トヨタイムズニュースの動画連載「トヨタ偉人伝」がスタート。初回は数々の常識を打ち破り、自動車史に残るクルマを世に送り出した中村健也。その功績と素顔に迫った。
クラウン、コロナ、センチュリー…。トヨタを代表し、日本の自動車史に残るクルマを次々と世に送り出してきたエンジニア。それが中村健也だ。
トヨタのクルマはチーフエンジニアというクルマづくりのリーダーが、担当車種の企画、開発、生産、販売などの全般を束ね上げ、主導する体制の下でつくられている。
そのベースとなっているのが「主査制度」であり、中村は初代主査として、トヨタの製品開発体制の礎を築いた。
エンジニアとして創業者・豊田喜一郎に惹かれ、手紙を書いてトヨタに入社。海外との技術提携ではなく、日本の技術で国産車をつくり上げるという喜一郎の夢を形にした。
日本の道に合うよう小型で、燃費が良く、時代を先取る多彩なアイデアが詰め込まれた初代クラウン。日本初の量産型カーラジオ * を搭載するにあたっては、自らスピーカーを設計するほど音へこだわった知見が生かされた。
また、1万冊の本を自宅に所蔵していたというほど、研究、勉強熱心だった中村は「膨大な知識」と「未来を見通す洞察力」に長けていた。
70年以上たつ今もなお、現役で稼働を続ける2000トンプレス機も、ガスタービンを使ったハイブリッドシステムのアイデアも…。今の時代に生き続ける数々の功績がそれを物語る。
「いいと思うことはたとえ周囲に反対されてもやる」という信念で常識を打ち破り、時流に先んじてきたエンジニア。
「人にモノを売るということは、信念を持って売るということ。自分の心でいいと思うものをつくりなさい」
「自動車だって、主査が見識を持って、『俺のクルマ』というものをつくりなさい」
今の時代を生きる後輩たちへのメッセージが詰まった「トヨタ偉人伝」第1回は以下のリンクより。
*カーラジオはトヨペットSA(1947年)に初めて搭載されました。しかし、生産台数も多くなく、さらなる技術開発が、その目的とされています。本格的な量産車にカーラジオが搭載されたのは初代クラウンだったため、「初代クラウンに日本初の量産型カーラジオを搭載」と紹介しています。