青年の涙のスピーチと、支えた大人の物語 トヨタ工業学園卒業式

2022.03.04

2年にわたるコロナ禍で、トヨタ工業学園の卒業生たちは"ある想い"が強くなったという。

2月15日、企業内訓練校である「トヨタ工業学園(以下、学園)」の卒業式が行われた。2年にわたるコロナ禍で日常が大きく変貌し、多くの行動制限がある中で学園生活を過ごしたことで、卒業生たちは“ある想い”が強くなったという。

人は、誰かのために強くなれる

まず、見ていただきたい映像がある。卒業生代表の青年が、育ててくれた先生(以下、指導員)や遠方で暮らす母を想い、涙をこらえきれずスピーチする約7分の映像だ。コロナ禍で葛藤しそれでも前へ進み続けた胸の内を、どうかご覧いただきたい。

このスピーチが行われた式典会場は、昨年同様、卒業生と指導員のみの出席。直前まで悩み続けた上でコロナ禍での安全を最優先し、保護者に向けてはオンライン配信が行われた。

学園には遠方からの入学者も多く、家族とは遠く離れた寮で暮らしている。だからこそ、卒業生たちも育ててくれた保護者に晴れ姿を直接見てもらい、感謝を伝えたかったに違いない。

そのような状況でも、式典後に語られたのは“感謝”の言葉だった。「後輩や保護者にも同じ場所で見て欲しかった。でも、式ができたことだけでも感謝したい」「卒業式に多くの方が関わっていることを感じ、感謝の気持ちが溢れた」といった声が次々と聞こえてきたのだ。

スピーチの最後の「厳しい現実に直面しようとも、多くの人への感謝を忘れず必ず乗り越こえていきます」という言葉。これは決して形式的なものではない。コロナに多くの自由を奪われたことで胸に刻まれた、揺るぎない誓いなのだろう。

愛されていたんだ、ありがとう

卒業生代表としてスピーチをした高等部3年生の渡邊さんは、15歳の入学時に、栃木県から遠く離れた豊田市の寮で暮らすこととなった。母が一人で育ててくれたという彼はこう語る。「寮暮らしになり、僕が思っているより母は寂しかったかもしれない。3年生になった今も毎日LINEで連絡がくる。愛されていたんだと気づいた」と話す。

そして、「(遠く離れた進路を選び)迷惑かけてごめんね、育ててくれてありがとうと伝えたかった」とスピーチに込めた想いも明かしてくれた。式典終了後、渡邊さんの元にお母さんからメッセージが届く。

卒業おめでとう。今日のこの日も、直接これまでの頑張りを讃えてあげられなくて、親として本当何もしてあげられなかったと思っていました。なのに、あんなに大きくてあったかい想いを、メッセージを、本当に本当にありがとう。

スピーチに込めた感謝の想いは、カメラの向こうのお母さんにしっかりと届いていたのだった。

取材に応えてくれた高等部3年生の渡邊さん

そんな渡邊さんだが、入学当初は大きな戸惑いがあったそうだ。当時は現在のように個室の寮が完成しておらず、先輩と5人の相部屋だったという。そこで規律について厳しく教えられることに苦痛を感じていた。

しかし、自身が3年生になり後輩に教える立場になると、「自分のことを想って厳しく接してくれていたのか」と痛感することとなる。上下関係が希薄だと言われる時代に、相手のために言いたくないことも真正面から伝える。その伝統を感じ、「トヨタは人が好きだと思う」と渡邊さんは笑顔で話す。

そして彼は、仲間と共に、学園にある変革を起こした。「生徒会」から「学成会」の組織変革である。その経緯を話してくれた。

渡邊くん

普段から指導員の皆さんに「将来、君たちはトヨタ自動車の中核を担うために訓練されている、一般的な生徒とは少し違う」と教えられてきた。次第に「生徒会」という名前に違和感を覚えました。

