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「豊田章男が東北で語ったオリンピック・パラリンピックへの想い」

2020.04.03

トヨタ自動車東日本が発足して8年―。豊田が口にしたのは、当時から変わらない2つの想いだった。

2020年3月27日、トヨタ自動車東日本の岩手工場に社長の豊田章男の姿があった。岩手工場で生産する新型ヤリスのラインオフ式に参加するためだ。

式典後に行われたメディアとの質疑応答の場で、「五輪延期」に関するコメントを求められた豊田は次のように胸の内を語った。

豊田(2020年3月27日)

現在の新型コロナウィルスの状況を踏まえた関係者の皆様の判断は大変ありがたく思います。感謝申し上げますとともに、敬意を表します。

もともと「復興五輪」ということで、福島から聖火がスタートするはずでした。東日本大震災の時も含め、危機的な状況の時に元気を与えてくれるのはアスリートです。アスリートは感動や希望を与えてくれます。

今回の決定に対し、アスリートにはいろいろな想いがあると思います。

アスリートには旬があり、この夏のタイミングに合わせて調整してきたということで、がっかりした人もいれば、やり直す人もいると思います。

いずれにしても今回の決定によって、アスリートには一つのはっきりした目標ができたと思います。

もともとの「復興五輪」に加えて、「コロナに打ち克っていく五輪」がこの日本で行われることになります。東北も参加し、オールジャパンで、アスリートと国民のための五輪、世界の方々に、喜んでもらえる五輪になるよう、トップスポンサーの一員として全面的に支援してまいりたいと思います。

トヨタイムズでは、豊田が語った「アスリートの旬」と「復興五輪」というワードに注目して、その背景を解説してみたい。

「アスリートには旬がある」 

豊田自身、大学時代、アジア大会のフィールドホッケー男子日本代表に選出されるなど、スポーツに打ち込んできた経験がある。今年の夏だけを目指し、全身全霊をかけて、血のにじむような努力を積み重ねてきたアスリート。そして、常にアスリートに寄り添い、陽になり陰になって、彼ら彼女らをサポートしてきた関係者の方々。オリンピック・パラリンピック競技大会に出場するということが、彼ら彼女らにとって、どれだけ大変なことであり、どれだけ重要な意味をもつことか。それが身に染みてわかるのかもしれない。

「アスリートには旬がある」。若かりし日の自らの経験を重ね合わせるとともに、アスリートたちのさまざまな想いを胸に刻んで、東京2020大会に向かわねばならないという決意を、この言葉に込めたのではないだろうか。

豊田は東日本大震災以降、折に触れて東北のアスリートと交流している。2016年には、室伏広治さんとともに、斎藤(当時 加藤)由希子選手(SMBC日興證券)を訪問。2017年にも再び訪れている。斎藤選手は、現在、福島を拠点にやり投げ種目で東京パラリンピック出場を目指している。

「復興五輪」

東日本大震災発生から1年後の2012年6月、トヨタ自動車東日本の発足披露式典が行われた。その時の豊田の挨拶の一部を紹介する。

豊田(20126月)

私は、東北の地に来るたびに、皆様とお会いするたびに、勇気と元気をいただきます。

最近、「自動車産業は成熟産業だ」とか、「これからは自動車にかわる新しい産業が必要だ」というような声を耳にするたびに、大変悔しい想いをしております。

自動車産業は、決して成熟産業ではありません。新興国をはじめ、これからも着実に成長する産業です。そして、何よりもすそ野の広い産業です。自動車産業が、日本で、そして東北で生産をすることで、すそ野を支える部品メーカーや設備メーカーでも、多くの雇用が生まれ、新しい技術開発が促進されます。こうした日本の自動車産業の総合力がグローバル競争を勝ち抜くための大きな力となります。

ここ東北では、県知事をはじめとする関係自治体の皆様方、東北の皆様方が、自動車産業を、復興に向けた取り組みの「ど真ん中」に据えて、私たちを応援してくれています。たくさんの人たちが「一緒にがんばろう」と声をかけてくれます。皆様の期待が、そして応援が、私には何よりも嬉しく、勇気と元気を与えてくれるのです。

