写真家、三橋仁明氏が、ルーキーレーシングの戦いを写真で伝える連載。2021スーパー耐久シリーズ第3戦富士編。
水素エンジンという挑戦が、自動車産業で働く550万人につながっている
水素エンジンがモータースポーツの世界に初めてデビューし、24時間の耐久レースで完走を成し遂げるまでの歴史的な瞬間を、あますことなく記録すること。しかし、それだけが今回の撮影テーマではなかったと、三橋氏は回想する。
「さまざまな意見があるなかで、水素エンジンというテクノロジーの安全性を証明する一番の方法は、自分自身が水素エンジンを搭載したカローラを走らせることと、モリゾウさんは仰いました。ドライバーは1/1000秒を削るために、体を張って、命を賭けて乗っているわけですが、それを支えるエンジニアやメカニックやスタッフはもちろん、パドックに特設された給水素ステーションの作業員の方々まで、実は水素エンジンというルーキーレーシングの新しい挑戦自体が、自動車産業で働く550万人の未来につながっていること。その事実を、僕自身が550万人のうちの一人であることを意識しつつ、伝えたかった」
かくして膨大な撮影カットの中から象徴的な「550枚」をセレクトし、水素エンジンカローラとGRスープラの24時間フィニッシュの瞬間に、コラージュとして重ね合わせたのが、冒頭の一枚だ。
「ゴールシーンには、同じST-Qクラスの開発車両として研鑽するGRスープラの姿が、欠かせませんでした。
水素エンジンカローラのスタートドライバーを務めたのは小林可夢偉選手。F1やル・マン24時間耐久レースの経験も豊富で、その舞台である仏サルト・サーキットのコースレコードをもつ彼ですら、水素エンジンカーで決勝レースに望むのは初めてだった。パドックの一隅に水素ステーションを特設するという、レース主催者の措置も初のことながら、補給を終えた水素エンジンカローラを一礼で見送り、昼夜を問わず、無事を祈るように頭を垂れ続ける給水素作業員の姿も、初めてのことだった。
「水素には、つくる人、運ぶ人、使う人がいて、そこにレースでは観る人が加わる、とモリゾウさんは仰います。実際にはサーキットの現場に来ていない、550万人の観ている人たちの存在を感じられました」
いわば水素エンジンカローラのデビュー戦を通じて、水素テクノロジーによる脱炭素社会への一歩目に、誰もがルーキーとして立ち会った。そんな24時間だからこそ、大きな注目と感動が寄せられたのだ。
「とはいえ人間、24時間ずっと張り詰めたままでは大変ですよね。電装系のトラブルの後だから夜中だったんですけど、石浦宏明選手がモリゾウさんと談笑していたり」
水素エンジンカローラを無事にフィニッシュラインまで運ぶというミッションに加え、チーム全員が共有したのは、24時間を水素と過ごす中で自然とそうなっていく、家族のような空気。
「やはり安心安全とは、人の手でつくり出されるもので、互いの信頼の積み重ねから生まれてくることを、再認識しました」
24時間を越えて撮り続けた作品を前に、三橋氏はそう締め括った。
三橋仁明氏が切り取った、2021年スーパー耐久シリーズ第3戦富士スピードウェイ24時間
GRスープラと水素エンジンカローラ、ルーキーレーシングの新しいチャプターは、このスーパー耐久 第3戦 富士24時間レースから始まった。
「心ひとつに」
550万人の未来への期待を背負ってステアリングを握ったモリゾウさん
「水素が安全であることを証明するためには、私自身がドライバーをとして参加する」
トヨタ自動車の社長として、自工会の会長として、ルーキーレーシングのドライバーとして、550万人の未来への期待を背負って水素エンジンカローラのステアリングを握った。
モータースポーツを通して、モリゾウさん自身が示してくれた、未来への意志ある情熱と行動。
15時2分に仲間とともに受けたチェッカーフラッグは、未来への旅のスタートフラッグとなった。
Aドライバーとしての責任を全うした井口卓人選手
普段の屈託のない笑顔と、ヘルメットを被ったときに入る「ゾーン」が対照的な井口卓人選手。
感じるのは「未来に向けた大きな1歩」
鋭い目の先に見えるものは「何十年後かの未来」
その想いとともに、水素エンジンカローラのAドライバーとしての責任を全うする。
自身の経験とセンサーでレーシングカーとしての高い水準を追求した佐々木雅弘選手
