市販車なら数年かかるフルモデルチェンジ並みの改良がわずか2カ月で!? 水素カローラの劇的進化に迫る。
水素エンジンを搭載したカローラスポーツで臨んだスーパー耐久シリーズ2021第4戦inオートポリス。エネルギーの地産地消について扱った前回に続き、今回はモータースポーツにおけるアジャイル開発*を取り上げる。
*アジャイルは「素早い」「俊敏な」の意味。短い期間単位を設け、実装とテストを繰り返す開発手法で、開発途中の仕様・要件変更に柔軟に対応できる。一般的には、システムやソフトウェア開発で用いられる
今回、ROOKIE Racingの水素カローラは5時間をノートラブルで無事完走。決勝前日の会見で、GAZOO Racingカンパニーの佐藤恒治プレジデントは前回レースから約2カ月での改良について語った。
佐藤プレジデント
富士スピードウェイで走らせたクルマのエンジンと今回のエンジンのスペックはまったく違います。
出力、トルクともに大幅に*上げることができました。例えばストレートの加速性能で9%くらいは向上しています。
*リリースでは約15%のトルクアップと表現
それから軽量化を行っています。計測器の分を含めてだいたい40kgぐらい軽くしました。それにともなってドライバビリティの向上もされていると思います。
同時に、給水素に大変時間かかっておりましたが、ここについてもFIA(国際自動車連盟)と連携もとりながら、どれくらい水素を流し込むスピードを上げられるか検討をしてきました。その結果、車両の構造改善も含め、給水素のスピードは40%くらい上がりました。
単純比較はできないが、例えば、軽量化に注目したとき、ヤリスのハイブリッド仕様は先代のヴィッツの同仕様と比べて50kg軽くなったが、モデルチェンジまでの期間は3年ある。
今回のケースは、前回からたった2カ月。軽量化だけでなく、いずれも市販車の常識で見れば、数年に一度のフルモデルチェンジ並み、もしくは、それ以上の数字が並んでいる。
極めて大胆でスピーディな変化を遂げた水素カローラ。佐藤プレジデントほか、開発に携わったエンジニアやドライバーのコメントからその進化に迫る。
ライバルを抜けるパワー・トルクの向上
「先ほどの練習走行のタイムを見ていても(水素カローラは排気量1500cc以下の)ST-5クラスより上で、(排気量1501~2000ccまでの)ST-4にちょっと届かないところにいたと思います。これはもう間違いなく、(他の車両を)抜くシーンを見せていただけますよね?」
決勝レース前日の会見に出席した佐藤プレジデントは、期待をにじませながら、ROOKIE Racingのドライバーたちに話題を振った。
佐々木雅弘選手が「前回はST-5クラスのロードスターといい勝負をしていたのですが、今回はエンジンパワーの向上がすごく感じられています」と応じると、井口卓人選手は、「富士はいちばん下位のクラスのスピードやタイムを見て走っていましたが、今回は上のクラスを見ながら走れています。2カ月ぐらいでここまで持ってくることができる技術力がすごい」と舌を巻いた。
では、具体的に何をやったのか。佐藤プレジデントは前回レースからの取り組みを説明した。
佐藤プレジデント
前回はとにかく24時間を走り切りたいという想いもあって、異常燃焼にリスクヘッジをした設定をしていましたが、その後、燃焼の解析が進んだので、出力が上がりました。
ハードを大きく見直したというよりは制御を見直しました。
また、ベースはGRヤリスのエンジンで、高速燃焼にも耐えられるなど素性が良いので、マージンを削って本来持っている力を出していくステップを踏みました。
ただ、GRパワートレーン推進部 山崎大地部長によると、「マージンを削った」と言っても、耐久性を犠牲にしたわけではないという。
山崎部長
今回のエンジンも24時間戦える仕様です。寿命を削ったのではなく、異常燃焼しないよう余裕をもっていたところを攻めたということです。
水素の圧力を上げて噴射量を増やしていきますが、前回はどこまで上げられるかよく分かっていませんでした。
あれから、水素がどう(シリンダーの)中に流れ、混ざって、どこで異常燃焼が起きるのか、いろいろなことが分かり、まだ余裕があると分かりました。
前回から短期間で性能を向上させてきたが、次なる展望も見えているという。
山崎部長
富士のときのトルクと出力はガソリンエンジンの8割程度でした。今回は9割まできたので、次の鈴鹿で同等にもっていきたいと思っています。
そして、最終戦では情熱でそれを超えていきたいと思っています。そこまでくると皆さんに可能性を感じてもらえるのではないかと思っています。
ドライバーのリズムを生む「乗りやすさ」