このメッセージにある「大変悔しい」という言葉。クルマづくりでも、会社経営でも、豊田は「悔しさこそが自分の原動力」と語る。

2012年は「超円高」、「電力不足」などが重なり、「6重苦」と言われる経営環境に日本企業が苦しんでいた時だった。「こういう時だからこそ、日本の基幹産業として力になりたい」。当時、日本自動車工業会会長を務めていた豊田には強い想いがあった。しかし、その想いとは裏腹に、自動車産業は成熟産業とみなされ、多くの人たちの期待は自動車以外の新しい産業に集まっていた。こうした中でも、復興を目指す東北の人たちは、復興の原動力を自動車産業に求めていた。「その期待が何よりも大きな力になる。東北のために、東北の人たちと一緒に頑張りたい」。そんな想いが当時の豊田の言葉に表れている。

トヨタ自動車東日本の本社・宮城大衡工場(宮城県黒川郡大衡村)。トヨタ自動車東日本は2012年7月、関東自動車工業、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3社が結集して誕生した。

このメッセージには続きがある。

豊田(2012 年6 月)

少し話はそれますが、トヨタの運動部の話をさせてください。

昨年(2011年)、トヨタの女子ソフトボール部が2年連続の日本リーグ優勝を達成いたしました。

当時はタイの洪水があって、私は試合の応援に行けなかったのですが、「離れていても一緒に応援したいと思い、現場の仲間に頼んで、実況中継をしてもらいました。「00で延長戦となり、2点を失った」と連絡が入った時には、正直、「負けたかな」、「帰ってきたらどんな言葉をかけようか」と考え始めていました。

結果は、その裏に3点をあげての劇的な逆転サヨナラ勝ちでした。すべての選手が勝利をあきらめず、後続のチームメートを信じて、ひたすら「つなぐ」ことに徹したチームワークの勝利でした。ベンチの選手たちも応援団もチームの勝利を信じて、決して諦めることなく、声援を送り続けたという話を聞き、改めて、「ネバーギブアップの精神」を教えてもらいました。

ひたすら「つなぐ」ことに徹した戦い。応援団も含めた全員一丸となった戦いは、まさに仕入先さんや販売店さんを含めたチームワークで勝負する「自動車産業の戦い」を象徴しているようにも感じました。「自動車産業の戦い」は「自分たちのため」だけの戦いではありません。「日本のモノづくりの『最後の砦』を守るため」の戦いであり、「日本のため、社会のため」の戦いであると思っております。

東日本大震災で、東北地方をはじめ、多くの日本の人たちが辛く、悲しい経験をいたしました。悲しみの中でも前を向いて進もうという気持ち、「自分のために」ではなく、「誰かのために」という他人を思いやる気持ち。そして、何よりも「ネバーギブアップ」の精神。そういう気持ちを一番強く持っているのが東北の人たちではないかと思っております。だからこそ、私は、東北の皆様と一緒に、クルマづくりを通じて、東北の未来を創りたい。東北の皆様の期待に応え、お役に立ちたいと思うのです。

2019年11月、リーグ戦の決勝トーナメントを控えた女子ソフトボール部の練習場を豊田がサプライズ訪問した時の一コマ。「TOYOTA」の文字を胸に、会社を背負って戦う運動部の姿に、豊田は勇気づけられてきた。

改めて、今から8年前の豊田のメッセージを紹介したが、ここには「復興に向けた東北の人たちの力」と「スポーツの力」への信頼が込められている。そして、先日、豊田が語った「オリンピック・パラリンピックへの想い」。そのメッセージの根底にも、8年前と変わらない、この2つの想いが込められている。繰り返しになるが、豊田のこの言葉で今回の記事を締めくくりたい。

豊田(2020年3月27日)

もともとの「復興五輪」に加えて、「コロナに打ち克っていく五輪」がこの日本で行われることになります。東北も参加し、オールジャパンで、アスリートと国民のための五輪、世界の方々に、喜んでもらえる五輪になるよう、トップスポンサーの一員として全面的に支援してまいりたいと思います。

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