日本のモノづくり、自動車産業が生き残る道とは。カーボンニュートラルを通じて見えてくるものがある。
東日本大震災からちょうど10年がたった3月11日。自工会(日本自動車工業会)の定例会見で、豊田章男会長が東北復興への想いととにも発したメッセージは「カーボンニュートラルでも自動車をど真ん中に」。
昨年、政府が2050年のカーボンニュートラル実現を目指す方針を示して以降、世間の脱炭素への関心は高い。そんな中、豊田はさまざまな場で「カーボンニュートラルを正しく理解して欲しい」と訴えている。
豊田によれば、カーボンニュートラルは単に企業の浮沈を占うCO2排出規制ではなく、この国の雇用問題であるという。
一体それはどういう意味なのか? 質疑応答での回答から解き明かしていく。
「クルマがすべてEVになればいい」では済まされない
記者からは、会見で「カーボンニュートラルでも自動車をど真ん中に」と発言した真意が問われた。
豊田は回答するにあたり、ここでも「カーボンニュートラルを正しく理解すること」の重要性を説き、基本的な考え方を説明し始めた。
豊田社長
カーボンニュートラル(の実現)は自動車業界単体では難しく、エネルギーのグリーン化が必要だと思います。
それよりも大事なことは、私も含めてカーボンニュートラルを正しく理解することではないでしょうか。
クルマがすべてEVになればいいという報道もありますが、そんな単純なものではないことをぜひご理解いただきたいと思います。
モノを作る、作ったモノを運ぶ、そして運んだモノを使う、リサイクルしながら最後は廃棄する。その流れの中で発生するCO2を2050年までにゼロにしようという考え方が、ライフ・サイクル・アセスメント(LCA)をベースにしたカーボンニュートラルだと理解しています。
これは、従来(の考え方で)はEVで走るときはCO2を出さないので、すべてEVにすればいいことになりますが、LCAに基づいて、材料から部品や車両を製造し、廃棄するまで、すべての過程でCO2をカウントすると、同じクルマでもつくる国のエネルギーのあり方で値が変わってきます。
昨年、政府からカーボンニュートラル宣言が出された際、同時に世間に広まったのは「EV化の加速」や「2030年代半ばにガソリン車の新車販売がゼロになる」という報道であった。
しかし、LCAの考え方を正しく知ることで、単に「EV化」で済む問題ではないことが理解できる。
日本生産のクルマは必要とされなくなる
豊田は続けて、LCAで非常に重要になる国内外のエネルギー状況について説明した。
ここで、話は雇用にまで及び、脱炭素に向けたエネルギー政策が疎かになった場合、自動車産業、ひいては日本経済が危機的状況に陥ることを訴えた。
日本では、化石燃料を使った火力発電比率が75%と非常に高く、コストも非常に高く、(表の中にあるように)再エネのコストが火力よりも唯一高い地域になっています。
かつてクルマのグローバル化が進んだときに、自動車各社は「より売れるところでつくろう」「人件費がよりコンペティティブなところでつくろう」と海外に生産をシフトしたこともありますが、これから先はCO2排出の少ないエネルギーで(クルマを)つくれる国にシフトする動きが出てくる可能性があります。
自工会各社は、国内生産約1,000万台の約半分に相当する482万台を輸出しています。LCAで見ると、この輸出分の生産が、再エネ導入が進んでいる国や地域へシフトすることが予想されるわけです。
日本の再エネ導入が進まなければ、この輸出の482万台をつくったとしても、使えなくなります。
トヨタの例では、東北とフランスでつくったヤリスを比べた場合、クルマとしては同じであっても、日本生産のクルマは使っていただけなくなると思います。
そうなると、輸出で自動車業界が稼いでいる外貨獲得15兆円が限りなくゼロになり、自動車業界550万人のうちの70万から100万の雇用に影響が出てくると思います。
部品、機械、素材など、自動車産業はすそ野が広い。国内生産の減少が日本経済に及ぼす影響は甚大だ。
日本のモノづくりを守る闘い
冒頭で紹介したように、この日は、東日本大震災からちょうど10年という節目の日だった。豊田は被災地となった東北の10年を振り返り、自動車産業への期待を求めた。
2050年まで30年あります。30年前はハイブリッド車(HV)も燃料電池車(FCV)もありませんでした。そして、過去20年で日本は走行時のCO2を22%も削減し、現在、電動化率では世界トップクラスです。
しかし、今後、欧州と日本のカーボンニュートラルへの取り組みの差は明らかで、その結果、日本でのモノづくりができない可能性が大きくなります。
