変革が始まった自工会、その内側を徹底取材

2021.09.02

昨年から、抜本的な組織変革が進む日本自動車工業会。歴史ある組織の変貌について、キーマンを直撃した。

6月の日本自動車工業会(以後、自工会)の会見でも語られていたが、自工会は、昨年から大きな組織変革が始まった。業界団体というと、利権団体・前例踏襲型といったイメージを持たれることが多いが、歴史ある組織が動き出せた理由とは。

今回、自工会・矢野事務局長に独自取材。変革を主導する豊田会長の狙いや、職員の想い、自工会の果たすべき責務など、内側を余すことなく語ってもらった。

自工会の存在意義とは

自工会の歴史、それは日本の自動車業界が、世界と闘ってきた歴史でもある。

第二次世界大戦後、日本は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下に置かれ、乗用車の生産は制限されていた。そこに、資材や燃料不足の影響もあり、日本の自動車業界は本格的な活動を行えずにいた。

しかし、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎をはじめとした面々の、「日本の自動車産業を復興させたい」という強い想いにより、昭和23年(1948年)に自工会の前身となる自動車工業会が誕生。

今から73年前、自工会創立時の議事録 豊田喜一郎の名も記されている

物資の統制はあったが、団体の立ち上げを皮切りに自動車の生産再開の動きは加速。その過程で、二輪車メーカーや軽自動車メーカーで組織される日本小型自動車工業会が設立。昭和42年(1967年)に、自動車工業会と日本小型自動車工業会が一体となり、今の自工会が誕生した。

その後も、日本の自動車業界は、資本や貿易の自由化、オイルショック、環境規制、通商摩擦などの苦難が続く。

矢野事務局長が自工会職員として働きだして、特に印象に残っているのが、米国との間で勃発した「関税問題」だという。クリントン政権下の1995年、米国政府は日本市場の閉鎖性を理由に、レクサスを中心とする日本製高級車に100%の関税を課すと発表した。矢野事務局長は当時をこう振り返る。

矢野事務局長

乗用車メーカーだけでなく、トラックメーカーも「日本の自動車産業のために」と広報費の負担を申し出てくれました。自工会では年度初めに、会員各社が予算を分担して活動しているのですが、(同じ自工会の加盟社とはいえ)自分たちには直接的に関係のない急な追加費用に協力してくれたのです。結果として、クリントン政権による関税賦課は撤回されました。

自工会・矢野事務局長

個社では対応できない大きな課題に、自工会がハブとなり、業界が一丸となり取り組んでいく。だからこそあらゆる難局を乗り越え、世界と闘えてきた。

そして今、新たな課題に直面している。それがCASEやMaaSといった技術革新や新しいサービス。さらにはCO2排出量を実質ゼロにする“カーボンニュートラル”だ。

これらは、自動車業界だけで解決できる問題ではない。自工会が “軸”の役割を果たしながら、仲間づくりを進め、オールジャパンで結束していかなければならない。その実現のため、機動性と柔軟性を併せ持ち、世界と闘う組織へ。自工会の存在意義が改めて問われている。

豊田会長が示した改革へのミッション

豊田章男会長は2018年、2度目の自工会会長に就任した。そんな中、自工会に大きな転機が訪れる。2019年に開催された東京モーターショーだ。

モーターショーは近年、日本だけでなく海外でも来場者数が減少。自工会でも、このままではいけないという危機感を持っていた。

そこで豊田会長のディレクションは、「未来のモビリティ社会の楽しさを感じてもらう企画に。100万人を集めよう。そのためなら何をやってもいい」というもの。

その任務を受けたのが、自工会の矢野事務局長だ。「かなりの裁量を与えられた」と話し、自工会のメンバーはもちろん、各社からの選抜メンバーがアイデアを出し合う「企画ワーキンググループ」など、一丸となり企画を進めたことで、多くの子どもを含む130万人超の来場という好結果につながった。

豊田会長はほぼ毎日、会場を訪れていた。そこには日々改善を繰り返し、お客様にもっと楽しんで欲しいという想いがあった。そして数多くのお客様の笑顔を直接見ることで、「(各社一体となり成果が出た)この流れを一過性のものにしてはいけない」という想いを強めていった。ここから、自工会の抜本的な改革が始まっていく。

改革にあたり、豊田会長は「(プロパー職員でもあり)自工会のことをいちばん知っている事務局長の矢野氏に、プロジェクトリーダーやって欲しい」と語り、3つの具体的なミッションを伝えた。

