コラム
2018.09.10

Athlete Stories ビーチバレーボール部 西堀 健実

2018.09.10

様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。第4話は、ビーチバレーボール部の西堀 健実選手(37歳、衣浦工場 品質管理部)。

※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2018年9月10日に掲載されたものです

様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。第4話は、ビーチバレーボール部の西堀 健実選手(37歳、衣浦工場 品質管理部)。

今年7月、衣浦工場内にビーチバレーボール施設が完成し、練習拠点を神奈川県平塚市から愛知県碧南市へ移したビーチバレーボール部。創部は2015年と、トヨタの強化運動部の中ではまだまだ歴史が浅い。

だが、オリンピックに2大会連続でビーチバレーボール(以下、ビーチバレー)日本代表として出場し、その後、日本代表女子の監督まで務めた白鳥 勝浩(衣浦工場製造エンジニアリング部)。バレーボール(以下、バレー)のV・プレミアリーグで活躍、北京2008オリンピックにも出場し、“ゴッツ”の愛称で親しまれた石島 雄介(衣浦工場工務部)など、実績のある選手が所属している。

励む西堀を訪ねた。今回取材する西堀もその1人。ビーチバレーで15年のキャリアを持ち、ペアを組んでいた浅尾 美和(現在はテレビタレント)と共にその人気をけん引。浅尾の引退後も、ビーチバレー界を支えてきた。718日、衣浦で練習に励む西堀を訪ねた。

2017年に加入した進藤選手(左/衣浦工場 工務部)

競技生活で最大のチャレンジ

ママさんバレーをやっていた母の影響で、小学3年生の時に双子の妹と共にバレーを始めた。西堀はスパイカーで、妹の育実はセッター。所属した地域のクラブチームは、全国で優勝を狙うほどの強豪だった。

「小学6年生の最後の大会で、全国ベスト8で負けてしまったことがすごく悔しくて、中学はチームメイト全員で私立の強豪校に進みました。」

その雪辱を果たし、中学3年生の時に見事全国優勝。高校は生まれ育った長野県を離れ、推薦で宮城県の古川商業高校(現、古川学園高校)に妹と共に進学。高校3年生の時に、春高バレー・インターハイ・国体で優勝し、高校三冠を達成。『西堀ツインズ』の愛称で、その名を全国に轟かせた。

「卒業するまで知らなかったんですけど、高校側から『スパイカーとしては身長が小さいから、もしかしたら3年間レギュラーになれないかもしれない』と言われていたそうです。でも、中学の恩師が『2人一緒じゃないと力が出せない。』と後押しをしてくれたおかげで、妹と一緒に活躍することができました。」

高校卒業後は妹と共に、社会人バレーのV・プレミアリーグ(1部リーグ) JTマーベラスに所属したが、徐々に試合への出場機会が減ってきた。

「バレーがあまり楽しくなくなってしまって、初めてもうバレーは辞めてもいいかなと思いました。それまで試合に出れないことがなかったから、どう頑張ったらいいか分からなかった。だから、監督のせいにしたり・・・今思うと、できることはもっとたくさんありました。」

だが、後悔はしていないと言う。バレーを辞め、スポーツトレーナーの資格を取得するために大学に行こうと考えていた。しかし、2003年に妹も一緒に退団することになり、2人でビーチバレーを始めた。

JTマーベラスのコーチにビーチバレーに精通している方がいて、『2人でバレーを辞めるならやってみたら?』と言われたことがきっかけでした。当時は、本格的にやるつもりはなくて、また2人で楽しくできたらいいなと思って始めました。」

しかし、これが競技生活での最大のチャレンジとなった。

人に支えられて今がある

ビーチバレーを始めた当初は、アルバイトで生計を立てていた。本格的にやるつもりはなかったはずだが、なぜそこまでして続けられたのか。

「結局、バレーが好きっていうのが根本にありました。同じバレーでもビーチバレーは難しくて、風があったり、砂の質が違ったり。その中でプレーができるようになるとすごく嬉しいし、1試合でも勝てると楽しかった。」

撮影のためにコート(砂の上)に入らせてもらったが、素人は歩くだけでもヨタヨタしてしまう。

砂の上でボールを追いかけ、太陽の強い日差しを浴び、海風を受けながらプレーをする。更にバレーは6人制だが、ビーチバレーは2人で闘う。ビーチバレーならではの難しさがたくさんあり、その中で自分の成長を実感できたことが初心を思い出させた。

西堀の中で、次第に勝ちたいという思いが強くなっていった。今でこそ2年後のオリンピックに向けて、選手の育成強化やスポンサーとなる企業が増えるなど盛り上がりを見せているが、当時はそうではない。
西堀のようにメディアで取り上げられる有名な選手でも、
つい4年前までは自分でスポンサーを集め、海外遠征をしていた。

