「日本のクルマづくりを支える職人たち」第1回 木型職人 剣持正光

2021.03.31

自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第1回はモータースポーツエンジンも手掛けた「木工の匠」に話を聞く

3DプリンターやAIをはじめとするテクノロジーの進化に注目が集まる時代だが、クルマづくりの現場では今もなお あまたの「手仕事」が生かされている。

トヨタイムズでは、自動車業界を匠の技能で支える「職人」にスポットライトを当て、過去・現在・未来という時代の潮流のなかで息づく日本の「モノづくり」の真髄に迫る特集「日本のクルマづくりを支える職人たち」をスタート。

今回は、レーシングカーのエンジンも手掛けた「木工の匠」剣持正光(けんもちまさみつ) を取材した。

第1回 モータースポーツエンジンも手掛けた「木工の匠」剣持正光

トヨタ自動車 明知(みょうち)工場 パワートレーン統括部 PT管理室 技能育成グループ シニアエキスパート(SX)

1/100単位の精度を追求する

インテリアの一部を除けば、クルマに木材が使われることはほとんどない。ボデーもエンジンも、ほとんどの部品は金属製で、ボデーはプレス加工、エンジンは鋳造という方法を主に使って造られている。

だが、トヨタには木材加工のスゴ腕職人がいる。エンジンの主要パーツであるエンジンブロックやシリンダーヘッド、クランクケースなど鋳造で造る部品のもとになる木型を、1/100ミリ単位で理想的な形に作り上げる木型職人だ。英語ではクリエイティブモデラーとも呼ばれる職種である。

その人の名は剣持正光。1959年2月14日生まれの現在62歳。

剣持が働くのは、愛知県みよし市明知町にある、クルマの駆動関係部品、つまりエンジンの部品を製造するトヨタ自動車明知工場だ。

新潟県出身でトヨタ工業高等学園(現トヨタ工業学園)を卒業。在学時から木型の製作に取り組み、木型製作の技を全国で競う技能オリンピックにも出場。学園を卒業しトヨタ自動車に1977年3月1日に入社してから、ほぼ木型職人ひと筋に仕事を続けてきた。

前述の通り、エンジンブロックをはじめクルマに用いられているさまざまなパーツが、鋳造(ちゅうぞう)という方法で造られる。
ちなみに鋳造とは、鉄やアルミ合金など素材となる金属を高温で熱し溶解させ、砂で作った鋳型(いがた)に流し込んでパーツを成型する加工方法である。この鋳型を作るために必要なのが木型だ。

具体的には、製作する部品と同一形状の木型を砂の中に埋め込み、砂をしっかり押し固めてから木型を取り外す。これが鋳型で、木型があった空洞部分に溶けた金属を流し込み冷やすと、金属はその形に固まる。

さらに、砂の鋳型を壊して取り除くと、木型とまったく同じ形をした金属製の部品が完成する。つまり、部品の形状や精度は木型で決まる。この木型作りが木型職人の仕事である。

剣持は、自動車レースの最高峰であるF1(フォーミュラワン)レースにトヨタがフル参戦したトヨタF1プロジェクト(20022009)や、世界三大レースに数えられるインディ500、そしてル・マン24時間耐久レースをはじめとする世界耐久選手権(WEC)など、世界トップレベルのレーシングカーに搭載されたレースエンジンのパーツの木型製作を担当してきた。

また生産車の試作エンジンの木型も担当。トヨタのエンジン史上において名ユニットといわれる、AE86系カローラ・レビンやスプリンター・トレノに搭載された「4A-G」系試作エンジンの木型も剣持が手掛けたものだ。

剣持が木型製作を担当した「4AG」系エンジンを搭載し、1983年にデビューしたスポーツモデル「カローラレビン」。車両型式番号を意味する「AE86」の通称で、当時のクルマ好きから圧倒的な人気を博した。また、モータースポーツのベース車両として長く愛された

剣持は現在、鋳造による部品造りには欠かせない、この木型製作の技能を未来に伝承するために、後進の指導に当たっている。

エンジンは、木型なしには作れない。エンジンを量産するのは自動機械だが、その原型となるマスターモデルの製作には木型が絶対に欠かせない。

しかも、各パーツの精度がエンジンのパワーや燃費性能に直結するため、要求される精度は1/100ミリレベル。その原型となる木型も、同様の精度で仕上げなければならない。

