コラム
2019.07.10
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Athlete Stories ジョセフ・スクーリング選手 「憧れの世界王者を抜き去り頂点に立つ」

2019.07.10

気温33度の暑苦しい水曜日。午後4時のシンガポールにある競泳プールはトレーニングに励む選手たちとストップウォッチを片手に指示を出すコーチたちの声で賑やかだった。こんな天気の日には水しぶきに誘われて、見ているこちらまでプールに飛び込んでしまいたくなる。そんな中、初めてスクーリングに会ったのはインタビュー室へと向かう途中だった。ブルーのTシャツを着て、グレーの半ズボンを履き、爽やかな笑顔を湛えたジョセフ・アイザック・スクーリング。インタビューにやって来た私たちに温かく挨拶し迎えてくれた。

※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2019年7月10日に掲載されたものです

気温33度の暑苦しい水曜日。午後4時のシンガポールにある競泳プールはトレーニングに励む選手たちとストップウォッチを片手に指示を出すコーチたちの声で賑やかだった。こんな天気の日には水しぶきに誘われて、見ているこちらまでプールに飛び込んでしまいたくなる。そんな中、初めてスクーリングに会ったのはインタビュー室へと向かう途中だった。ブルーのTシャツを着て、グレーの半ズボンを履き、爽やかな笑顔を湛えたジョセフ・アイザック・スクーリング。インタビューにやって来た私たちに温かく挨拶し迎えてくれた。

スクーリングがリオデジャネイロ2016オリンピック競技大会の水泳で祖国シンガポールに初めて金メダルをもたらしたのは、わずか21歳の時。少年時代のヒーローで、オリンピックメダル最多獲得者 マイケル・フェルプスに勝った選手として多くの人が記憶していることだろう。

スクーリングを待っている間、用意したインタビューの質問リストに目を通していると、尋ねてみたいことが湧き上がってきた。若くして達成した数々の偉業に、彼はどう向き合ってきたのだろうか。
10分後、スクーリングがインタビュー室に入ってきた。最近まで大学とトレーニングのためアメリカのテキサス州に暮らしていたのだが、大学を卒業してシンガポールに帰ってきた。過密なスケジュールは変わらずのようだが、自国での生活を楽しんでいる様子が見てとれる。シンガポールに戻って何が一番嬉しいかと尋ねると「母の料理です」という答えがすぐに返ってきた。

世界の頂点へ

「オリンピックは全てのアスリートが夢見る究極の目標です。日々、努力を続けて目指す世界の頂点でしょう。 私にとってもオリンピックで金メダルを取ることは長年の夢でした」と、スクーリングは自分にとってのオリンピックの意味を語ってくれた。そして、スクーリングはリオデジャネイロ2016オリンピック競技大会100mバタフライでフェルプスを退け50.39秒のオリンピック新記録で悲願の金メダルを獲得する。フェルプスが持っていた従来のオリンピック記録をなんと0.75秒も縮める快挙だった。

今となっては国際水泳大会、アジア選手権、東南アジア選手権なども含め、手にした数々のメダルで知られるスクーリング。オリンピックの金メダル獲得で、シンガポールに多大な功績をもたらした人物に与えられる勲功章を祖国から授与され、その偉業が称えられた。メダル獲得を記念して「デンドリビウム・ジョセフ・スクーリング」という名前のランの花も誕生している。ランを国花として大切に育てているシンガポールでは、著名人や偉大な功績を残した人物を称えて、新たなランの交配種にその人物の名前を付けることがしばしばあるようだ。

しかし、輝かしい名声の陰には苦難もあった。4歳で水泳を始めたスクーリングは13歳の時にアメリカのフロリダ州へと渡り、名コーチ セルジオ・ロペスのもとで指導を受ける。家族や故郷から遠く離れた場所でのトレーニングでは自立が求められ、人生や将来についての大きな決断も自分で下さなければならなかった。周囲の仲間が当たり前のようにやっていたことも、我慢しなければならないことが多かった。

スクーリングは笑いながらその頃を思い出す。

「あまり普通じゃない子供時代でしたね。水泳の練習があったので友人と遊んだり、家に泊まりに行ったりすることはできませんでした。水泳以外のこともしたいと思ったこともあります。でも、今にして思えば何の後悔もありません。あの生活のおかげで、今の自分があるわけですから」

