復興支援の9年後(岩手工場ヤリス式典挨拶)

2020.04.02

「一過性で終わらせない」トヨタらしい東北復興に向けた豊田のこだわりとは?

新型ヤリスが生産されるトヨタ自動車東日本 岩手工場で行われたラインオフ式典に豊田社長が出席した。
その挨拶で豊田は「9年前、私が被災地を見て思った“一過性ではない復興支援”は、人が育ち、またその人が人を育てていくというカタチで実現されていっている」と語った。

9年前、豊田は東日本大震災の2週間後に被災地を訪れている。当時、被災地を目の当たりにした豊田は「復興には長い時間が必要。一過性ではなく、継続して長く一緒にできる何かをやっていかなくてはいけない。」と考えたという。

※2011年当時の豊田社長のスケジュール表

その想いが、その後、中部、九州に次ぐ第3のトヨタの生産拠点を東北に構え、そこに小型車の生産を集約していくことにつながっていく。

豊田がトヨタらしい復興支援として拘ったのは「一過性で終わらせない」ということだった。東北の地にモノづくりが永続的に根付いていくことこそが、本当の意味で被災地のお役に立てることと考え、工場をつくった。そして、それが永続的に続いていくようにと、モノづくりの学校を設立し、人を育てていくことになる。

その9年後の姿を、ヤリスの立ち上げを果たした工場の中に豊田は見ていた。トヨタイムズでは、そのことを語った豊田社長の挨拶文を紹介したい。

なお、数値で9年間の変化を見てみると、東北でのトヨタの出荷額は、2011年当時には500億円程度だったものが、今は8000億円と大幅に拡大し、雇用数も、約3000名増えている。

これについて、豊田社長は式典後のインタビューで、以下のように答えている。
「この東北でトヨタが、モノづくりをしようということで、仕入先など色々な方に(東北に)駆けつけていただいたり、地元では自動車産業にあまり関係のなかった方も自動車産業に参画いただくなど、そういう形での結果だと思います。」


〈ヤリスラインオフ式 豊田社長挨拶全文〉

ヤリスは自分の愛車

皆さま、おはようございます。トヨタ自動車の豊田でございます。本日は、ご多忙の中、新型ヤリスのラインオフ式に、東北経済産業局の相樂局長、岩手県の達増知事、そして金ヶ崎町の髙橋町長をはじめ、多くの皆さまにお越しいただきました。 誠にありがとうございます。

…と申し上げましたが、本来であれば、ここ岩手、金ヶ崎から世界に向けて発進していくヤリスの門出を、もっと多くの方に見守っていただける予定でした。

時節柄、そうできなくなってしまい、残念ではありますが、今後、トヨタイムズでも、本日の様子をお届けしようと考えております。

ですので、ぜひ、私の愛車であるヤリスへの想い、そして”そのヤリス”を東北でつくるということへの想いを、お話しさせていただければと思います。

今、ヤリスのことを”自分の愛車である”と申し上げました。普段は、センチュリーに乗ってるんじゃないか?スープラとか86みたいな車が好きなんでしょ?ということで「ヤリスが愛車というのは、式典のための社交辞令だろう…」と思われている方もいらっしゃるかと思います。まずは、こちらをご覧いただけますでしょうか?

そう言って過去にトヨタイムズでも紹介したヤリスのインプレッション動画が流された。

もっといいクルマづくり.jpg

映像が終わり、豊田は話しを続ける。

知恵と工夫で難題を克服した岩手工場

ヤリスが、私にとって大切な一台であること信じていただけましたでしょうか。運転している表情を見て、ヤリスが、どんな車に仕上がったかも、お分かりいただけたのではないでしょうか。

映像でも言っておりましたが、もっといいクルマをつくる基準はコンパクトカーにございます。小さい…、お求めやすい…、だからと言って乗る人にチープな思いをさせるようではダメ…。むしろ、誇らしく乗れる車であって欲しい…。そんな相反することを実現しないといけないのがコンパクトカーでございます。だからこそ、一番、クルマづくりの実力が求められるということだと思います。

「この曲がり方がいいよね、、、」と私も言っておりましたが、例えば、そういった走りの面でも上質感が感じられるようになったのが、この新型ヤリスです。

車体を作る際の溶接の箇所を増やし、曲がる時にもボディがよじれにくくして、ハンドリングや乗り心地を良くしました。溶接の箇所を増やすということは、工程が増え、原価が上がるということです。

だけど、車両価格を抑えなければ、お客様に喜んでいただけるクルマにはならない…。それを知恵と工夫で乗り越えてくれたのが、この岩手工場でした。

溶接のロボットを自らの手で作ってくれました。それも工程の長さを今までの3分の1にするような革新的なものです。自作ですから、もし不具合が出ても、自分たちで、すぐに直せます。こうしたことで無駄な時間が、さらに省かれていきます。面積、時間など様々な無駄を、この工場は自らの知恵と工夫で省いていってくれました。

