自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第1回はモータースポーツエンジンも手掛けた「木工の匠」に話を聞く
モノづくりの源流、“数値化できない技能”を未来に伝える
こうした「図面を超えたモノづくり」の技能は、完全には数値化できない、感覚的なもの。だがこの“数値化できない技能”こそ、現在、そして未来の「トヨタのモノづくり」には絶対に欠かせない、絶対に継承しなければならない“源流の技能”なのだ。
かつてこの“源流の技能”は職場の先輩から後輩へ「口伝(くでん)」というかたちで継承されてきた。しかし、現在ではモノづくりの道具や方法は劇的に進化している。そして剣持は今、「木型作り」の分野で、人材育成トレーナーとしてこの伝承に新しいかたちで取り組んでいる。
「部品の設計も今は、かつての二次元の図面ではなく、三次元のCAD/CAMソフト*で行われるようになっています。そのため今の木型作りにも、CAD/CAMのデータからNC(数値制御)の工作機械を使って素材を削るという手法が導入されています。ただ、機械が削った木型を最終的に調整して仕上げるには、人の手作業が絶対に欠かせません。だから今も未来も、木型職人の“源流の技能”の継承は絶対に必要なのです」
*CAD(Computer Aided Design)は、コンピューター上で設計図を描くためのツール。CAM(Computer Aided Manufacturing)は、CADで作成した図面をもとに工作機械を稼動させるためのプログラムを作成するツール
剣持の指導を受ける若い社員は、剣持からまず設計図を渡される。彼らは設計図通りのパーツが作れるように、どんな木型が必要かを自分の頭で考える。そして、自分の手で木を削って木型を製作する。さらに、自分が作った木型で鋳型を作り、設計図通りの鋳物を完成させる。
この研修の過程で若い社員は、トヨタの数値化できない“モノづくりの源流になる技能”を、頭と体、感覚で理解して身に付けていく。
剣持自身も、モノづくりの方法の進化に対応して、今も勉強を怠らない。自らCAD/CAMソフトによる設計を習得し、木型職人からクリエイティブデザイナーへと進化すべく、日々努力、挑戦を続けている。
「木型の製作にこだわらず、必要とされるものをCAD/CAMの技術を借りて形にしていきたい」と語る。
この挑戦として剣持が取り組み、成し遂げた大きな成果の一つが、トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎(1894〜1952)の父で、豊田式自動織機を発明し、トヨタのモノづくりの哲学を打ち立てた豊田佐吉(1867〜1930)が1890年、24歳の時に最初に発明した「豊田式木製人力織機」の複製だ。
保存されていた実機を計測して図面化し、さらにCADによる3Dモデルを製作して可動部の動きをシミュレーション。
織機の主要部品で、加工精度わずか0.02ミリ以内という高精度が求められることもあり、現在ではごく少数の専門職人しか作れない竹筬(たけおさ)まで、ゼロから自作して完璧な復元を成し遂げた。
「豊田佐吉翁が、母の仕事を少しでも楽にしたい、技術で世の中を良くしたいと開発したこの織機は、トヨタのモノづくり哲学の原点。製作を通じて佐吉翁の努力や技能の高さ、思いやこだわりが目や指先から体に伝わってきました」と剣持は語る。
バーチャルをリアルにする仕事が重要
3DのCAD/CAMソフトの普及で今、モノづくりの現場からは設計図が姿を消しつつある。
設計図すらリアルではなくバーチャルなデータになっているのだ。また、そのデータを簡単に立体にしてくれる3Dプリンターも爆発的に普及している。
だが、自身も3DのCAD/CAMソフトや3Dプリンターを使う剣持は、こうした機器に頼りすぎる危険を指摘する。
「CADによる設計が完成して、それだけで『モノづくりができた』と誤解している人が多いのではないか。私は心配しています。CADによる設計が完成しても、それはあくまでバーチャルな“製品の叩き台”ができたに過ぎません。モノづくりで大切なのは、それをどのように、どんな設備やどんな生産ラインを使って、どのような方法でリアルな製品に仕上げるか。そのプロセスです」
このプロセスを考えて工夫し、実際にモノをつくること。自動化された機械の中で何がどのように行われているのかを理解してコントロールできるのは、数値を超えた“源流の技能”を身に付けた生身の人間にしかできない。
トヨタのモノづくりは、剣持のような“源流の技能”を身に付けた、現場の職人たちが担っている。そして彼ら職人の技能の継承なしに、トヨタのモノづくりの未来はないのだ。
(文・渋谷 康人、写真・前田 晃)