戦後の混乱期に互助会として始まり、今や社員食堂のみならず、スーパーや各種サービスまで展開するトヨタ生協。80周年を機に歴史を振り返る。
サムネイルに映ったオレンジ色の鳥、トヨタの従業員や豊田・みよし・岡崎3市の市民ならすぐにピンとくる方も多いだろう。
これはトヨタの従業員なら誰もがお世話になったことのある、トヨタ生活協同組合、愛称「メグリア(MEGLiA)」のシンボルマーク。(鳥の名前は「メグリアバード」)
「メグリア」とは、イタリア語で「よりよく」を意味する「メグリオ(Meglio)」と、日本語の「めぐりあい」をかけた造語だ。
工場や寮など社内にある食堂・売店のみならず、地域住民も利用できる大型スーパーや各種サービスまで幅広く事業展開し、従業員だけでなく、その家族、市民にとっても欠かせない存在。
そんなメグリアが2025年12月、創立80周年を迎える。
そこでトヨタイムズでは今回、メグリアの歴史を振り返るとともに、事業の柱の一つである店舗(スーパー)に息づくトヨタの改善を紹介する。
始まりはトヨタ従業員による互助会
メグリアの前身組織「トヨタ自動車工業株式会社挙母工場互助会」が誕生したのは、第二次世界大戦が終結した1945年の12月15日。
闇市が横行する時代、終戦直後の混乱もあり、福利厚生も十分に行き届かず、加えて挙母工場(現在の本社工場)が建つ論地ヶ原周辺は商店もなく、物資の確保は急務だった。
そんな状況下、トヨタ自工の有志438人が声を挙げた。出資金は1口50円、現在の価値で約1万円。トヨタ自工の敷地内にあった豊友商事の食堂の片隅に事務所を構えた。
翌年、食料品を中心に生活必需品を集め、現在の本社西門付近に最初の店舗を開設。売店業務から始め、2月には喫茶店営業も開始した。喫茶店では、でんぷん質を米状にした人造米や芋による食事や飲料を提供していた。
互助会の設立趣意書には、このように書かれている。
設立趣意書(一部抜粋)
自動車工業は、国民生活の必需品として、重要産業の一つに数えられ、祖国再建に寄与する所極めて大きく、当社の責任たるや極めて重大であるといわねばならない。
一方、国民生活をみるに、生活必需品流通機構は、混乱破滅に陥り、ほとんどその機能を停止、他方統制の枠は外され、物資は出回ったとはいえ、度外れの高値は、到底、固定俸給生活者の手の届く所でない。かくて消費生活は、破滅の状況にひんしているのである。
会社当局としても、この状況を拱(きょう)手傍観*するあたわず、本年にいたり大幅の給料引上げが行われたが、急激に奔騰する物価に追いつくはずがなく、従業員の生活安定のために更に強力なる物質的な裏づけを必要とするに至ったのである。
*何もせずにただ近くで見ていること。
トヨタ自工の互助会ではあったが、売店・喫茶店は近隣住民も利用することができた。さらに「生活に関しては門戸を開放すべきだ」との意見が多く集まり、47年には地域への出張販売も始まっている。
48年に消費生活協同組合法(生協法)が施行されると、「トヨタ生活協同組合」に名称を変更。丸山や前山など、拳母工場近辺の社宅が生まれた地域に次々と支部(店舗)を開設していった。
〈職域生協について〉
「生活協同組合(生協)」とは利用者一人ひとりが出資金を出し合って組合員となり、協同で事業を運営・利用する組織。
「生協」と一口に言っても、いくつかの種類がある。おそらく読者の皆さんが一番イメージしやすいのは、地域で店舗を運営し、商品やサービスを提供する「地域生協」だろう。ほかにも大学の学生や教職員を対象とする「大学生協」。地域住民と医療や福祉の専門家で組織する「医療生協」、「福祉生協」などがある。
トヨタ生協の場合は「職域生協」と呼ばれる。職域生協とは「原則として、一定の職域内に勤務するものを組合員とする生活協同組合。例外として職域の付近に住所を有し、その生協の施設を利用することが適当とされる者も組合員とすることができる」とされている。
