「トヨタの社長は孤独だぞ」。佐藤恒治社長が内示とともに受け取った豊田章男会長からのアドバイス。新体制が受け継いだものとは?
豊田会長から継承するもの、変えるもの
佐藤社長率いる新体制が掲げるテーマ「継承と進化」。株主からは、佐藤社長にこんな質問が投げかけられた。
「継承したいこと、変えていきたいことは?」
豊田会長は「私もぜひ聞いてみたいと思いました」と笑みを浮かべ、佐藤社長を指名した。
佐藤社長
私自身、モリゾウ、あるいは、マスタードライバーの豊田章男のもとで10年、いや、それ以上、ずっと豊田章男のクルマづくりを現場で見てまいりました。
「もっといいクルマをつくろうよ」というブレない軸の下、クルマにひたむきに向き合う現場で、汗をかいてクルマをつくるということをずっとやってまいりました。
それゆえ、私の目指しているクルマづくりも全く同じです。現場で、仲間とともに汗を流して、いいクルマをつくっていく。
やはりクルマは、お客様、ドライバー、使われる方々につくり手の想いを伝えるものだと思います。
それは豊田章男が14年かけてトヨタにつくり上げてきた強固な価値観だと思っています。私のみならず、執行メンバーとともにしっかりと継承していきたいと思います。
一方で、クルマを取り巻く社会はものすごく大きな変化が訪れています。
「クルマが大好き」。その想いを未来につないでいくためには、より多くの課題を解決していかなければなりませんし、社会のシステムに順応するクルマに進化していかなければいけないと思います。
そこに込めたのが「モビリティ・カンパニーを目指そう」という想いです。
クルマの未来は、社会システムや情報、物流、人の心を動かすいろいろなところとつながることで、もっと価値を高めていくことができると思います。
「クルマの未来を変えていこう」という言葉に込めた想いは、「我々がクルマ屋だからこそ生み出せる新しい価値があるに違いない」ということです。
知能化や電動化、ニーズの多様化に応えていくことで、クルマがモビリティに変わっていく。そんな進化を促していくのが、経営を引き継いだ我々の責務だと思っています。
クルマの本質的な価値を守りながら、未来のクルマに、もっと新しい何かを生み出していくチャレンジをしていく。そこが我々の使命だと思っています。
逆風の14年間の総括は?
続く質問は、豊田社長時代の14年間の総括について。
株主は、この間に、株式時価総額が約3倍になったと感謝を伝え、「逆風の14年間を社長としてどのような気持ちで経営してきたか」説明を求めた。
経営者として、豊田章男個人として、想いを吐露した。
豊田会長
この14年間、私がやってきたことは、「トヨタらしさを取り戻す闘い」だったと思います。
これは言い換えますと、トヨタの主権を現場に戻す戦いということになると思います。
私が社長になる以前のトヨタは非常に官僚的で、一部の肩書きを持っている人たちが主権を持ち、現場ではなく、本社の机の上で意思決定がなされていた会社だったと思います。
入社して以来、私がずっと感じていたのは「トヨタってこんな会社だったかな」という違和感。これは巨大組織に根付いてしまった企業風土にあったと思います。
振り返りますと、生まれてこの方、私はずっとマイノリティでした。創業家である豊田姓に生まれたがゆえに、自分という人間を見てもらえず、名前からくる先入観に苦しめられてきた人生だったと思います。
トヨタに入社するにあたり、父である(故豊田章一郎)名誉会長からは、「この会社に、お前を部下にしたいと思う人はいないよ」と言われました。実際に入社すると、まさにその通りでした。
私に近づくと、周りからは社長の息子に気を遣って、ゴマをすろうとしていると言われ、社長である父親に伝わるかもしれないと、きつく当たる方もなかなかいませんでした。
私はいつの間にかできるだけ関わらない方がいい存在、いわば、アンタッチャブルな存在になっていたんだと思います。
何度も心が折れました。やめようと思ったことも一度や二度ではございません。ただ、そんな中、私は2つの技を身につけたと思います。
一つは人の話をよく聞くことです。アンタッチャブルな存在としてはとても自己主張できるような環境ではありませんでした。
そのため、いろいろな人の意見を聞くという習慣が身につきました。
もう一つは自分の中にあるトヨタらしさを基準に決断し、それをストーリーにして説明することです。
私は物心ついたときから、父である名誉会長の話を背中で聞いておりましたし、父と一緒に多くのクルマに乗り、トヨタで働く多くの人たちとふれあう機会に恵まれました。
幼少のころからトヨタを肌で感じる中で、私なりにトヨタらしさのセンサーを身につけたような気がいたします。
人の話をよく聞いて、「これってトヨタだよな」「これってトヨタの思想に合うのかな」など、私の中にあるトヨタらしさを基準に一つの決断をする。
それをストーリーにして、多くの人にわかりやすい言葉で伝え、共感を得ていく。
これがマイノリティとして生きてきた私が身につけた技であり、そこから生まれたのが「もっといいクルマをつくろう」「町いちばんの会社になろう」「自分以外の誰かのために仕事をしよう」という言葉だったと思います。
私の言葉と行動に一番共感してくれたのは現場の仲間でした。
現場で働く一人ひとりが、自ら考え、動いてくれたからこそ、商品が変わり、トヨタが変わったのだと思います。今トヨタの主権は、自ら考え動く現場にあります。
他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。そんな想いで現場とともに闘ってきた14年間だと思います。