そこで名前を、学園生が自分たちで「成す」「成長」する会。という意味で「学成会」に変更。名称案も、一部のメンバーだけではなく、学年全員で議論して決めました。

それまで(学園の決め事など)役員中心で動いていたが、これからは全員で1つの組織として主体的に動いていく。そのような想いを記した「要望書」を学園長に提出。組織の在り方を変えるために会則まで変えました。

この組織変革で共に動いていたのが学成会・副会長の高田さんだ。彼女は「他の学校にはない訓練をやってきたからこそ、忍耐力や、周りを巻きこむ力が身に着いた」と話す。

学成会の副会長でもある高等部3年生の高田さん

草刈りでキレイになったのは、街並みだけではなかった

高田さんはある活動中、困ったことがあったという。それはコロナ禍と高齢化により、自治会が地域の清掃活動を実施できない中、お世話になっている地元の方々のために草刈りに取り組んだ際の出来事。

現場は、足場が不安定な川沿いのぬかるみや、命綱が必要な急斜面であった。はじめは「どうやってここの草を刈るの?」「正直ムリじゃない?」と困惑したという。

酷暑の中でマスクを付けての作業、途中からは雨も降る過酷な状況。それでも自分たちで活動計画を決め、トヨタ生産方式を参考に、一人ひとりの役割を決め、刈り取りから運び出しまで、人と物の流れを固定化。安全に効率よく作業できるように工夫した。

作業中、地元の方々から「ありがとう」と声をかけていただき、差し入れをいただくこともあったそうだ。その温かい言葉にやさしさを感じ「誰かのために」行動する喜びを肌で感じたのだった。

「クラスの仲間との一体感もついたし、つらいことも仲間がいると楽しんで取り組める」と高田さんは笑顔で教えてくれた。

この清掃活動について、豊田社長も卒業式のスピーチでこう語っている。

豊田社長

卒業生の皆さん、高等部は3年のうち2年間、専門部は1年の学園生活のすべてをコロナ禍で過ごしました。それでも皆さんは下を向くのではなく、「今の自分たちができること」を考え、行動してくれましたね。

「お世話になっている地域の皆様に恩返しがしたい」。その想いから、高等部の皆さんは、公園や河川敷、専門部の皆さんは、集会所や里山の清掃活動に取り組んでくれました。暑い中、また雨の中、慣れない鎌を手に、生い茂る草を取り除き、見違えるようにキレイにしてくれましたね。

この活動を取り上げた地元の広報誌の記事では、最後にこんなことを言ってくださいました。「コロナ禍で鬱蒼としていた街並みだけではなく、我々の心の汚れも清めていただいた気がします」。

記事の中で、その理由が説明されていました。1時間かけて歩いて来て、疲れているだろうに、誰もが明るく元気にあいさつをする。みんなで一列に並び、黙々と作業し、徹底的にキレイにする。取材してくれた方は、皆さんのひたむきな姿勢を見ているうちに感謝の気持ちと感動で、涙が出てきたそうです。

「誰かのために」一生懸命頑張っていただき、本当にありがとうございました。

(豊田社長あいさつ全文はこちら

報われない努力もある

高田さんは、指導員から教えられた忘れられない言葉があるという。それは「報われない努力もある」という言葉。

彼女は女子寮の寮長も担当し、大勢の女子学生をまとめていた。しかし男性指導員や男子生徒は女子寮での働きぶりを知ることができない。努力を知ってもらえず悩んでいた時に、ある指導員が掛けてくれたのが、先ほどの言葉だった。

報われるために頑張るのではなく、誰かのために頑張ることが大事。そのことに改めて気づかされたという。誰かのために自ら行動を起こす学園生。しかし迷いや悩みがあれば、指導員が徹底的に寄り添う。大人たちもまた、学園生のために全力で向き合っているのだ。

実は高田さんは、お父さんも学園の卒業生で、父に進められて入学を決めたらしい。そして卒業式を迎える今、伝えたい想いがあるという。

「母が病気で、お父さんが朝5時に起きて兄弟3人を育ててくれました。もっと家事を手伝ってあげられれば良かった。ここに来て自分のことを自分でできるようになった。だからこそ、この学園を薦めてくれてありがとう。これからは恩返しできるように頑張るね」。そう伝えたいと、まっすぐな目で話してくれた。

