"昨年の夏、トヨタ自動車の女子バスケットチーム「アンテロープス」の本拠地である名古屋市の葵体育館で練習に励む、三好 南穂(26歳、バリューチェーン事業部)を訪ねた。明るい太陽の光が差し込む体育館の壁には、同チームのマスコット「アンテノーワ」のイラストが描かれている。チームにとって太陽のように明るく大きな存在になってほしいと、三好には社会人1年目に「サン(太陽)」というコートネームが与えられた。自身もコートネームの由来のようになりたいと願う三好の、明るく真っ直ぐな人柄を感じながらインタビューは進んだ。
※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2020年1月7日に掲載されたものです
今年の初夏、トヨタ自動車の女子バスケットチーム「アンテロープス」の本拠地である名古屋市の葵体育館で練習に励む、三好南穂(26歳、バリューチェーン事業部)を訪ねた。明るい太陽の光が差し込む体育館の壁には、同チームのマスコット「アンテノーワ」のイラストが描かれている。チームにとって太陽のように明るく大きな存在になってほしいと、三好には社会人1年目に「サン(太陽)」というコートネームが与えられた。自身もコートネームの由来のようになりたいと願う三好の、明るく真っ直ぐな人柄を感じながらインタビューは進んだ。
女子バスケットボールの日本リーグ(通称:Wリーグ)に所属する「アンテロープス」は、2013年には全日本総合選手権で初優勝、Wリーグの昨シーズン(18-19)は3位の結果を残している。2016年から同チームに所属する三好はチームの司令塔としてポイントガードのポジションに立つ。2017年からはキャプテンも務めている。
キッカケは親の薦めたダイエット
三好は高校在学中から日本代表に選出されている有力選手だ。企業チームでプレーするかたわら、リオデジャネイロ2016オリンピック競技大会に出場し、当時格上のフランスを相手に得意の3ポイントシュートを決め、ベスト8入りという歴史的な勝利にも貢献。もちろん、次の東京2020オリンピック競技大会の代表選手入りも目指している。
そんな三好がバスケットボールを始めたのは、千葉県市川市の小学校2年生のとき。そのきっかけを聞くと、意外な答えが返ってきた。
「体が太っていたため、鬼ごっこで鬼になると誰も捕まえることが出来ませんでした。泣いている私を心配した両親が、運動させることを目的にバスケットボールチームに入れたんです。」 先に別のチームでバスケットボールをやっていた姉の影響もあった。
最初の1年はコートに入れず、ひらすらドリブルの練習をする日々で、毎日辞めたくて仕方なかったそうだ。「バスケットボールを辞めたがる私に、父が“あと1日頑張って”と、毎日励ましてくれました。3年生になると少しずつ試合に出られるようになり、段々とバスケットボールが好きになりました。」
そして体重も比例して減っていったと笑う。可愛らしいエピソードだが、バスケットボールを辞めてしまいたい気持ちを辛抱強く我慢すること、そして基礎から始めたバスケットボールでステップアップしていく楽しさを覚えたことは、現在の三好を形成する大事な一歩となっているようだ。
ケガを通じて見たバスケットボール
バスケットボールに夢中になっていた小学校6年生の頃には、将来バスケットボール選手になりたいという夢を抱くまでとなった。高校進学では千葉県を離れ、愛知県の名門強豪校 桜花学園高校への入学を決断。バスケットボール一筋の進路を決めた三好だったが、予想外の大きな苦難が待ち受けていた。
入学前に行った高校の練習で、前十字靭帯損傷という大怪我をする。バスケットボールやサッカーなどスポーツ選手に多くみられる膝のケガで、靭帯の損傷により膝を安定させることが難しくなるというもの。
三好はこの大怪我により1年間プレーすることが出来なくなった。これまでの三好の競技生活の中で初めての大きな挫折、そして高校での競技生活を目前にしたケガという精神面のダメージは計り知れない。バスケットボールへの熱が冷め、競技から離れることも有り得る状況だろう。だが、三好は違った。
プレーの出来ない1年間、三好はチームの練習や試合を、コートの外から休むことなく観察し続けたのだ。
「プレー出来ないことはもちろんショックでしたが、その1年でチームの動きを全体から見ることで、バスケットボールの在り方を客観的に学べました。“自分に出来る事は何か”をポジティブに考えました。この時間は自分にとって、その後の大きな糧となりました。」
三好の強みは、“メンタルの強さ、切り替えの早さ”と周りから評価されている。この強さと切り替えの早さは、この経験から得られたものだと三好自身も振り返る。
自分のために、チームのために
