新生・広瀬製作所のメンバーに、豊田が伝えたメッセージとは?
1989年に設立したトヨタ自動車の広瀬工場。自動車の電子制御の急速な広まりを受け、電子制御装置やICなどの研究開発及び生産をしてきた工場だ。
一方で、この事業のライバルがグループ会社内にいた。それは、デンソーだった。
工場設立から約30年の時を経た2020年4月1日。
広瀬工場で、「株式会社デンソー 広瀬製作所」の開所式が行われた。
疑問に思われた読者もいるかもしれない。
昨日まで「トヨタ自動車の広瀬工場」だった場所が、新しく「デンソーの広瀬製作所」として生まれ変わったのだ。
この日、広瀬の開所式に豊田章男の姿があった。
なぜ豊田が広瀬に姿を現したのか。そこにはこんなストーリーがあった。
<2018年6月>
さかのぼること約2年前、トヨタとデンソーは、両社の主要な電子部品事業をデンソーに集約することを発表した。
「100年に一度」と言われる大変革の時代を生き抜くために、トヨタはグループの連携を一層強化することによって、限られたリソーセスをより有効に活用し、グループ全体での競争力を向上させる取り組みを加速することを決めたのだ。
例えばこの場合でいうと、電子部品事業を同じグループ内のトヨタ・デンソーが各社で取り組むより、電子部品事業に長けているデンソーにトヨタの電子部品事業を集約させることで生産性を向上させ、グループ全体の競争力を強化する、というもの。
それを豊田は「ホーム&アウェイ」と表現する。
しかし、広瀬工場のトヨタ社員にとって、デンソーはライバル会社であり、自分たちがトヨタからデンソーの社員に変わることについて、複雑な心中だった。
<2018年12月>
電子部品事業のデンソー集約が決まった半年後。恒例の社内駅伝大会が開催された。
広瀬のメンバーからは「デンソーになっても社内駅伝に参加できるのか?」という声が出るほどトヨタ社員にとって、社内駅伝は特別なものだ。
社内駅伝で広瀬工場の応援席に立ち寄った豊田は何かを感じ取ったのかもしれない。
社内駅伝の直後にデンソーの有馬社長と一緒に広瀬工場を訪れたのだ。
メンバーの気持ちに迫ろうと、彼ら彼女らの目を見つめ、ひと言ひと言に耳を傾ける豊田。
そして、自分の想いをこのような言葉で伝えた。
「広瀬工場では、主にインバータと呼ばれる電子部品を生産している。
電子部品は以前、トヨタで『補機』と呼ばれていた。制御する対象の例えばエンジンなどのメカが主で、電子部品はその付属品という意味だ。
いま自動車産業は、『CASE(コネクティッド、自動化、シェアリング、電動化)革命』によって、クルマの概念そのものが変わるとともに、人々の暮らしを支えるあらゆるモノ、サービスが情報でつながっていく時代に突入している。
この技術革新には、電子部品が重要なカギを握る。これからは、電子部品は『補機』ではなく、クルマづくりのメインストリームとなる。
『未来のモビリティづくりに向けて、トヨタとデンソーがそれぞれの強みを出し合い、世界で勝負できるモノづくりをしたい』」
<2020年4月>
それからおよそ1年が経った、広瀬の開所式に豊田章男がいる。
開所式で豊田が広瀬のメンバーに伝えた挨拶全文をご覧いただきたい。
〈デンソー 広瀬製作所 開所式 豊田社長挨拶全文〉
プロジェクトに関わった皆さんへの感謝
デンソー広瀬製作所の開所に対し、心からお祝いを申し上げます。
2018年6月1日、この広瀬工場で、河合副社長から皆さんに「デンソーへの電子部品事業集約」を初めてお伝えしてから、約2年が経過いたしました。
最初の頃は、戸惑いや不安が大きかったと思います。
「なぜ自分たちだけが」、「自分たちはトヨタにとってアウェイなのか」といった不満の声が私の耳にも届いておりました。
しかしながら、全ての関係者の皆様のご尽力により、本日こうして開所式を迎えることができました。
今日に至るまでの皆様のご努力に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
今日こうして、皆さんの顔を見ておりますと、私と有馬社長が訪問した一昨年(2018年)の12月とは違い、自分たちの力で困難を乗り越えた人、挑戦している人だけがもつ「たくましさ」のようなものを感じます。
先日、開催された第3回労使協議会で、組合の竹ヶ原支部長や松井次長が今日に至る想いや苦労を話してくれました。映像をご覧ください。