これにより、「我々の目指すべきところがすごくクリアになった」と矢野事務局長は話す。このミッションを常に見返せるよう、業務中に持ち歩くファイルに貼り付けている。

抜本的改革を、高速に

本来であれば、豊田会長は2020年に2年間の任期を終えるはずだった。

しかし、グローバルで大きな変革期を迎える今、会長が2年で代わることが、果たして日本の自動車産業にとって最善かと議論が起こった。その結果、各社からの依頼により2022年まで任期が延長されることとなった。

「会長職を長くやってきたから、強い想いで改革できる。(2022年までの)任期でやりきる」と豊田会長は語る。

一方、矢野事務局長は「生きるか死ぬかという課題以外では、(これまで)本気で一つになれていなかったかもしれない。日本だけでなく、世界の模範となる自工会へ。世の中のお役に立つように改革を進める」と意気込む。

もちろん、これまでも課題や変化に対する取り組みは行われてきた。

しかし、2年ごとに会長が変わるため、基本的な組織や意識はそのまま引き継がれ、“対症療法的”な課題解決が続いていた。

そこで真っ先にメスが入ったのが、縦割りだった組織の改革だ。多くの一般企業も、組織変革には試行錯誤している。しかし、自工会がなぜ短期間で「組織」と「意識」の改革を断行できたのかを聞いてみた。

役職から、役割へ

2020年3月の理事会で、組織の見直しを行うことを決議。わずか半年後の10月には、新組織に生まれ変わっている。この短期間で、どのような検証が行われ、改革が進められたのか。

矢野事務局長によると、まずは変革チームを編成。約300の組織、5400名の会員各社からの委員を見直すだけでなく、定款をはじめ、さまざまな規定の見直しも実施。結果、委員会や部会を、統廃合により半減したという。

半減できた、その真相とは。

矢野事務局長

役割に応じて機能の集約・階層の簡素化を図りました。たとえば広報機能も「交通安全」や「大型車」など機能ごとにバラバラに発信していたが、自工会として軸を持って発信できるように統廃合。

カーボンニュートラルをはじめ、喫緊の課題についてはプロジェクト化し、既存組織の枠を超えて、会員各社と自工会事務局が一体となりスピード感を持って取り組む。参加するメンバーも、部長・課長といったこれまでの役職にこだわるものではなく、専門性を持った方が参画。しっかり成果を出せる“プロジェクトベース”になったと思います。

事務局領域も、9つの部署を4つの領域に大括り化。プロジェクトごとに(専門性を持つ人が、縦割りの壁を越えて)チーム編成できる柔軟な体制へと見直しました。

“役職”で仕事を進めるのではなく、専門性のあるメンバーが明確な“役割”をもって参画する。これは、仕事のスピードアップにもつながった。

矢野事務局長

統合的な事業推進を図るとともに、事業評価を行う組織を新設。組織ガバナンスの強化も図りました。

このように、スピード感を持って成果を出せる体制へと統廃合しつつ、強化すべき新領域に人材を配置。まさに未来へ向けた変革である。

そして組織改革がスピーディーに進んだ理由。それは、トップが明確に期間を示していたことが大きい。豊田会長はこの組織再編を半年でやりきると宣言。そこには、「100年に一度」の自動車業界の大変革に乗り遅れると、今後日本の自動車業界が世界と闘えなくなるという危機感があった。

変革を議論するなかで、コロナウイルスによる感染対応として、自動車製造4団体*による医療支援活動や助け合いプログラムなどに取り組み、さらに202010月の新体制スタート後は、この活動に自販連(日本自動車販売協会連合会)が参加し、自動車業界に関わる550万人の活動につながった。

*自工会、日本自動車部品工業会、日本自動車車体工業会、日本自動車機械器具工業会

また202010月下旬には、菅総理がカーボンニュートラル実現への方針を発表。素早く組織改革を進めていたからこそ、カーボンニュートラルに関する詳細データを公開したり、経済産業省に具体的な要望を表明するなど、即座に自動車業界が一体となって動き出すことができたのだった。

共に汗をかく「圧倒的な当事者意識」

大きな課題だった「組織」と「意識」の改革。再編された組織だが、役割を明確化することで具体的にどのような変化があったのかを聞いてみた。

矢野事務局長

(これまでの理事会は)下から上がってきたものを承認することが多くなるため、本当の議論になりづらかった面もあります。それが長年引き継がれていました。

そこで、「理事会は決定機関」「委員会以下が事業執行」と役割を再定義。これにより理事会が「追認の場」から、重要テーマの「議論の場」に変化。さらに活動成果の可視化も図れるようになりました。

また、副会⻑の体制も変更しました。日本にはさまざまな道があり、それぞれの道に合ったモビリティが発展を遂げてきました。そんなそれぞれの役割を持つモビリティの経営トップとして⼆輪⾞(ヤマハ)・⼤型⾞(いすゞ)の代表会社に副会⻑として加わっていただきました。