人はやりたくないことのために我慢はできない。スクーリングは、さぞ水泳が好きだったのだろうと思い込んでいた私たちだったが、次の言葉には驚かされた。
「実はいつも水泳が好きだったわけではないんです。水泳をやっていなければゴルフをしていたでしょう。水泳とゴルフをほぼ同時に始めて、5歳の頃にはどちらかを選ばなくてはならなかった」。

では、なぜゴルフではなく水泳を選んだのか、理由を尋ねると、 「ゴルフは大人になってからでもできる。水泳はできる期間に限りがあるなと思ったのです」 という答えだった。

「両親はいつも私の生活にとても関心を寄せていましたが、同時に自分のことは自分で決めるようにと遠くから見守ってくれていました。教え導いてくれることはあっても、ああしなさい、こうしなさいとは強制しない。自分で決断することを促されていたからこそ、成長も早かったのだと思います。両親はいつも私を応援してくれていました」

両親について語る様子からは感謝の気持ちが伝わってくる。下してきた決断の積み重ねが、今のスクーリングをつくったわけだが、中には人生を左右する大きな決断もあった。その1つが大学進学だ。

スクーリングは2014年にテキサス大学に入学して経済学を専攻した。限られた時間の中での学業と水泳の掛け持ちだったが、4年後の201812月、見事に卒業している。

「本当に大変で、まさかやり遂げられるとは思っていませんでした」

今まで多くのことを成し遂げてきた青年の口からこの言葉が出たことに驚いたが、その理由をこう説明してくれた。

「水泳と学業の両立はとても過酷でした。早朝練習のあと午前中はずっと授業。昼食を簡単に済ませたら、今度は1時から5時まで練習。終わったら家に帰り、宿題を済ませて、夕食を食べて寝る。そんな生活の繰り返しが何年も続きました。水泳に使いたい時間の少なくとも3割は学業に割かれました」。卒業した今のほうが時間を使いやすくなったとスクーリングは言う。

もちろん、アスリートたちはオリンピック金メダルを究極の目標として日々の鍛錬と準備に取り組むが、スポーツの世界では、銀でも銅でもオリンピックメダルが取れれば大成功だ。すでに金メダルを獲得してしまったスクーリングにとって、東京2020オリンピック競技大会ではタイトル防衛以外にどんな目標があるのか聞いてみると、「人生の夢が叶った後は、その実感が湧くまで少し時間がかかり、その後に自分の置かれている状況をもう一度振り返ることで新たなモチベーションを見つけることができました。次に狙うのは世界記録の更新です」。

大学を終えて、これからは世界記録を塗り替えるという目標に照準を合わせる。

「今は水泳だけに集中できるのが嬉しいです。学校もないし、邪魔がない。今後の17ヶ月でどれだけタイムが伸ばすことができるか、本当に楽しみです。やってみせます」とやる気満々だ。

アスリートが学業とスポーツの両立で苦労する話はよく耳にする。しかし、世界最高のパフォーマンスを維持しながら両立に励んだ話は特別な話のようだ。13歳で家族と離れた少年は決断を積み重ね、自分が進むべき道を切り開く大人へと成長した。その志は変わることなく、次の挑戦への意気込みを感じさせた。

完璧なパートナーシップ

昨年夏より、スクーリングはトヨタと共に社会課題に取り組むプロジェクトに参画し、交通安全の活動に取り組んでいる。

「トヨタと私は考え方が似ています。私は水泳の世界でトップを目指しているアスリートの一人。トヨタも世界トップの自動車会社としてビジョンの実現に取り組んでいる。完璧なパートナーシップと言ってもいいでしょう」。

「トヨタは私をよく理解してくださっており、なにより有難いのは日々のトレーニング環境を提供してくれることです。皆さんを失望させるわけにはいきません。感謝の気持ちをエネルギーにして実力を高めていきたいと思います」。

スクーリングが交通安全を活動テーマに取り組む理由は、「すべての人に移動の自由を(Mobility for All)」のトヨタの精神に共感しているからだ。この活動はスクーリングにとっても大きな意味を持っている。移動の自由はもちろんだが、安全に行動することはもっと大切だと考えている。  

愛車はトヨタのRAV4だ。今日もどんな風に運転してきたかを話しながら、交通安全に対する決意を語ってくれた。

「交通事故に遭ったら一瞬にして人生が変わるかもしれない。もともと私は危険を冒すタイプではなく、アスリートとして怪我にも気を付けなければなりません。私がロールモデルとなり、交通安全の大切さを皆さんに伝えていきます」。

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