フィリピントヨタ35周年式典。「変に聞こえるかも...」と断り、豊田章男会長が語った。新車販売で5割を占める国で、そう口にした真意は?
豊田章男の決断
豊田会長 あいさつ
この間、アジア通貨危機やコロナ感染症などさまざまな障害がありましたが、トヨタ・モーター・フィリピンはつねにそれらを乗り越えてきました。
私は本当にこのチームを誇りに思い、そして、率直に言って、フィリピンの皆さまに敬意を持っています。私は2008年、ここフィリピンでIMVトランスミッションを増産し、アジアの他の地域に輸出することを決断したのです。
1992年以来、トヨタ・モーター・フィリピンは650万基以上のトランスミッションを生産し、輸出額は累計29億ドルを記録しています。これを自動車のCBU(完成車:Complete Build Up)に換算すると、20万台分にあたります。
最終組立よりもトランスミッションと部品の輸出に重点を置くというこの戦略的決定は、私たちにとって有利に働いたと思います。そのおかげで、いくつかの競合他社と異なり、ここで成功を収めることができたのです。
実は、豊田会長は2001~2005年にアジア地域を担当する本部のトップを務めている。
この間にトヨタが打ち出したのがIMV(Innovative International Multi-purpose Vehicle)プロジェクトだ。
それまで、トヨタの事業活動は、日本で生産し、輸出するのが基本だったが、世界各地域で整備が進んだFTA(自由貿易協定)を活用し、「需要のある地域で生産する」フェーズへと移行。
国境を越えて拠点を結び、最適な開発、調達、生産を追求して、飛躍的に競争力を高めるとして、2004年に140カ国以上へピックアップトラック3車型、ミニバン、およびSUVを供給するとうたった。
その主要拠点であるアジア地域を担当していた豊田本部長(当時)は「どう既存の生産拠点を効果的に活用できるか」「相互補完体制はどのように確立できるか」「それぞれの国に自動車産業を根付かせるために何ができるか」と頭を悩ませていた。
悩み抜いた末に出した結論が、タイ、インドネシアを IMVのグローバル供給基地にし、同じASEAN域内のフィリピンでは、トランスミッションを生産して、車両生産国に供給するということだった。
フィリピンは、タイやインドネシアと比べると、マーケットが小さく、製造業の基盤も育っているとはいえない。
しかし、部品をしっかり生産し、仕入先も含めた産業基盤をつくって輸出する。外貨を稼ぎ、経済、雇用に貢献しながら、持続的に成長する。完成車生産ばかりがゴールではないという想いで決断を下した。
この決断のもと、IMVの販売が始まった2004年には、マニュアルトランスミッションの輸出拡大を発表。2008年には、生産能力をそれまでの15万基から33万基へと倍以上に増やし、輸出をさらに加速。
フィリピンはアジア域内、南アフリカ、アルゼンチンなどへのグローバル輸出拠点として成長を続け、今では、生産するトランスミッションの98%を輸出。外貨獲得は累計29億米ドルと同国の化石燃料の年間輸入額に相当する規模にまでに成長した。
「トヨタのシェアが下がっても気にしない」
一呼吸置き、豊田会長は話を続けた。冒頭で紹介した、あの言葉を口にした。
豊田会長 あいさつ
個人的には、ここフィリピンで地元のサプライヤーを育成するために、業界として団結する必要があると考えています。
というのも、現在50%の市場シェアを享受しているとはいえ、特に自動車の約75%が部品サプライヤーから供給されていることを考えると、残念ながらトヨタだけでは現地のサプライチェーンを発展させることはできないからです。
他の日本のOEMがより大きな利益のために協力すれば、この地での自動車産業における機会を大きく増やすことができると私は信じています。
というのも、フィリピンで競合他社が増えれば増えるほど、現地サプライヤーが増え、スケールメリットが生まれるからです。そして、それは我々にとってだけでなく、フィリピンにとっても、最も重要なお客様にとっても良いことだと思います。
変に聞こえるかもしれませんが、私はたとえトヨタのシェアが下がっても気にしません。フィリピンにとって良いことだから。
だから、もし競合他社が今日ここにいらっしゃったら、あるいは聞いていらしたら、電話をください!
部品の生産と輸出を通じて、フィリピンへの貢献を続けてきたトヨタ。しかし、サプライチェーンの基盤強化は、トヨタ単独で実現、維持できるものではない。
さまざまな自動車メーカーや産業の存在があって、市場も経済も活性化する。それがフィリピンという国はもとより、トヨタが事業を続けていくうえでも重要だというのだ。
50%のシェアを守ることよりも、メーカーの垣根を越えて、同国の自動車産業を発展させていくことを目指す。
フィリピン事業の始まりに2人の創業者が誓った想いが根底にあった。