会見の中で、他のドライバーと違った視点で車両の評価をしたのが松井孝允選手。「運転のしやすさ、クルマも乗りやすさもすごく向上しています。僕も決勝は抜く姿を見せたいと思います」と抱負を述べた。
「乗りやすさ」とは何か? 佐藤プレジデントが技術者の目線で解説した。
佐藤プレジデント
サーキットだと最高出力や最高トルクだけでなく、(そこに至るまでの)過渡領域の応答が重要です。先回と比較し、そこの出力やトルクがあがっています。
アクセルコントロールするときに期待しているエンジンのパワーがもらえるのでリズムがつくりやすいんです。
特にオートポリスは上り・下りが多く、アクセルのオン・オフが頻繁にあります。富士のときはあまりすぐ返してくれないエンジンでしたが、すぐにちゃんと力を出してくれるようになりました。
クルマも重心が高くて、その状態にあわせてサスペンションのセッティングをしていましたが、軽量化ができたり、ロール時の重心位置を見直したりして、ハンドルを切ったときの動きが意図通りになりました。
それだけ車両の改良が進んだので、ドライバーの意図通りにクルマが動くようになったということだと思います。
車両の開発を担当するGRプロジェクト推進部の坂本尚之チーフエンジニアによると、ほかにもキャビンが狭く、シートポジションが取りづらい、ミラーが見にくいといったドライバーの声もあり、さまざまな改良を加えているそうだ。
「乗りやすい」という松井選手の感覚的なコメントは、そういったクルマの変化を敏感に感じ取った発言だった。
地道に積み上げた軽量化と水素充填時間の短縮
もう一つの車両の具体的な改良が40kgにも及ぶ軽量化だ。総量で見ると大きな改善に見えるが、一つひとつは実に地道なアイテムだったという。
佐藤プレジデント
大きな飛び道具があったわけではありません。1~2kgの積み上げですが、一番大きいのは検査機器のところです。
いろいろなデータをとるために、富士ではありものを載せていましたが、今回はリードタイムがあったので、小型化したりして5~6kgは軽くなりました。
また、車体自体の軽量化もやっています。フロントを軽くしたかったので、(サスペンションの骨格となるパーツである)サスペンションメンバーの構造を大きく見直して、5kgぐらい軽くしました。それ以外は小さい軽量化の積み上げでやっています。
また、水素エンジン車ならではの改良としては、給水素の時間を5分から3分へと40%削減しているが、ここにも小さな積み上げが効いている。
佐藤プレジデント
給水素は魔法があるわけではなく、圧力と温度の関係で決まってきます。
(レースでは)タンク温度が80℃以上になってはいけないという決まりがあり、そうならないように流入速度をコントロールしています。
今回、国際自動車連盟と話して、サーキットは全開加速が多く、燃料温度はかなり低いので、上限を超えないことをデータで示すことができ、スピードを上げることができました。
また、前回はドアをあけてチャージしていましたが、今回は小窓からやっています。そういった充填速度以外のところもTPS(トヨタ生産方式)で一つひとつ縮めることができました。
やってみて分かる水素の課題と可能性
ここまでモータースポーツによるアジャイルな技術開発の事例を挙げてきたが、「頭で考えるより、まずやってみることで見えることがたくさんある」と佐藤プレジデントはいう。
佐藤プレジデント
例えば、移動式水素ステーションの電源電圧は400Vですが、その辺にあるものではありません。工業用電圧で、移動式とはいっても半固定式なんです。そういうこともやってみて初めて分かる。挑戦するというのが大事だと思います。
他にも、カーボンニュートラルに向けては、再生可能エネルギー由来でCO2フリーのグリーン水素こそ重要だと思われがちだが、そこにこだわりすぎてもいけないという。
佐藤プレジデント
グリーン・ブルー・グレーという色にこだわるよりは、まず、水素を利用可能な形にしていくのが大事だと思います。
ブルーでも排出したCO2を還元できればいいわけですよね。ブルーだから使わないとしてしまうと、還元技術の開発が進みません。
エネルギーのインフラや生産などの供給環境をいかに整えるかが大切なので、今はブルーだったとしても、意志と情熱で解決していく技術を開発すべきだと思います。
広く水素の可能性を追求して、よりエネルギーとして使いやすいものにしていくべきなのではないでしょうか。
水素エンジンの挑戦は正解が見えない技術開発。まだまだ課題は山積みだ。それでも、一歩踏み出したことで解決すべき課題が顕在化し、回を重ねるたびに進化を重ねている。
豊田章男社長が「カーボンニュートラルへの選択肢を広げる行動」と旗を振る水素エンジン車両でのレース参戦。
それは、パワートレーンの選択肢だけでなく、再生可能エネルギーや水素の種類を含め、さまざまな未来の選択肢を広げる起爆剤にもなるはずだ。