現在では木材ではなく樹脂で木型を成型するのが一般的だが、鋳造の原点である木材による木型づくりを後世に残すことも大切だと、剣持は穏やかな口調で語る。

剣持が製作したトヨタF1エンジンのシリンダーヘッド部分の木型。現在は木材ではなく樹脂が用いられるのが一般的だ

設計図から、即座に立体をイメージする

「木型職人の仕事は、まず“図面(設計図)を読む”こと。二次元の図面を見て、頭の中に三次元の立体として即座にイメージする。これができなければ、木型は作れません。私たちはこれを“図面が読める”と言っています。自分ができるようになるのに、10年くらいはかかりましたね」

剣持は設計図を“読んで”、製作する部品の最終的な形を立体としてイメージしながら、設計図に秘められた設計者の意図を読み取る。だが、それだけでは木型の製作はスタートできない。図面にはときに「描かれていない、省略された空白の部分」があるからだ。

図面は立体を二次元に抽象化したもの。すべてが描かれているわけではない。設計図には、設計者がイメージしていない部分、どう図面に落とし込むべきか分からないので、描かれていない箇所がどうしてもある。図面のこの空白を埋め、三次元の形にするのも木型職人の仕事である。

「描かれていない部分がある図面を見ると、気が重くなります。でもその部分が欠けたままでは木型は作れない。モノづくりは先に進みません。そこで図面を描いた設計者と会って、描かれていない部分をどうするかについて相談します。『この部分は図面に描いてありませんが、こうしたいと思いますけれど、これでいいですか?』と確認します。『お任せします。よろしくお願いします』と言われることもよくありましたね」

設計者がいかに剣持に信頼を寄せているかが分かるエピソードだろう。

図面通りでは、図面のものは作れない

図面を“読んで”、図面に描かれていない部分まで頭の中で補足して、具体的にどのような木型を作るかを考える。これが木型職人の最初の仕事だ。

木型職人と聞くと、一般的には大工さんのような仕事、ノミや鉋(かんな)で木を削って形を作る加工作業がメインの職人仕事をイメージする人が多いのではないか。

だが剣持は、木型職人の仕事は「頭の中で徹底的にイメージする」ことが8割で、木を切ったり削ったりする作業は、残りの2割でしかないという。

「この仕事でしんどいのは“仕掛かる(実際の作業をする)”前の段階です。どこをどのような形にするのか、その完成形が三次元の立体として“見える”まで、ひたすら頭の中で考え抜くところ。この仕事を始めたとき先輩たちから『寝ている間も(木型のことを)考えろ』と言われました。そんなことはできないじゃないかと思いましたが、あれは『寝ないで考え続けろ』『とにかく考え続けろ』ということだったのですね」と剣持は笑う。

しかも木型はただ、図面通りに形に作ればいいわけではない。エンジンのシリンダーヘッドなど複雑な造形や構造の部品は、鋳造の工程、つまり鋳型から木型を抜くことを踏まえて、木型を分割できる構造にしなければならない。内部が空洞の部品の場合には、空洞を作るための木型も必要だ。

またエンジンの素材である金属は、砂型に流し込んで固まるときに収縮する。しかも収縮の度合いは金属の種類やその組成によって変わる。木型はこの収縮を見込んで1/100ミリ単位で仕上げなければならない。

通常は、設計図よりも少し大きめに作る。だが、素材によっては縦方向、横方向で収縮率が変わる場合もある。

この点もしっかり考慮して木型を作らなければならない。そのためには、金属の種類や組成について精通し、鋳型の作製から熔解した金属の流し込み、そして最終的な鋳造部品の仕上げまでを一貫して手掛ける鋳物職人との綿密なコミュニケーションも欠かせない。

さらに木型の素材も湿度や温度で伸び縮みする。だから製作中もその寸法は微妙に変化してしまう。木型職人は、この変化も考慮して木型を製作しなければならない。
木型職人は工具の調整はもちろん、必要な工具やスケールの製作も自分自身ですべて行う

「私は図面を読む際に、まず『どんな金属素材で作るのか』を確認します。木型作りにはこうした“数値化できない部分”がたくさんあります。図面通りに作ってはダメなのです。木型作りは“図面を超えたモノづくり”。それができなければ、良い部品、良い製品は造れません。いちばんうれしいのは、木型職人として“今まで誰もできなかったモノづくり”に挑戦して成功したときですね」

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