高田さんは卒業生代表に選抜され、卒業証書授与で登壇。その姿はオンラインで配信された。この日の晴れ姿は、きっとカメラ越しにお父さんの目に焼き付けられているだろう。

「トヨタで働く」ではなく「誰かのために動く」ことが親孝行

高等部の2人とは違い、高校を卒業後、先端技術のスペシャリストになるべく専門部に入学してきた生徒がいる。高校時代にロボットづくりの国際大会で日本一にも輝いた伊藤さんだ。

専門部の伊藤さん ロボットの世界大会はコロナで中止になったと悔しそうに話してくれた

伊藤さんはグローバルな技術者になりたいと考え、お母さんからも「好きなことをするために、進路は好きなところを」という言葉を支えに、愛媛県から遠く離れた豊田市の学園にやってきた。

彼のクラスはコロナ禍で、寮での自室待機を余儀なくされたこともあった。そんな中でも室内でできるボランティア活動を実施。作業でのムダな工数削減を自主提案し、自由を奪われた状況でも知恵を出し、誰かのために必死に動いていたのだ。

専門部では、寮での自室待機期間「羊毛のごみ取り」など地道なボランティア活動にも取り組んだ

1年しかない専門部での自室待機は辛くなかったか?この質問に、彼はこう答えた。「やらされているではなく、利他の心でやっているのでそうは思わない。改善は終わりのない挑戦なので楽しいし、学園生に頼んでよかったと言ってもらえたことが嬉しい」。

それでも訓練は厳しく、失敗してモチベーションが下がることもあったという。しかし、そんな時に指導員は「失敗したら止まるのではなく、チャンスだと思え」と声を掛けてくれた。常に挑戦するための支えとなり、成長できる環境を整えてくれたという。

体力を鍛える走り込みの訓練では、目標タイムをクリアするために、担任の指導員は土曜日も付き合ってくれたそうだ。「目標達成できたらGRヤリスで一緒にドライブ」。楽しみにしていた担任との約束を達成できなかったことが唯一の心残りだと彼は悔しそうに話す。

「挑戦することが大事なのではない。挑戦しつづけることが大事」。担任がホームルームで話してくれた言葉を、ずっと大切にしていくと心に決めた。

社員手帳にも、挑戦をつづける決意を書き込んだ

取材の最後に、愛媛のお母さんとのエピソードを教えてくれた。「一人で育ててくれた母は、愛媛で寂しい思いをしているかもしれない。でも、悲しい顔は見せないでいてくれた。そのおかげで自分の進みたい道へ踏み出せた今がある。“トヨタで安泰”が親孝行ではなく、“誰かのために動く”ことが親孝行だと思うのでこれからも挑戦していきたい」。

3人に取材をして、指導員と学園生の関係性に不思議な点があった。普段は厳しく指導される。それなのに、親しいのだ。思春期の教師と生徒とは思えないような距離感である。ここでは人間と人間が真正面から向き合っている。だからこそ特別な信頼関係が生まれているのかもしれない。

豊田社長は毎年、卒業式を楽しみにしているという。式典後は、社員手帳に記された訓練生の誓いを見ながら、「そう、安全がいちばん!」「技能五輪で世界一になれ!」など、多くの訓練生と会話を重ねる。

今年も会話の中で、訓練生に大切なことを気づかされたという。ある生徒が通学中に事故を目撃し、すぐさま救助活動を行ったそうだ。豊田社長は「普段の鍛錬の差が、とっさの時の行動の差につながる」と感心。まっすぐな若者たちの姿を見ることで、自身も「原点に戻れる」と語る。

高等部117名、専門部116名は、卒業式の翌日に転寮し、二日後にはトヨタの各職場に配属された。

学園生代表のスピーチで、「トヨタでいちばん若い私たちが、良きトヨタパーソンとして職場の原動力、そして即戦力になっていきます」と力強く宣言されたように、2022年、春。若者たちの新たな人生が始まった。

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