一歩先の夢や憧れを体現してきたカローラ。歴代カタログを時代背景とともに振り返る。前編
は1966年の初代から1991年のバブル期。
カローラが誕生した1960年代は、日本がその後、経済大国に成長するベースが築かれた高度成長期。人々のくらしが豊かになり、「もはや戦後ではない」といわれるフェイズにシフトした時代だ。
そうしたなかでカローラは、多くの人が憧れるマイカーの象徴として誕生。
だからこそ、カローラの歴代カタログには、日本の明るい未来や豊かな暮らしを象徴するような、一歩先の「夢」や「憧れ」を表現してきた。そして時代とともに、ライフスタイルをはじめ、社会とクルマの関係、技術の進化など、カタログが表現することも変化していく。
そこで今回、誕生から55周年を迎えた歴代カローラのカタログをあらためて紐解く。前編では、高度成長期の最盛期に誕生した初代を筆頭に、バブル期の6代目までのカローラのカタログを、時代背景とともに振り返りたい。
初代:1966〜1970年/自動車をみんなのものに。
時代は高度経済成長期の最盛期。1968年に日本は、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍り出て、世界を驚愕させた。
トヨタは創業時からの使命「自動車をみんなのものに」と、国をあげた「国民車構想」に応えるべく、本格的なファミリーカーを体現するかたちで、1966年、初代カローラを発売した。
取り入れられたのは、トータルバランスに優れ、さらに90点以上の突出した性能を目指すという、「80点主義+α」の思想。長く愛用される実用車作りの神髄を目指し、欧州標準の高速性や耐久性、快適性をバランスよく取り入れた。
当時のアウトドア、スキーブームを反映し、背景に写るのは、雄大な雪山の風景。
軽井沢や蓼科などでのスキーブームや高原ブームを背景に、当時、「リゾート」という言葉が使われ始めた。最初の見開きは、高原でのドライブを楽しむファミリーのイメージ。
国際水準の1300ccを上回る、1500ccクラスの高速設計を売りとし、レジャーを楽しむクルマとして爽快な走りをアピール。
今なお、積載力の基準ともなっているゴルフバッグ。当時のライフスタイルとクルマを象徴する。
マイホームにコリー犬、カローラがある生活こそ、豊さの指標だった時代。コリー犬ブームは、映画やテレビドラマで人気を博した「名犬ラッシー」シリーズの影響が強かった。
2代目:1970〜1974年/さらに余裕のあるカローラへ。
2代目カローラが誕生したのは、太陽の塔がシンボルの大阪万博が開催された1970年。万博は、当時の日本の人口の2人に1人に概算する6421万人以上を動員。今後、ますます発展する明るい未来に向けて、人々の期待が高まった時代だ。
高度成長期末期を迎え、急激なモータリゼーションの進歩にともない、初代のモデルチェンジとして誕生したのが、2代目カローラだった。
まず、サイズアップによって居住空間が向上。2ドアと4ドアがパッケージングされるほか、スポーツモデルとして「レビン」や「トレノ」が新しく加わった。
3代目:1974〜1979年/逆風を乗り越えた世界の30(さんまる)。
中東戦争による第一次オイルショックに見舞われ、世界経済が混乱した1973年以降。一方では、国内外で大気汚染が大きな社会問題となり、自動車業界は対応を迫られた。
そこで1974年、トヨタは、燃費対策としてアップデートした3代目カローラを発売。トヨタは、生来の省燃費性能とTTC電子制御のインジェクション化により、排ガス規制の基準をクリアにした。
社会不安がたちこめる時代にあって、衝突安全性を確保するためにサイズアップする一方、隅々までムダをそぎ落とし、よりスタイリッシュに機能美を追求した。
4代目:1979〜1983年/スケール大きくいい友誕生!こちら一歩先行くカローラ。
4代目カローラが誕生したのは、1980年代に突入する直前の1979年。
同年、イラン革命を機に、第二次オイルショックが起きたものの、日本経済は右肩上がりに推移していった。経済成長し続ける時代に合わせて、4代目カローラは、高級コンパクトカーとして発売した。
ホイールベースを30mm伸ばすことで室内空間を拡大。「1600GT」を追加し、バリエーションを拡充した。この「1600GT」は、コンパクトなスポーツセダンとして人気を博したほか、ラリーフィールドでも活躍した。
5代目:1983〜1987年/はじめてのFFカローラ登場。
上昇機運に溢れたバブル前夜の1983年。同年4月には、東京ディズニーランドが開園し、その年だけで800万人の来場者が訪れた。
また、日本初の体外受精が成功したニュースが論争を巻き起こした当時。女性の社会進出が進み、不妊治療が保険適用されるようになった今との時代背景の違いを感じさせる。
そうしたなか、これまでのFRレイアウトから、FFへと大きな転換を図り、技術革新を詰め込んだ5代目カローラが誕生した。
FF化によって大幅な室内スペースの拡大に成功したほか、新開発のエンジン「4A-G型1.6リッターDOHC」を搭載した、伝説のFRレイアウトのスポーツモデル「ハチロク(AE86)」が生まれた。
6代目:1987〜1991年/カローラを超えたカローラ。
いよいよ時代はバブル経済の最盛期に突入。地価はどんどん高騰し、株価も上がり続けた。 “花金”(金曜の夜に遊びに行くこと)が流行語となり、ワンレンやボディコンファッションの女性やDCブランドのスーツを着る男性が街にあふれた。
時代は高品質セダン、ハイソカーブームへ。カローラクラスもまた、華やかな時代に呼応し、高級路線へと転換していく。そこで1987年にクラスを超えた世界のハイクオリティセダンとして誕生したのが、6代目カローラだった。
デザインを含め、内外装ともに質感を高め、とくに室内は1クラス上のクオリティを実現した。この6代目カローラは極めて人気が高く、1990 年には日本国内で30万台以上の年間販売台数を記録。
初代から6代目(1966〜1991年)までの歴代カローラのカタログを振り返り、この25年間で、高度成長を経て、戦後からの脱却、たて続けに起きたオイルショック、そしてバブル経済と、激動の時代背景が見えてきた。
国民の大衆車として生まれたカローラだからこそ、その時々の時代の歴史的な出来事が大きく反映されやすいのだろう。
25年といえば、カローラ誕生の年に生まれた子どもが学校を出て成人し、社会人になる歳月でもある。伝説の「ハチロク」が誕生した5代目(1983年〜)のカタログにも、年々大きくなる子どもの成長を見据えて、長く快適に乗れる記述があったのが印象的だ。
あらためて家族の軌跡とともに、国内外で、ファミリーカーとして進化し続けてきたカローラのスピリットが感じられた。
7代目以降のカローラ・カタログの振り返りは、後編につづく。バブル崩壊以降の時代とカローラの変遷やいかに?乞うご期待!
(編集・庄司 真美)