各社から2名以上選出してきた理事も大幅に削減し、各社の責任を背負うトップが就任。これにより、理事会が未来を向いて本音で議論し、今後の動きを決めていく場へと激変した。

このように「組織」の変革は進んだが、一方で「意識」の改革は難しかったという。

矢野事務局長

縦割りの組織だと、どうしても縦の仕事だけが自分の仕事になってしまう。また、自工会のような(各社が参加する)団体は、責任があいまいになる。なので、みんなが圧倒的な当事者意識を持ちましょうと話しました。

豊田会長からも「自工会で働く約100名の職員は、全国に550万人いる自動車産業の代弁者」と伝えられていましたが、どうすれば日本の自動車産業が良くなり、日本経済に貢献できるかと、(自工会の一人ひとりが)自覚をもつことが大事。

自覚を持ってもらうには、共感が重要に。「なぜ変革するのか」「どういう立場に置かれているのか」について、全職員に向けて決起集会を開きました。一度ではなく、その後も継続して伝え続けています。

自工会の一人ひとりに共感してもらい、さらに自動車業界で働く550万人に共感していただき、その先にいる日本の皆さまにも、自工会の活動に共感してもらわなければならないと思っています。

豊田会長は「会長が代わっても、自動車産業と日本の役に立つというミッションを持ち続け、実践できる組織に」と語っている。ここに自工会一人ひとりの意識の変化が加われば、きっと会長が代わった後もブレない組織になるだろう。

そして2021年の正月に、ある広告が発信された。

自工会だけでなく、先に紹介した自動車5団体での施策である。

この広告への想いを語った動画で、豊田会長は、自動車産業の日本経済への貢献度を示し、こう語っている。

豊田会長

私たちの一歩は、日本、そして地球の明日につながっていると思います。そして、一歩、踏み出してくれた仲間に対して、「ありがとう」と言い合える。そんな自動車産業、そんな日本を皆様と一緒につくりたいと思っております。

そのために、私自身も、変革に向けた更なる一歩を踏み出す覚悟です。コロナとの闘いは厳しさを増しておりますが、こんな時代だからこそ、「深刻にならず、真剣に」。みんなで心をあわせて、2021 年を、少しでも明るく、少しでも楽しくしてまいりましょう。

環境が変わる。働き方が変わる。成果が変わる

当然、人事制度も変革された。従来も頑張った人に報いることに努めていたが、ともすると年功序列的な考えもあるなかで、評価方法を見直し、個々の目標と成果を可視化したほか、頑張った成果を、昇給・昇格などの処遇にしっかりと反映。その財源は、事務局経費削減により捻出したという。

また、職員の意識の変革を象徴するエピソードとして、自工会のロゴが一新されたが、外部の広告会社に依頼するのではなく、全職員からアイデアを募集したという。

アイデアが集まらないのではと懸念もあったが、「自分たちの組織を変えたい」と、若手を中心に職員の1/3にあたる35人が自主提案。全職員の投票制で最終案が決められたのだ。

自ら試行錯誤してデザインしたという川口氏。「今回の変革は本気だと伝わった」と語る
職場環境も変革、働きやすさも向上した
ペーパーレスで紙を6割減。印刷機が置かれていた場所は、くつろげる交流スペースに

豊田会長は、自工会の会見だけでなくあらゆる場所で「自動車産業550万人の底力を、もっとあてにしていただきたい」と話している。

自動車産業が今後も日本の戦略産業として頼りにされるために、環境が変わり、働き方が変わり、成果も変えていく組織改革。矢野事務局長とともに改革を進めた次世代モビリティ領域の領域長、田中氏も「改革はやらされている感じはなかった。やらされているのなら、ここまでできない」と語る。

最後に矢野事務局長は「好きな自工会が、より良い組織なっていくのは嬉しい」と話した。「自工会を好き」と語る理由とは。

矢野事務局長

元々自動車が好きなのもあるが、異なる会社の方々と目標に向かって一緒に動く。(その中で)多くの人に助けられる。そんな嬉しさを感じることが多く、幸せな仕事だと思います。

個社ではできないことを、自工会として取り組む。さらに今後はカーボンニュートラルなど、他業界とも手を携え、共に大きな課題に立ち向かっていく。「助け合って前へ進める幸せ」は今後ますます増えていくはずだ。

変革はゼロベースでスタートし、業界団体のあり方や存在意義について自ら問い、組織や意識を根こそぎ変えていった。「スピードを上げる」「成果を出す」組織へ。すべては、自動車業界、そして日本経済の役に立つために。

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