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未来の街に受け継がれる"ヒト中心"の思想 株主総会2021 #3

2021.06.23

2020年1月に発表したWoven City構想。そこには、発明王と言われた豊田佐吉の時代から受け継がれる考え方があった。

6月16日、愛知県豊田市の本社で行われたトヨタ自動車の株主総会(総会)。前回に引き続き、議長も務める豊田章男社長が回答を譲ったもう一つの場面を紹介する。

今回取り上げるのは、今年2月23日(富士山の日)に着工した未来の実証都市・Woven Cityについて。

株主からは、なぜ静岡県裾野市に建設することにしたのかという質問。これまでもトヨタイムズでは、豊田社長の口から語られた建設の経緯を何度か紹介をしてきたが、今回はジェームス・カフナー執行役員が回答した。

カフナー執行役員は、今年1月にトヨタの自動運転技術の開発やWoven Cityプロジェクトを推進するTRI-AD(Toyota Research Institute - Advanced Development)が再編して生まれたWoven Planet HoldingsのCEOも務める。

回答の始まりは、2011年に日本列島の半分が大きな被害を受けた東日本大震災だった。

カフナーCEO

Woven Cityの歴史・背景を理解するためには、東北の東日本大震災が起きた10年前に時を戻さなければなりません。

この震災により2万人の方が命を落としました。それと同時に東北の経済にも大きな打撃がありました。

そこで、トヨタ自動車は社長の豊田のリーダーシップのもとで、東北の人たちのために雇用を生み出そう、東北を第3の拠点にしようと動いてきました

しかし、その中で、東富士の工場を閉鎖するという難しい決断をしなければなりませんでした。

この決断にあたり、社長の豊田とトヨタ自動車東日本(TMEJ)の役員は東富士工場で働く従業員の声を聞く場を持ちました。

「『東北に移って働いてほしい』と言われても、すべての従業員が引っ越して、働けるわけではない」という話をしてくれた従業員もいました。そこでWoven Cityのコンセプトが初めて語られました。

カフナーCEO

東富士に投資をすることで、新しい価値をつくり出すことができないか。先端技術の実証実験の場、ヒトが暮らす研究所をつくることで、この地を再び活性化することができないかと考えました。

裾野市は最近(市制)50周年を迎えましたが、東富士工場は裾野市とともに、その歴史を刻んできました。これからはWoven Cityが東富士の人々とともに歴史を刻んでいきたいと思っています。

東富士工場に勤めていた仲間たちはWoven Cityの共同設立者です。

トヨタフィロソフィーの通り、トヨタが目指しているゴールは、人々にとって幸せで健やかな暮らしをサポートする技術を開発することだと思います。

これは技術がヒトに置き換わっていくという意味ではありません。トヨタが目指しているのは、ヒトの能力を解き放ち、可能性を広げるためのテクノロジーです

(トヨタグループ創始者で「人を機械の番人にしない」という自働化の思想の生みの親である)豊田佐吉翁もWoven Cityで私達がやろうとしていることを知れば、誇りに思ってもらえるのではないかと思います。

トヨタ自動車という会社は日本で生まれました。しかし、世界各国、さまざまな地域で育てられました。

私は、日本で生まれるWoven Cityが、世界のあらゆる地域や人々のために、新しい技術で幸せを生み出すことに貢献してほしいと願っています。

さかのぼること約半年。昨年12月7日に行われた東富士工場の閉所式に豊田社長はビデオメッセージを寄せた。そこで次のように述べている。

豊田社長

Woven Cityでは、ヒトが幸せになるためにさまざまなことに挑戦してまいります。ジェームス(・カフナー)さんと彼のチームメンバーと私の中で決めた約束があります。それは、「この街は必ずヒト中心である」ということです。

Woven Cityは更地の上にできる街ではありません。皆さんが働いた場所、残してくれた歴史の上にできる街です。

いつも自分のことよりも仲間のこと、ヒトの気持ちを一番に考える皆さんが築いてくれた大切なことを街づくりに関わるみんなで受け継いでいきたいと思います。

「ヒト中心」というWoven Cityのコンセプト。それは、織機を手がけ、発明王と言われた豊田佐吉の時代から脈々と受け継がれるトヨタの思想でもあり、豊田社長と東富士工場の従業員たちと結んだ大事な約束でもあった。

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