CES2020に出席した一時間後、豊田は飛行機で日本に向かった。とんぼ返りして臨んだ年頭挨拶で伝えたかった想いとは
新年1月9日、豊田本社の大ホールに1,600人の従業員が集まった。毎年恒例の社長年頭挨拶を聞くためだ。
その数日前、社長の豊田章男の姿は、米ラスベガスで行われたCES2020にあった。あらゆるモノやサービスがつながる実証都市(コネクティッド・シティ)である、「Woven City」の構想を発表すると、そのわずか一時間後には、この年頭挨拶に臨むため、飛行機で日本に向かった。
実は、今年の年頭挨拶はいつもと参加者の顔ぶれが違う。例年なら、人事に集められた幹部職や基幹職への昇格者と各部の部長が参加対象となる。それが今回は資格や職位にとらわれず、社内で出席者を公募する「希望制」としたのだ。女性の割合は増え、新入社員を含めた若者もいる。社内にある「線引き」を取り払い、トップのメッセージを聞きたいと思った人が自らの意志で参加できる。それが今回の年頭挨拶の変化点だった。
とんぼ返りしてでも従業員に伝えたかったことは何なのか? 豊田が見せたのは、トヨタ自動車東日本の東富士工場閉鎖を決断し、そこで働く従業員と対話の場をもった時の映像だった。
豊田が「コネクティッド・シティ」という言葉を初めて口にしたのがこの場だった。日本の自動車市場縮小に伴い、トヨタのクルマづくりを支えてきた工場が閉鎖する―、それが「Woven City」の原点。つまり、トヨタで働く人の中に「Woven Cityと無関係な人はいない」ということを示そうとしたのだ。
挨拶の結び。豊田は会場を埋め尽くした従業員に、これ以上ないほどの熱量で訴えた。
「Woven Cityなんて私には関係ない」。そう思う人もいると思います。そういう人をゼロにはできません。しかし、そういう人がマジョリティになったとしたら、トヨタは世の中の人から必要とされない会社になってしまいます。「自分の仕事とは関係ない」この意識を捨てていただきたい。
私がここまで話をするのには理由があります。今日、この会場に来ていただいた皆さんは、自分の意志で、来てくださった方々です。大げさに言えば皆さんは、自分の意志で、一歩踏み出した人たちだと思います。一歩踏み出した人たちなら、何かを感じてくれるかもしれない。そう思っているからです。
私はトヨタという会社に感謝しています。創業者の豊田喜一郎が自動車へのモデルチェンジに挑戦していなければ、我々は今、どうなっていたでしょうか。創業のメンバーの方々は、何もいいところを見ていません。私も含む皆さんは継承者。継承者の一人として、報われなかった先輩たちに何とか報いたい。彼らの無念を晴らしたいとは思いませんか。少なくとも私は、その無念さを晴らしてあげたい。それが私自身の原動力です。
良いところを見させてもらった私たちが、自動車からモビリティ・カンパニーへのモデルチェンジに挑戦することこそが先人の無念を晴らすことになると思っています。未来の世代から「あの時のおかげで今がある」。そう言われることを自分たちのロマンにしませんか。
「Woven City」をきっかけに、皆で新しいトヨタをつくっていく。我々の仕事のやり方をモデルチェンジする。そんなスタートの年にしたい。心からそう願っております。
豊田の期待は「自分の意志で一歩踏み出した」従業員たちに託された。