかけていたようです。個人的には、この当時のスタイルを再現したいと思いました。そうすることで、当時のドライバーが見た景色を見ることができるし、ぜひ見てみたいと思いました。
だが、他のメンバーからは、安全面を考えるとシートベルトは付けるべきだという意見が出て、議論は白熱した。市販車と同様、トヨペット・レーサーも人が乗って運転するクルマである以上、何よりも優先されるべきは「安全」だ。そこで渡部はシートベルトを取り外し可能な構造にし、さらにベルトアンカを外からは見えにくい位置に設定することで、展示時には目立たないようにすることにした。
また、モックアップも製作し、運転姿勢を確認。さらにVR(Virtual Reality:仮想現実)も用いて、シートを含む全体のパッケージを最終的に決めた。
トヨタ博物館のコレクションのシートを研究
トヨタ紡織の自動車用シートの開発製造がスタートしたのは1970年。具体的にはシートのファブリック(表皮)の製造から。トヨタ自動車のシート開発製造を一手に担う同社にも、1950年代のシートに関する情報やノウハウはなかった。
そこでトヨタ紡織チームは、トヨタ博物館が所有するモノポスト(単座)レーシングカーの「ブガッティ タイプ35B」(1926年)、第二次世界大戦前の「トヨダ AA型乗用車」(1936)、そして「初代クラウン RS型」(1955)などさまざまなシートの素材や構造、固定方法などを確認。この結果を参考に、どんな素材でどうつくるか、検討を重ねた。
箕浦氏
当時のシートから金属製のフレーム、本革や合成皮革のカバーは大きく変わっていませんが、フレームの一部に木材が使用されていたり、今では主にウレタン素材でつくられているパッドがパームロック(ヤシの実繊維)で構成されていました。
また個人的に驚いたのは、当時のシートの固定方法です。最近のクルマは強度と安全性を確保するためにボディにボルトで留めるのが基本ですが、当時のクルマはただはめ込んであるだけ。これには驚きました。
コイルばねやパームロックを使った当時のシートの構造は、家具のソファに近いものだった。だから手間と費用だけを考えれば、市場にあるそうしたものを流用することもできただろう。
だが渡部らは、できるだけ当時と同様の素材を使い、仕様を再現するため、ゼロからつくることにした。
渡部
見た目も座り心地も妥協しないで、本当につくりたいシートを、当時つくった人々に思いをはせながらつくろう、ということになりました。素材も構造も現代のシートとはまったく違うので大変苦労しました。
杉野氏
表皮の色は、当時のカタログや雑誌記事、広告を参考に赤みのあるブラウンにすることにしました。
材質は当時存在しており雨風にさらされることを想定してPVC(ポリ塩化ビニル)を選定し、トヨタ博物館で確認した同年代のシートを参考に、艶感を再現しました。
渡部らはトヨタ紡織の試験場で、コイルばねの強度やフェルト、パームロック、ウレタンパッドやPVC表皮の厚さを変えたさまざまな仕様のシートを、現在、シートの開発で使っている試験機にかけて徹底的にテスト。実際に座ってその座り心地を確認して開発を進めた。
具体的に決まったのは、コイルばねの上にパームロック、ウレタンパッドを重ね、PVC表皮で覆うという仕様。
コイルばねを使った当時のシートはフワフワして腰が落ち着かないものが多かったが、こだわりの構造にすることで、走行時にはそれなりに路面からの入力があっても、腰がしっかりとホールドされ、ドライバーが落ち着いてドライブできるものに仕上がった。
箕浦氏
いちばん議論したのは、コイルばねの構造でした。実験部やデザイン部、シートカバー技術開発部など、いろいろな人に座ってもらい検討しました。これではホールド性に問題があるのでは、などという指摘を受けて改善するなどの試行錯誤を重ねました。
ばね、表皮材だけは社外品ですが、そのほかのものはほとんど社内で開発製造したので、細部までこだわり、納得のいく仕上がりになったと思います。
渡部
いちばん気にしていたのは見栄えでしたが、最終仕様の試作品に実際に座り、そのしっかりとした座り心地に感動しました。本当にしっかりとしたシートで、こうした仕様のシートを使ったクルマが今の市場にあってもいいのでは、とすら思いました。