ここでは紹介しきれませんが、この岩手工場には、至る所に知恵と工夫があり、「上質感」と「価格」という、相反する二つを実現してくれています。これを実現してくれた岩手工場の皆さんに、心から感謝したいと思います。みなさん、ありがとうございました。

復興支援は一過性のものではいけない

こうしてヤリスが無事に立ち上がり、工場の皆さんを前にして、こうやってお礼を言えることが、今日は、本当に嬉しくてなりません。こんなにも嬉しく思えるのは、東北の地のモノづくりに深い想いを持っていたからだと思います。

私が社長に就任してから10年が経ちますが、その中で忘れられない日が2つあります。米国の公聴会に出席した2010年2月24日と、その翌年2011年3月11日です。

当時、大震災の後、私も被災地に入らせていただきました。東北の皆さまが、自ら被災されながらも、前を向いて復旧、復興に取り組んでいらっしゃる姿を目の当たりにし、強く心を打たれました。

「この震災を、日本人として、いつまでも忘れてはならない」と、心の中で、強く誓ったことを覚えております。

そして、復興には長い時間が必要、一過性ではなく継続して長く一緒にできる何かをやっていかなくてはいけない…、そう思うに至りました。

トヨタには創業以来「産業報国」という精神がございます。どうにか東北のお役に立てることはないか…?と考え、辿り着いた答えは、やはり「モノづくりを通じて、東北に貢献していく」ということでした。

モノづくりを進めてくれた9年間への感謝

震災から4カ月経った2011年7月、関東自動車、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3社の統合を発表し、その1年後にトヨタ自動車東日本は立ち上がりました。

国内市場の縮小に伴う生産の再編といった事情もありましたが、あの時、背景にあった1番の想いは、ここ東北を、中部、九州に次ぐ、国内第3の拠点と位置づけ、世界に通用するコンパクトカーの生産拠点にしていきたいというものでした。

東北は、寒冷地という厳しい気候にありながら、工夫と努力を積み重ね、米作りを根付かせ、日本という国を下支えしてきた土地です。そんな東北だからこそ、モノづくりの実力が問われるコンパクトカーづくりで震災から復活し、さらには、未来の日本を引っ張っていくような地になっていって欲しい…そんな願いを持っておりました。

復旧、復興の苦労を乗り越えながら、宮城の大衡工場、岩手工場あわせて、東北から、毎年40万台を超えるコンパクトカーを世界のお客様に届けてくれています。

ただ、ここに至る苦労は震災復興だけではありません。異なる文化を持った3社の融合や、個々人で言えば、関東での工場閉鎖、そして、そこから東北への転勤となった方も沢山いらっしゃいます。

様々な苦労の末に、この地でクルマづくりが続いているのだと思います。また多くの仕入れ先の皆さまも、この東北の地でモノづくりを始めてくださいました。ここにも沢山の苦労があったのだろうと思います。

改めて、東北の地でモノづくりを進めてくださっている全ての皆さまに感謝したいと思います。ありがとうございました。

一過性ではないと感じた学園卒業生の言葉

そして、今回、この”東北のモノづくり”が、未来に繋がっていっていることも実感できました。

企業内訓練校「トヨタ東日本学園」が2013年からスタートしており、すでに153人もの卒業生が、モノづくりの現場で活躍してくれています。その内の一人、岩手工場にいる卒業生が、将来について、こんな話をしてくれました。

「東日本学園はこれからも、ずっと続いていくと思っている。」「自分は4期生だから、学園が始まってまだ初期のOBということになる。」「今後、自分が、どんな人になるかで、学園卒って、こういう存在なんだというイメージがついていく。」「だから、これから入ってくる後輩たちにも『あの先輩は、学園卒だから、こういう人なんだ』と言ってもらえるような人になっていかなきゃいけないと思っている。」

まだ20代の若者です。本当に頼もしい言葉でした。
9年前、私が被災地を見て思った“一過性ではない復興支援”は、人が育ち、またその人が、人を育てていくというカタチで実現されていっていると感じました。

信じて、前に進んでいけば、明るい未来は、必ず実現する

「東北の未来なくして、日本の未来なし」
2013年、宮城の大衡工場で開催したセレモニーで、私が最後に言わせていただいた言葉です。

あの頃は、とにかく未来がやってくることを信じるしかなかったように思います。

あれから9年の歳月が過ぎ、ヤリスが立ち上がった この岩手工場に来て、あの時はおぼろげにしか見えていなかった「東北の未来」が、現実になってきたと実感することができました。

そして、更に未来の東北に繋がっていっていると感じられました。そのことを本当に嬉しく思います。

ただ、今、また、別の理由で、未来が少し見えにくい世の中になってきてしまいました。

しかし、今日、ここで皆さんを前にして思ったことは、「信じて、前に進んでいけば、明るい未来は、必ず実現する」ということです。そう思わせてくれて、皆さん、本当にありがとうございます。

東北の未来なくして、日本の未来なし。そして…日本の未来なくして、世界の未来なし。

皆さん、笑顔で未来に向かって、頑張っていきましょう。本日は、本当に、ありがとうございました。

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