チームの兄貴的存在、佐々木雅弘選手。
自身の経験と研ぎ澄まされたセンサーで、水素エンジンカローラのセッティングを決める。
車両の開発段階から真っ先に走り出し、視界の確保のための追加メーターの移設、ルーフにあるエアインレットからの浸水や、フロントガラスの曇り対策など、あらゆる不具合を洗い出し、レーシングカーとしての高い水準を求めた。
仲間への感謝の想いとともに24時間レースを戦った松井孝允選手
華奢な体でレーシングカーをねじ伏せる松井孝允選手。
23時過ぎに発生した電気系統のトラブルには、メカニックとともにマシンの修復作業を手伝った。
修復が完了したのは翌3時半、実に4時間を超える時間がかかった。
仲間への感謝の想いとともにヘルメットをかぶり、メカニックやエンジニアに頭を下げながらマシンに乗り込んだ。
礼儀正しい、心優しき34歳。
水素エンジンカローラをチェッカーフラッグへと導いた石浦宏明選手
モリゾウさんから夜勤担当を任され続けたあの石浦宏明選手が、ついに朝日を浴びて走る。
4時半から6時半という、24時間レースでも特に難しい時間帯を走り切った。
また、自身の最終の出走時には、リアサスペンションの固定箇所の異変に気づいた。
すぐにメカニックが修復、無事、最終ドライバーのモリゾウ選手にバトンをつないだ。
スーパーGTやスーパーフォーミュラのチャンピオン経験者としてのセンサーが、水素エンジンカローラをチェッカーフラッグへと導いた。
「世界のカムイ」の流儀を貫いた小林可夢偉選手
今回がルーキーレーシングとともに戦う初めてのレース。
しかし、その姿は他の誰よりもルーキーレーシングそのものだった。
率先して意見を言い、壊れたマシンをメカニックやエンジニアと一緒に直し、ゴールの瞬間は誰よりも先に2台のマシンを迎えた。
それは、誰よりも24時間の戦い方を知る「世界のカムイ」の流儀だった。
一睡もせず2台を見事なまでにまとめ切った片岡龍也監督
今年は昼夜を問わず、2台のマシンともに、いろいろなトラブルが出た。
その状況を冷静に見極め、メカニックやエンジニアに指示を出していた。
ドライバーは6人で交代するも、監督の代わりは誰もいない。
一睡もせず、水素エンジンカローラとGRスープラの2台を見事なまでにまとめ切った片岡龍也監督。
「ご安全に」の想いとともに水素エンジンカローラを見送った蟹江庸司主査
決勝の24時間のうち、水素の充填回数は35回。
給水素を終え、水素エンジンカローラがコースに戻る度に頭を下げて見送る、蟹江庸司主査(GRプロジェクト推進部)らチームメンバーの姿があった。
その想いは「ご安全に」
誰もが注目した水素エンジンのチャレンジの裏には、作業員の静かな「思いやり」があった。
支え、鍛えてくれた人たちみんなに、心から「おつかれさまでした」
8時間1分。これは水素エンジンカローラが、ピット内での作業に要した時間。
つまり、24時間レースのうち、3分の1が、マシン修復の時間に費やされていたことになる。
違う見方をすれば、モータースポーツの時間軸での8時間分、水素エンジンカローラは強くなったことになる。
それはすべて、メカニック、エンジニア、そして会社の枠を超えて支えてくれた人たちが鍛えてくれた時間。
そんなみんなに、心から「おつかれさまでした」
「もっといいクルマづくり」のためにGRスープラも24時間を走りきった
水素エンジンカローラばかりがフィーチャーされた今回の24時間レースで、もう一台のルーキーレーシング、28号車のGRスープラも、水素エンジンカローラと同じST-Qクラスで走っていた。
いつものレギュラードライバーに加え、大嶋和也選手、河野駿佑選手といった2人のプロドライバーがステアリングを握った。
今回の24時間では、6人のドライバー全員が、均等に4回ずつ走った。
これは、各ドライバーがそれぞれの開発の役割を果たしたことを意味する。
「主催者から支給されるカーナンバーの発光装置の不具合」といった予期せぬトラブルもあったが、 GRスープラの車両自体はノートラブルだった。
ST-Qという、同じサーキットのフィールドで、異なった開発を進める2台。
その目的は「もっといいクルマづくり」である。
会社や組織の枠を越えて、未来への旅に集結してくれた132人の笑顔。
もちろん、ここには写っていない仲間もたくさんいる。
550万人の代表者として心ひとつに戦ったすべての仲間に、感謝。