2月19日、午前9時。トヨタの労使交渉が幕を開けた。今年の労使協議会はいつもと明らかに様子が違う。
2月19日、午前9時。トヨタの2020年の労使交渉が幕を開けた。今年の労使協議会はいつもと明らかにようすが違う。社長の豊田章男がいつも座る“指定席”にいないのだ。
議論をするための机が三角形に配置されている。例年なら、組合と会社が向かい合うように机を並べ、交渉する相手が目の前にいる。しかし、今回は真正面に向き合う相手がいない。3辺にはそれぞれ、①組合、②会社(副社長の河合満、執行役員、幹部職・基幹職の代表=いわゆる管理職)、③社長の豊田章男と、河合を除く副社長、取締役が並ぶ。
「忸怩たる想い」
豊田は会社側のテーブル中央ではなく、組合にも、会社にも属さない位置に座った。例年、豊田は会の冒頭で交渉に臨む想いを語ってきた。今回はこの配席にせざるを得なかった理由の説明から始めた。
豊田社長
昨年の春の交渉の最後に、私はこう申し上げました。
「今回の話し合いは私も西野委員長も、身体は向き合っていたが、メッセージはお互いの背中に向けて出し合っていたような気がしている。これからは、お互いの背中に話すのではなく、お互いの心をめがけてキャッチボールができるようにしたいと思っている」。
組合員の皆さんは、こちらに座っている役員、幹部職、基幹職の「映し鏡」だと思っております。皆さんの言動は、職場でのマネジメントの言動を映し出したものだと思うのです。それであるが故に、これまでの交渉でも、私は、組合員の皆さんに伝える形をとりながら、多くのメッセージを、私の後ろに座っているマネジメントに向けて伝えてまいりました。
しかし、背中に向かって話をしていても、一向に「伝わっている」という手応えが感じられない、というのが私の正直な想いです。年頭の挨拶でも申し上げたように、「伝わる」というのは「言動が変わる」ということだと思っております。マネジメントの皆さんの言動が変わらなければ、組合員の皆さんの言動も変わらないと思います。今回、役員だけでなく、幹部職、基幹職の代表の方々にも出席いただき、このような配席にしてもらったのは、マネジメントに伝えるべきことは、マネジメントに面と向かって伝えるしかないとの想いからです。
これまで豊田が抱いてきた問題意識に対応する、そのためのレイアウト変更というわけだ。しかし、続けて豊田が「忸怩(じくじ)たる想い」と語ったことで、会場の空気が変わった。
豊田社長
ただ、このようにしなければならなかったことを私自身、忸怩たる想いでおります。トヨタにとって、この労使の話し合いは、苦しい闘いの歴史の中で、先人たちが作り上げてきた大切な場です。トヨタの責任者であり、いわば家長である私は、西野委員長の正面に立ち、組合員の皆さんの目をしっかりと見据えて、その想いを受け止めなければならないと思っております。それにもかかわらず、こうした形で話し合いをスタートさせることは「本当に心苦しい」というのが私の率直な気持ちです。最後の回答の時には、西野委員長の正面に座り、皆さんの心に向かって私の想いをお伝えしたいと思っております。
本年の話し合いも、家族の話し合いにしたいと思います。すぐに答えが出るものではありませんが、トヨタが抱える課題について、組合員、役員、幹部職、基幹職、トヨタに関わる全員が参加し、本気で、本音で、家族の会話をしてまいりたいと思います。
会社側と組合側―。三角形の配席となったことで、豊田からは組合と会社のメンバー、両方の目を見て話すことができる。メッセージごとに見据える相手を変え、熱を帯びていく豊田の言葉で、会場は緊迫感に包まれていく。
言いたいことが言えない風土
議論に先立ち、組合の西野勝義執行委員長は、交渉に臨む組合の考え方を説明した。組合員全員で進めてきた「やめよう・かえよう・はじめよう」運動、労使拡大懇談会や支部懇談会をはじめとした、従来の形にとらわれない話し合い―。100年に一度の大変革期を乗り越えようと、組合も変革を行ってきた。ただ、環境の変化を実感しにくい職場では、なかなか意識が変わり切れていないという実態もある。西野はそういった職場の課題に言及し、会社と議論したいことを挙げた。
西野執行委員長
変わり切れていない職場には、素直に言いたいことを言えない現状や、変わろうとしていることを阻害する風土など、課題も多くあると考えております。加えて、モビリティ・カンパニーへのモデルチェンジは、当然トヨタだけでは達成できるものではありません。グループの仲間の皆さんと共に、どうやって生き残っていくのか。トヨタ労使には、単なるグループとしての連帯を超えた責任があると考えています。そういった観点で、オールトヨタとしてどう競争力を強化していくのかについても、議論してまいりたいと思います。
