執行役員の小林耕士は若き日の豊田章男の「鬼上司」。「大企業トヨタ」と闘ってきた豊田の足跡は涙なしに語れなかった。
株主総会では約1時間に亘り、株主からの質疑が続いた。
トヨタイムズでは、今後、5回に分けて、その内容を伝えていきたい。
最初にお伝えするのは「豊田社長が一番苦労したことは何か?」という質問である。
<株主>
先ほど、社長就任から11年、いろいろな出来事の中で、豊田社長がご苦労されたことをお聞きして、改めて大変な中で運営されてきたんだなと感じました。
また、新型コロナの影響を受けて8割の減益といった中で、大変な危機だと思います。
その中で、安心してトヨタの株主でいられることは本当にありがたいと、豊田社長のご苦労も知らずに思うわけですが、豊田社長がこの11年で何を一番ご苦労されたのか、ぜひお聞かせいただきたいと思います。
自身に問われた質問だったが、豊田社長は「私のことを長く見ている番頭の小林より」と、隣に座る小林執行役員に、その回答役を振った。
<豊田社長>
なにを一番?と言われても、ずっと苦労してきておりますので1年たりとも平穏無事な年はございません…
ですから私にとって、これが平常になっております。苦労していることを(株主の)皆様にはご理解いただけていても…、私は常に笑顔でいるように努めておりますので、なかなか周りに苦労(していること)が伝わらないというのが本音でございます。
そういう意味で、私のことを長く見ておりました番頭の小林より第三者的な意見を回答してもらいたいと思います。
3月まで“代表取締役副社長”という肩書きだった小林の名刺には、今“代表取締役”も “Chief Risk Officer”も書いておらず“番頭”とだけ書いてある。
豊田社長から、その役割が一番しっくりくると言われ4月からそうなった。
番頭は、30年以上、豊田社長と共に歩んできた。
年齢は小林の方が8つ上であり、若い頃は小林が豊田の上司だったこともある。
議長の指名により、番頭の小林が豊田章男のことを語り始めた。
<小林番頭>
私は豊田社長が入社して、しばらくしてから、今の今まで、30年以上、近くで仕事をさせていただいております。
(豊田社長が)入社した頃、私は鬼の上司でしたので、(豊田社長は)とにかくがむしゃらに仕事をして、叱られたり、議論したりしながら(共に過ごしてきました)。
今思うと、(豊田社長は)外資系の会社に武者修行に行った後、途中入社ではいって来たので、「早く仕事を覚えたい」「早くトヨタの一員になりたい」という気持ちだったんじゃないかと思います。
したがって、土日はもちろん、(平日も、明け方)3 時、4時まで一緒に仕事をしました。
もうひとつ…、あまり(豊田社長)本人は言いませんが、全部暴露すると、結婚した後も、ほとんど単身赴任です。私どもの会社で、こういう事例はございません。必ずどこかで一緒に住んで、時々、単身赴任します。
私は(豊田社長を)ずっと見てきました。
トヨタ自動車は皆さんのおかげで大企業になりましたが、(豊田社長は)大企業の社長というより、常にベンチャービジネスの起業家のマインドを持っている気がします。
ご存知のように、企業を興して、同じ価値観や志を共有する同志と一緒に仕事を進めるのがベンチャー企業です。
トヨタは皆さんのおかげで、グループも含めて、ここまで来ることができました。
しかし、人材育成ができているかというと、劣後したかなと思います。
(トヨタを育ててきた)先輩に非常に申し訳ないと思っています。
要するに、もっと厳しく育てて、次世代を担っていくということが、(我々には)欠けていたのかもしれません。(一番の)問題は、我々も含めて、その意識がないところです。
それと、(今まで我々は)成功体験をしてきて、周りからも「トヨタさん、トヨタさん」ともてはやされてしまいますから、“あまり物事を変えたくない(という意識)”が芽生えてしまい“物事を変えたくない人”が沢山出てきてしまいます。