考えを切り替えたことで道が拓けた2つのエピソードがある。三好がアンテロープスへ移籍したのは2年前、その前はWリーグの別チームに所属していた。当時、チームの主力選手が他チームへ移籍した例は他になく、周囲からの引き留めの声の大きさに戸惑い、三好自身とても悩んだという。
「新しいところでチャレンジしたい、自分を試してみたいという気持ちが強かった」と、そして「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい、悩んで迷っているくらいなら動いてみよう」と、三好は自分の信念を貫いた。
移籍後は2シーズン目にして、リーグのレジェンドと言われる選手からキャプテンを引き継ぐことになる。偉大なキャプテンの後任として、若干23歳の三好のプレッシャーは大きかった。当初はチームを引っ張っていけるのかと思い悩んだが、まずは自分が変わろうとその大役を引き受けた。
「出来るだけチーム全員とコミュニケーションを取るよう心掛けました。チームが負けている時に自分は下を向かない、強気で前を向く事だけを考える。その姿勢にプレーがついてくると考えているからです。仲間はキャプテンを見ているし、そのキャプテンが気持ちで負けるとチーム全体に悪影響が出てしまいます。常々チームに気を配る、自分よりもチームの事を考える」と語る。こう考えるようになったのは、キャプテンになってからだという。
時に笑顔を見せながら話す三好だが、その裏には大きな苦悩と努力があったに違いない。アンテロープスのキャプテンとして益々成長した三好は、日本代表選手への挑戦も続けている。
日本代表選手入りへの挑戦
リオ2016大会以降、日本代表の選考から外れていた三好。2017年6月に現チーム「アンテロープス」に移籍した後、FIBA女子ワールドカップ2018では日本代表候補として再び選出された。候補者としてプレーする中、他選手の著しい成長によりポジション争いは熾烈化。三好は焦りから、自分らしいプレーが出来なくなっていったという。
「自分がこの代表として何を得たいのか」と自問自答した。「自分は3ポイントシュートが得意。ポジションを争う他の3選手はドライブ(ボールを持ってゴールへ切り込むこと)やアシストが得意。他の選手の得意なところを吸収し進化させようと気持ちを切り替えることで、調子も少しずつ上がっていきました。」
最終的に代表選考に残れず、FIBA女子ワールドカップ2018でプレーすることは叶わなかった。しかし、「やり切ることはやって、それでも代表に入ることが出来なかった。悔しいけれどそれでもいいか、と吹っ切ることが出来ました」と、三好は“やり切った”ことを振り返る。スポーツの世界でも、努力が必ず報われるとは限らない。精一杯自分の足りない部分を補う努力をしても悔しい思いをすることもある。昨シーズンの三好はこの厳しさを、身をもって経験している。
次の挑戦は、東京2020オリンピック競技大会の代表選手に選ばれることだ。
未来のプロ選手へ向けて、伝えたい気持ち
三好は忙しいスケジュールの合間を縫って、バスケットボール教室で子ども達の指導をしている。自身が意外なきっかけでバスケットボールに魅了されたように、バスケットボールの楽しさを伝えるための活動をしている。
その思いは、「女子バスケの注目度をさらに上げていきたいと思います。私がそうだったように、子ども達には頑張れば自分でもプロになれるという夢を持ってもらいたいです」という言葉に表れている。
将来の夢について聞いてみると、「将来の夢…」と少し迷いながら、「今は東京2020でプレーする事が夢です。その先、バスケにどうかかわるかは正直まだ分かりません」と答える。
インタビュー後、三好は2019年度のバスケットボール女子日本代表チームの強化合宿メンバーかつ、3人制バスケットボールの日本代表選手としてFIBA3×3ウーマンズシリーズで戦っている。代表選手とはいえ、オリンピック代表選手に内定しているわけではなく、代表の座をかけた熱戦は続いている。
またセカンドキャリアの視点では、三好にとってバスケットボールは人生の一つの経験という位置づけだ。引退後は全く違う道に進む可能性もあるという。しかし、バスケットボールを通して培ったメンタルの作り方などはこれからの人生に必ず活かされることも認識している。
「これまで自分に関わり助けて下さった方々や、その機会を作ってくれたバスケットボールそのものに感謝をしているので、その気持ちを次世代の子ども達に形として伝えることで返していけたらいいなと思います。」
三好は太陽(サン)のようにまぶしい笑顔でこう締めくくった。
編集後記:
大きな逆風が吹いても”やってみる”というチャレンジ精神、そして自分にできることを実践する行動力が三好選手の魅力。東京2020に出場する夢を叶えるまでは現役プロ選手として、そして”司令塔”として女子バスケットボールを盛り上げてくれることでしょう。三好に憧れ、三好のようにまっすぐと芯のあるヒロインが次に続くことを願っています。