会場では、2020年2月に開かれた第3回労使協議会の映像が流れる。
<竹ヶ原支部長>
・デンソーの人たちと一緒に働く中で、初めてトヨタを外から見て、自分たちが勝っているという認識が甘かったことに気づかされた。
・これまでは何か問題が起こったとしても、同じトヨタなので、それにより仕事を失うという感覚はなかった。サプライヤーとして、一つの不具合を出すことが、デンソーで言う『失注』、『注文を失う』ことに直結するということを肌身で感じている。
・職場にはいろんな人がいる。いろんな考えがある。例えば、毎日通勤で見ていた『TOYOTA』の看板が『DENSO』に置きかわるのを見て、寂しいと感じている人もいる。全員が全てを腹落ちしていると言えば嘘になる。
・それでもデンソーの生産システム、品番切りかえに向けて、最後の追込みを必死に対応している。
・デンソーという同じ分野・同じ言語で話せる仲間と一緒に、世界で勝負できる電子部品を製造していきたいと思っている。
<松井次長>
・相手にがむしゃらに突っ込んでいき、自分たちをさらけ出すことで、デンソーの技能系工場長はじめ、多くの方々と、お互いに腹を割って何でも話し合える、教えあう兄弟のような関係を目指した。
・失敗もあったし恥もかいた。お叱りを受けることもあった。それでも私は嬉しかった。
・職場のメンバーにも、もっとデンソーを知ってもらいたい、学んでもらいたい。
・これからも皆さんと『世界一のインバータ工場』を目指して、本気で頑張っていきたい。
映像が終わると、豊田はこう続けた。
私は、二人の言葉を、このプロジェクトに参加した全員の言葉として受け止め、本当に嬉しく思いました。ありがとうございます。
豊田社長がデンソーの取締役をしている意味
私はトヨタ自動車の社長であるとともに、デンソーの取締役でもあります。
最後にデンソーの話をしたいと思います。
豊田章一郎名誉会長も、1964年から2015年までの50年にわたって、デンソーの取締役を務められました。
章一郎名誉会長は、常々、「新しいことをやるのがデンソー。最初にデミング賞を受賞したのもデンソーだった。デンソーには自由闊達な雰囲気がある」と言われておりました。
先日、NTTとの業務・資本提携を発表した際に、私たちのクルマづくりが2つの変化に直面していると申し上げました。
一つが「ソフトウェア・ファーストのクルマづくり」。
もう一つが「社会システムの一部としてのクルマづくり」。
いずれについても、電子部品が重要な鍵を握ることになります。
今まさに、「新しいことをやるデンソー」がトヨタグループに必要だと思います。
トヨタでは以前、電子部品は「補機」と呼ばれていました。制御する相手、つまり、メカがメインで、その付属品という意味です。
これからはソフトウェアが勝負を分ける時代であり、電子部品は「補機」ではなく、クルマづくりのメインストリームになります。
電子部品にすべてをかけてきたデンソーを「ホーム」にすることで、トヨタグループの新たなクルマづくりへの道が拓けると思うのです。
「ホーム&アウェイ」とは、単なる事業の切り離しや集約ということではありません。
トヨタグループの総力を結集し、この大変革の時代をともに生き抜いていく。そして、日本の未来、モビリティの未来を創造していく。
そのためのグループ戦略です。
そこには、「上から目線」も「下から目線」も必要ありません。
必要なものは、もっといいクルマをつくるという「志」だけです。
トヨタとデンソーが、「上も下もない」関係をつくり、グループ全体に示していく。
その先頭に立つのが、広瀬の皆さんであってほしいと願います。
身体を張って、「ホーム&アウェイ」に取り組んできた今の皆さんには、私の言っている意味がわかるのではないでしょうか。
これから先は回答のない世界であり、未知の世界です。
自分たちで切り拓いていく世界でもあります。
だからこそ、経営者である私と有馬社長は、これからも常に、変化を起こしていなければならないと思っております。
同時に、私と有馬社長が先頭に立って、その変化を受け止め、自らを変えようと闘ってくれている従業員、現場で働く一人ひとりの気持ちに寄り添う努力を続けてまいります。
広瀬の皆さん、安心して、トヨタグループのために、新しいことに挑戦し続けてください。
本日はありがとうございました。