今回の協議会では、西野が最初に課題に挙げた「素直に言いたいことが言えない職場風土」をテーマに議論が展開されていく。
基幹職も初めて参加
職場風土を変えることは、基幹職抜きでは進まない。そのための対策を今回は打っている。
これまでの労使協議会では、会社側の出席者は役員や幹部職が中心だった。しかし、今年は、従来は参加していなかった基幹職が加わったことで、職場を構成する職層が一堂に会した。特に事技系職場の組合員にとって一番身近な上司はグループ長であり、その多くは基幹職が占めている。彼らを目の前にして、これまで以上に生々しい、リアルな職場の風景に話が及んでいく。
組合からまず語られたのは、コミュニケーションがうまくいっていない職場の事例だった。「出社、帰宅時の挨拶ですら、周りにも聞こえないくらい小さい声で挨拶し、無機質に返ってくる」、「工場の休憩時間でスマホばかり眺め1人で過ごしているメンバーをそのままにしている」―。一方で、上司と部下の人間関係や職場の風通しについて、上司に相談すると、「面倒なやつだと思われないか」、「まともにとりあってくれないのではないか」―。そんな葛藤を抱え、行動できずにいる組合員もいることに触れられた。
技術職場の部長を務める幹部職は、自職場の状況を例に出して回答する。部員が多かったり、日々の業務の忙しさから、メンバーに十分寄り添えているとは言えない現状、多くの幹部職、基幹職がいるにも関わらず、「メンバーに寄り添うのはグループ長の役割である」として任せきりになってしまっていた実態などが語られた。
白熱する議論に触発された副社長も口を開く。まず、寺師茂樹は、最近目についた従業員の行動について話した。
寺師副社長
若い保安課の方が、「おはようございます。おはようございます」と挨拶をされている現場に遭遇します。その時、通用門を通る中で、これは組合員とか会社側とか関係無く、挨拶をされている方が1割程度で、残りのほとんどの人が、うつむき加減でまったく挨拶を返されないでいる。この様子を見て異様だなと思えないんだろうか。「おはようございます」の挨拶ひとつをとっても、全く興味が無い、自分のことしか見えていない。
こういう状況でそのまま職場に行って、職場が活性化するのだろうか?自分としてもなぜこういう職場に対して問題意識を持てなかったのだろうか。ものすごく反省をして、私たちが「挨拶しないじゃないか」と言うと、また、それは「挨拶をしなければいけない」という、そういう風な広がり方になる。今、いろんな意見をいただいたのは、そういうことだろうなと感じた。
自然と挨拶をされたらちゃんと挨拶を返せる。豊田社長がよく言われているように感謝を素直に述べる。素直に挨拶ができる。そういう環境をベースにしない限りは、色んなことに手を打っても、根っこのところからは直ってはいかない。私自身も、自分からもいろいろ変えていきたいと思います。
次に組合が問題提起したのは上司の評価の話だった。社内では度々「人間力」を磨くことの重要性が経営トップから示されている。しかし、たとえ部下に寄り添っていなくても、上位者の指示を確実にこなし、成果を出している人が評価されている実態もあるのではないか。
この指摘に対して答えた別の部長幹部職は、時代や環境が変わっていく中でも、なかなかこれまでの仕事のやり方のプライオリティから抜け出せていない実態もあることに言及した。「前後工程などとの調整の中で、議論に勝って自部署の意見を通してくることが大事で、そのような人材が優秀だとして評価されている傾向があった」と振り返った。
組合からの指摘を受け止め、風通しのいい風土に向けた決意を語るマネジメントたち。続いて副社長の小林耕士も発言した。
小林副社長
今(組合から)言われたからといって、(できている人も含めて)このメンバー全員が反省すればよいということではない。大事なことは一人ひとりの従業員が全力を尽くして仕事ができる状態にすることなんですね。そのために、職制があるわけです。机上の空論じゃなくて、自分が何をするのか。これをやればよいというのではなくて、自分もどう動いたらよいか。野球と一緒で9人が全員しっかり守備を守って、球を打たないと勝てないですね。仕事も一緒で世界の従業員37万人、日本では7万人のうち、必要ない人は一人もいません。そのために採用したわけですから。その人たちが全力を尽くして働けるようにするにはどうしたらいいのかという事を考えないと。人にはばらつきがあります。面倒見がいい人もいれば、面倒見がよくない人もいる。その場合は上がカバーするとかね。そういうことがいろいろ絡み合って、組織は成り立つんじゃないかと思います。