今日は3月11日です。10年前の今日、私自身は、国土の半分が災害に見舞われたこの日本で、自分自身の何もできない無力さを感じました。ただその中で、「日本の自動車産業が復興の原動力になろう」そして、「何とか日本のモノづくりを守ろう」と言ったのが、ちょうど10年前の今日でした。
10年たった今日、同じ日、当時とは違った形で、またしても「日本のモノづくりを守る闘い」がさらに大きくなって自動車業界に押し寄せてきている現状をぜひともご認識いただきたいと思います。
東北では、この10年間、自動車をど真ん中においていただき、雇用数も伸びてきました。これは東北だけではなく、日本という国全体のことだと思いますので、ぜひとも自動車をよりあてにしていただく、自動車をど真ん中にしてエネルギー政策を考える、そして今後の産業構造の変革にも自動車をど真ん中にして考えていくことが必要ではないでしょうか。
10年前、自動車産業は「成熟産業」だと言われる中、「成長産業」として期待をし、「ど真ん中」に据えたのが、被災地である東北だった。
自動車産業はその期待に応えるように、東北で出荷額や雇用を増やし、復興に貢献してきた。
震災当時、超円高や電力不足といった「6重苦」で危機的状況にあった日本のモノづくり。エネルギー問題で再び危機を迎える中、豊田は自工会トップとして、国家全体で取り組むカーボンニュートラルでも、自動車産業が中心的な役割を果たす覚悟をにじませた。
カーボンニュートラルは誰もが当事者
別の記者からは、脱炭素の流れの中で、今後も日本の自動車が世界で競争力を維持できるかについて質問がなされた。
豊田は、国がターゲットを置く2050年までの30年間を見据えて回答した。
豊田社長
「どこでつくっていくか」が非常に重要になってきたと思います。今のままだと、日本で生産ができなくなる可能性があります。
そうすると、すでに海外にシフトしているメーカーは、そこでつくったものを日本に持ってくることで維持、発展していく道を選ばざるを得ない。日本に軸足を置くメーカーは大変苦労すると思います。
技術力に加えて、どこのどういうエネルギーを使ってクルマはできるのか(が重要になる)。クルマをつくるというと生産だけを想像するかもしれませんが、コンピューターのスイッチを入れただけでもCO2は発生します。
そう考えると、やはり、エネルギーのグリーン化が必要であり、他の産業とともにカーボンニュートラルに取り組まない限り、大変難しいことだと思います。
ですが、30年あります。それを30年“しか”ないと見るか、30年“も”あると見るか。急にはやってきませんから、私はあえて30年“も”あるのだと(考えています)。
かつて震災で痛めつけられた日本の自動車産業は、10年後こうなっていますので、ぜひ期待いただきたいと思っています。
ただ、先行きは相当厳しい変化が起こっています。2050年にどういう社会がやってくるのか、正しい理解をお願いしたいと思っています。
競争力の判断軸が、「良品廉価」から「クリーン」へと変化していく。そして本当に「クリーン」なものを判断するためには、生産段階だけではなく、「コンピューターのスイッチを入れる」という日常の行動にも視野を広げなければならない。
誰もが知らぬ間に当事者になり得るカーボンニュートラル。「正しい理解をしてほしい」と豊田が何度も強く訴える理由はここにもあった。
日本の自動車メーカーが生き抜く道
最後は今後の日本の自動車業界のあり方についての提言で締めくくった。
よく競争相手となる欧州・米国は1,500万台以上の市場があります。日本は500万台くらいの大変小さい市場である中、これだけ多くの自動車メーカーが生き抜いていくためには、ある領域では協力、協調、お客様が選ぶものに関しては競争して生きていかなければならないと思います。
欧州、米国は1,500万台を超える市場で主要メーカーは7社前後である一方、日本は3分の1以下の500万台の市場に12社ものメーカーが存在している。
つまり、市場台数を一社あたりの販売台数に換算すると、日本は欧州、米国の4分の1の規模の中で、各社が国内生産を維持している。
そして、今後も「日本のモノづくりを守る」ために、メーカー各社ができることの一つが電動車の開発、生産である。
「電動車」とひとくくりに言っても、EV、FCV、PHV(プラグインハイブリッド車)、HVとその種類は幅広く、各社、得意領域が異なる。
これは、電動車のフルラインナップを持ち合わせているということであり、日本の強みでもある。
小さな市場の12のメーカーが生き抜くには、競い合いながらも、この日本の強みを生かすための「協力」と「協調」が欠かせない。
豊田のこの日最後の発言は、30年後、さらにはその先の日本のモノづくりと雇用を見据えたものだった。