少々難しいが、要はトヨタの従業員以外にもトヨタ本社がある豊田市周辺の住民も組合員になれるということだ。トヨタ以外にも東海地方だとスズキや愛知県職員の職域生協がある。
トヨタ従業員が求めるサービスを次々と開発
高度経済成長期に入ると、トヨタは1956年に月産5000台を達成。59年には元町工場が、65年には上郷工場が稼働する。そしてトヨタの成長に呼応して、トヨタ生協も事業を拡大していく。
トヨタから引き継ぐ形で始めた食堂運営は、62年からの4年間で工場や寮に16カ所も開設した。
当時のメニューは、定食に加え、カレーと丼もの。若い従業員が多かったこともあり、素早く食事を終わらせて娯楽に時間を使いたいということで、カレーや丼ものは人気だったという。
現在の食堂の形態である、好きな料理を自由に選べる「カフェテリア方式」は、1989年から始まっている。
ちなみに、食堂のメニューについては、メグリアから提案し商品化されているという。特別メニューは、工場長にインタビューして、故郷の料理を再現したり、イベントに紐づけたりして開発している。
また、季節ごとに各食堂の管理栄養士(100人弱)が考案した新メニューを持ち寄り、コンテストも開催。トヨタ社員も参加して評価していくのだが「会長や社長にも来てほしいです」という声も。
店舗事業に目を向けると、高度成長期の急速な団地建設に伴い、出店を望む声が増加。1966年からの10年間で地域店は14店舗に増え、食料品から衣服、家電、おもちゃ、宝飾品まで扱うようになり、その姿を大きく変えていく。
生活様式の変化に合わせて、新たな事業も展開。トヨタの通勤補助とも相まってガソリンスタンドを建設、給油事業が始まったのもこのころから。
こうしたサービス事業は現在、調剤薬局や葬儀専用のセレモニーホール、介護の相談や介護用品の販売、買い物が困難な人たちに向けた移動店舗など多岐にわたる。珍しいところでは、庭の手入れなど日常の困りごとを解決する「便利屋サービス」なんてものも。
これらの中には、なかなか利益も生まないものもあるという。それでも事業を広げ、続けてきたのはなぜだろうか?
1984年にトヨタ生協に入職して以来、メグリア一筋の池田修 副理事長は、根底にあるのは「奉仕の精神」と語る。
池田副理事長
入職したころからずっと言われてきたのは「奉仕の精神」ということでした。給料袋にも書いてありましたね。
「奉仕の精神」は、一般的な「無償奉仕」という意味ではなく、「組合員のための最大奉仕」という意味で、相互扶助の精神が根底にあるんです。
年史などの古い資料を読んでいくと、(互助会のころから)自分たちで商品を調達して公平に分配する。そこにも奉仕の精神をもってやるという意味合いの言葉が出てきます。
私たちは、やっぱりトヨタ自動車の職域生協なので、トヨタの従業員のみなさんのため、地域の組合員様のためにという気持ちでやっています。ですので、事業をやってどんどん儲けるとか、大きくなって目立つとかそういう意識は少なくて、組合員さんの生活向上と地域社会への貢献を目的に、誠実に事業を行うというのが基本理念なんです。
職員から共通して出てくる言葉は「真面目に、地道に、一生懸命に」です。
池田副理事長はさらに、「トヨタ自動車の方々や、そのご家族が必要とするものは、すべて自分たちがそろえる。赤ちゃんが生まれてから、お亡くなりになるまでのすべてのシーンに対応する事業をやるんだという想いでやってきました」と続けた。
438人の有志から始まった互助会は、トヨタ生活協同組合へと名前を変え、今や組合員数は277,377人に(2025年11月30日現在)。工場や寮にある売店・食堂は200を超え、地域住民も利用する小売店は15店舗まで増えている。