ここに座っている執行役員を含め、特に幹部社員や、さらには中堅どころの社員は、ほぼそれに該当するんじゃないかなと思っております。
変な言い方しますが、“起業家の豊田章男”は、そんな“大企業トヨタ”と常に闘っているような気がします。それが今、社長がポツリとおっしゃったことじゃないかなと…。
(社長は)孤独で…、ですね…。
(今は)100年に一度の危機ですしね…、先が読めません。
そんな中で将来を変えようとする、(トヨタを)変革しようとする豊田章男にとって、(そんな大企業トヨタが)足かせになるわけですね。
私は横から見ていましたが…
“豊田章男の考え”そのものを理解しようとしない人もいます。さらには、やり方を変えようとしない人もいます。
その人たちと議論をしたり、会議をしたりして、ときには叱責して、会議室を途中で出たりしたこともありました。
それから、自分の考えが…
突然、小林は声を詰まらせた。
「すみません…」と言い、数秒間、沈黙する。
そして涙声で「なかなか伝わらないものですからね…、泣けてきた…」とささやき、言葉を続けた。
「それを横で見てまいりまして…、
それが豊田社長の一番苦労したことじゃないかなと思います。」
長く寄り添ってきた番頭から見た“豊田章男の一番の苦労”は「大企業になってしまったトヨタそのものとの戦い」ということであった。
小林は、さらに言葉を続けた。
ただ、決算発表で申し上げました通り、(豊田社長は)次にバトンタッチをすると申し上げております。
そういう意味で豊田社長は諦めないと思います。
トヨタの仲間と、世の中の役に立つ会社にしていく、モビリティカンパニーに変革するということを、これからも標榜しながら戦い続けると思います。
私、お会いしたことはありませんが、トヨタ自動車を創業されたのは豊田喜一郎でございます。
社長のおじいさんでございますけれども、なんとなく、その執念であり、信念があるような気がします。DNAですかね…。
(豊田喜一郎の)本を読んだことがありますが、そんな気がします。
企業はご存知のように人で成り立ちます。
人は石垣、人は城と言います。
しかし、人づくりは道半ばでございます。
でも社長はおそらく、諦めません。
社長の価値観を理解する人が出てくると思います。今も少しずつ出てまいりました。
それが多少、今回の決算につながったのだと思います。
株主の皆さんに申し上げたいのは「心配しないでください」。
とにかく、我々一丸となって、次のバトンタッチに向けても、今のトヨタを何とかして、モデルチェンジして、それが果たせた時に、おそらくもう一歩、トヨタは先を行ける会社になるのではないかと思います。
それまで是非とも株を持ち続けていただいて、ご支援、ご声援いただきたいなと思っています。
「社長は諦めないと思う」という番頭の言葉を受け、豊田社長が回答を補足した。
<豊田社長>
私も何度か諦めたくなるようなことがあります。
これで11回目の議長をさせていただいたわけでございますが、最初の議長の前に公聴会がありまして、その段階において“私という社長”は1年も持たなかったなと思って(いました)…、
(しかし)今、気づいたら11回目の議長をやっているわけでございます。
私自身、諦めたくなっても、こうして今(社長を)続けておりますのは、多分、私自身がこういうバトンタッチをして欲しかったんだろうなと思っております。
なにとぞ、次の世代に行くときには、そういうバトンタッチをしていくようなトヨタにしていくよう、努力してまいりますので、是非とも株主様のご支援よろしくお願いしたいと思います。以上です。
豊田社長が話し終えると、会場から拍手が沸き起こった。
拍手の中、質問をした株主が、一段と大きな声をあげた。
豊田社長!決して1人ではないと思います。
世界中に豊田社長の仲間が大勢いると思います。
頑張ってください!
豊田社長は「ありがとうございます」と応え、議事進行を続けていった。
次回も、引き続き、株主総会での質疑応答をお届けいたします。
次は「突然はじまったロバと老夫婦の話」。