素直に、思ったことが言い合える職場。それは、組合にとっても、会社にとっても共通の願いだ。しかし、マネジメントの意識が変わるだけでは実現できるものではない。会社と組合が一丸となって、仕組みをつくっていかなければならない。組合からは、組合員が気軽に相談でき、頼られる存在にならなければならないとの問題意識から、以下の3点が今後の取り組みとして挙げられた。
1.各職場の相談窓口の明確化
2.組合役員の増強や選定方法の見直し
3.執行部内での相談・対応体制の強化
会社からも総務・人事本部の桑田正規副本部長から360度評価など、部下や関係部署の声も反映した評価制度を導入することや、相談窓口を利用するハードルが下がるように改善していくことが示された。
「家族の会話」をするために
「家族の会話」を目指す労使協議会。しかし、今回の協議では、職場という“ホーム”でもそれができていない実態があることが労使で再確認された。議論を総括して、議長の河合は「家族の会話」を行っていくための心構えについて語った。
河合副社長
家族だからこそ、困っていれば助け合う、そして、相手を想って、ダメなところはダメだと言い、気付かせる、これこそ家族の会話だと思います。決して甘やかすことが良いと言っているわけではありません。
上司は、メンバー一人ひとりに手を差し伸べ、引っ張っていただきたいですし、メンバーは、そんな上司のもとで「自ら考え、行動・挑戦」をしてほしいと思います。上司が本気でメンバーのことを想い、目配り、気配り、心配りをし、声掛けをする、「この上司のもとで、仕事をしたい、チャレンジしたい」という意欲がわく、こうしたことが上司と部下の信頼関係ではないでしょうか。
上司の皆さんにお願いです。部下の方々の目標とされ、尊敬される人間となれるよう、努力を惜しまないでください。そして、彼ら彼女らを、その下にいるメンバーに、そう思われる上司に育てていただきたいと思います。「目指す人を越え、その時の自分を越える人を育てよ」ということです。
組合からも、今回の議論を総括して、風通しの良い職場を実現するため、マネジメントと共に取り組んでいく決意が語られた。
西野執行委員長
本日は、「率直に声を上げられない職場風土」について、その実態を率直にお伝えさせていただきました。この件につきましては、本日の議論で解決するというものではありません。組合としてやっていくべきことをしっかり進めながら、組合員から信頼される組合へ変わっていきたいと思っています。また、職場風土を良くするためには、マネジメントの皆さんのご協力も不可欠となります。本日、会社からお伝えいただいた内容についても、取り組みを進めていただくと共に、労使が一緒になって、普段から素直なコミュニケーションが取れる、そんな職場をつくってまいりたいと思います。
“I”ではない“YOU”の視点
例年なら、ここで第1回の協議は終わるのだが、今年は豊田が最後にもう一度、話し始めた。それは、昨春の労使交渉からトヨタの事技職との会話で感じてきた、“主語”についての話だった。
豊田社長
最後に、昨年の春の交渉からずっと感じている距離感、違和感が何なのか。私なりに思うところをお話したいと思います。
年頭挨拶でも申し上げたとおり、私が一番距離を感じているのが事技職の皆さんです。もっというと、事技職の「上司」という立場の方かもしれません。今朝の新聞に全トヨタ労連が実施したアンケートで、組合員の多くが「リーダー昇進に魅力を感じていない」という結果が出たと報道されていました。これを読んで、「非常にわかりやすいアンケートだな」と思いました。組合員の人たちが直属の上司に対して、「あんな風になりたくない」と感じている。それは、「仕事に対する責任が重くなって大変だ」ということだけではなく、「自分はこう変えようと思っているのに、上司がその障壁になってしまっている」、「大義を持って仕事をしているように見えない」といったことも含めて、人間として尊敬できなかったり、生き方に魅力を感じないということもあるのではないかと思いました。中間管理職に対して、私が感じていたことと組合員の皆さんが感じていたことが同じなのではないかと思ったのです。
もうひとつ、私が感じていることがあります。それは、事技職の皆さんが、私と話をする時の主語は、ほとんどが「I」だということです。CESでWoven Cityを発表し、世間がその話題で、もちきりになっている時でさえも、Woven Cityに関する質問が出ることはありません。事技職の皆さんからの質問は、「私の部下は全員年上ですが、どのように接すれば良いですか」など、自分のことがほとんどです。
こういう質問をするのがいけないと言っているわけではありません。私が一番いけないと思っていることは、「無関心」です。事技職の皆さんの質問や態度から、私に伝わってくるものは、目の前の相手に対する「無関心」、トップの取り組みに対する「無関心」、世の中に対する「無関心」です。「無関心」からは何も生まれません。お互いが理解を深め合うための第一歩は、相手に対して、興味・関心を持つことだと思います。
これは、事技職の皆さんの仕事の風景をそのまま表しているのではないでしょうか。仕入先様をはじめ、仕事でお世話になる方々は、打ち合わせといえば、たいていの場合、トヨタに来ていただけると思います。それも、トヨタイムズを見て、トヨタのことを勉強して、トヨタのことをいろいろ聞いてくださるので、トヨタの人たちは、「I」を主語にして、自分のことだけ話していても仕事は進んでいくというのが実態ではないでしょうか。
では、お世話になっている方々と打ち合わせをする時に、トヨタの事技職の人たちは、どれだけ先方の会社に出向き、相手の会社のことを勉強し、相手のことを知ろうとしているでしょうか。どれだけ「YOU」を主語にした会話をしているでしょうか。
「YOU」を主語にして話すと初めて気がつくことがあります。例えば、相手の方と打ち合わせの日程を決める時、先方が「金曜日の11時であれば、お伺いすることができます」と言われたとします。皆さんはどうされますか。「私は11時なら大丈夫です」と答える人が多いのではないでしょうか。「11時しか空いていないのですか。本当はお忙しいのではないですか」「お忙しいのであれば、私が伺いましょうか」。そう聞き返せる人がどれだけいるでしょうか。そう聞かれた時に、初めて、相手の方は「実は今、こういう状況にあるのです」と自分のことを話してくれると思います。
自分のところに来ていただいて当たり前。自分が一番忙しい。そう思っている人に、この会話はできないと思います。「YOU」を主語にするということは、自分以外の人に関心を持つということです。そして、それは、世の中の動きに関心を持つということでもあります。普段から「YOU」で話す習慣のないトヨタの事技職の人たちは、どんどん世間から離れた存在になっている気がしています。
冒頭に、「組合員の皆さんはマネジメント層の映し鏡だ」と申し上げました。組合員の人たちが「YOU」で話ができないとすれば、それはマネジメントの皆さんに「YOU」の視点が欠落しているからではないでしょうか。マネジメントの皆さんの言動が変わらなければ、組合員の皆さんの言動も変わらないと思います。
役員を含めたマネジメントの皆さんに、この配席の意味をもう一度考えていただきたいと思います。今回、このような配席にしてもらったのは、マネジメントに伝えるべきことは、マネジメントに面と向かって伝えるしかないとの想いからです。
昨年の春の交渉から始まり、秋の交渉、年頭挨拶といろいろと伝えてまいりましたが、ここまでやらなければ伝わらない、変わらないというのが私のいまの気持ちです。
トヨタにとって、この労使の話し合いは、苦しい闘いの歴史の中で、先人たちが作り上げてきた大切な場です。本来、向き合うべき組合員に向き合うことができないという事実を、私自身、悔しく思いますし、恥ずかしくもあります。役員を含めたマネジメントの皆さんには、このことを本当に重く受け止めていただき、今日、この瞬間から、皆さんが率先して、自らの言動を振り返り、「YOU」を主語にした会話を始めてほしいと思います。
それが、すべてにおいて、最初の一歩になると思います。
一息おいて、豊田はこう続けた。
昨年のこの時よりも、皆さん正直に素直に語ってくれたと感じています。本音、正直。隠さない、ごまかさない。ぜひとも組合、会社との間で、こういう会話がずっと続き、最後に、双方が納得し合える回答に結びつく労使交渉を期待しています。今日の両者の会話に対しては、私からはありがとうと申し上げたいと思います。ありがとうございました。
第2回労使協議会は2月26日に行われる。「家族の話し合い」は続く。