「アポイントを取って、ルールや自分の成績をまとめた資料を持ってスポンサーのお願いに回っていました。大変だったけど、応援してくれる人がいるということを実感できました。」

ビーチバレー界を支えてきた西堀も、多くの人に支えられてきた。インタビューをしていると、恩師、チームメイト、スポンサーになってくれた企業、これまで関わってくれたすべての人たちへの感謝の気持ちが伝わってくる。2012年から4年間ペアを組んだ溝江はこう話す。

4年間ペアを組んだ溝江選手(左/衣浦工場第2トランスミッション製造部)

「タケさん(西堀の愛称)は、年下の私と上手くチームをつくろうと努力してくれて、プレーじゃないところも大事にしてくれました。相手に対する感謝とか、思いやる気持ちとかを大事にしていて、私がそれをできていない時には怒ってくれる人でした。」

メディアでは華やかな一面を見ることのほうが多いだろう。その裏側で人知れず苦労をしてきた。それが、人と人との繋がりを大切にし、感謝の心を忘れない、今の西堀の姿勢に繋がっている。

世界と闘うために

西堀は2005年に妹とのペアを解消し、浅尾 美和とペアを組んだ。勝ちたいという思いが強くなる一方で、経験のない者同士のペアでは勝ち方が分からなかったからだ。

「バレーでは監督が立てた作戦を、指示通りに実行していました。ビーチに転向してからはコーチがいなかったので、自分たちで作戦を考えて、上手くいかなかった時には修正しなければいけないんです。仮にコーチがいても、ルール上、試合中に指示をすることはできません。」

初めてコーチの指導を受け、本格的に練習ができるようになると、これまでは予選すら勝ちあがれなかったが、いきなり国内ツアーで3位入賞を果たした。

「ペアを組んで長い期間じゃなかったけど結果が出たので、もう少しやってみようということになって。一大会だけのつもりが、長く組むことになりました。」

西堀は浅尾と共に、オリンピック出場を目指したが、2008年北京では出場に必要な世界ランキングに入れず、日本代表にはなれなかった。当時、日本代表女子の監督だったコーチの山本(衣浦工場工務部)は、その時の印象をこう話す。

「もともとバレーは上手い選手。ビーチバレーに転向してからのキャリアが浅かったので、慣れるにはもう少し時間が必要だけど、砂の上で動けるようになれば、持っている技術を出せるだろうという印象だった。」

山本コーチ(衣浦工場工務部)

その後、国内ツアー、海外遠征で力をつけ、ペアを変えて日本代表としてオリンピックの予選に出場。しかし、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロともに最終予選で破れ、ビーチバレーが正式種目となった1996年アトランタからの日本の連続出場記録を途絶えさせてしまった。

「何が足りないかをすごく実感させられたし、出場を逃したことにすごく責任を感じました。立ち直るのにも時間がかかりました。東京オリンピックの出場権を絶対に獲ってその悔しさを晴らし、日本でもっとビーチバレーを広めたい。」

世界と闘い、勝つためには何が必要なのか。

「日本チームは身長が足りない。それはどう頑張っても伸ばせないけど、技術はつくり込んでいけます。基礎であるパスやトスの精度は、風が吹いても、どんな砂の状況でも、どんなに高さのある相手と戦っても崩れないものを持たないといけないと思います。」

西堀自身、バレー選手としては身長が低いことがコンプレックスで、プレーの正確性は誰にも負けないよう練習してきたという。

バレー選手時代から持っている「動きの素早さ」と、ビーチバレーに転向して15年のキャリアの中で身に付けた「天候や砂の状況に合わせたプレー」も西堀の強み。これを最大限に発揮するためにメンタル面での挑戦をしていると、コーチの山本は話す。

「西堀は、もともと気持ちが強いタイプ。ただ、勝ちたい・決めたい・拾いたいっていう気持ちが強すぎると、身体がスムーズに動かなくなってしまう傾向があって、本人もそれを自覚している。昨年から、あまり気持ちを高めすぎず、ボールに単純に反応するということにトライしていて、かなり良くなっています。」

“これだけは誰にも負けない”と言える強みを持ち、その強みを発揮するために何をすべきか分かっている。西堀はプロフェッショナルだと思う。だからこそ、37歳という年齢でも第一線で活躍し続けることができるのだろう。(西堀の活躍については、ぜひプロフィール欄を見てほしい。)

編集後記
4話も読んでくださりありがとうございます。取材はいつも緊張しますが、今回はテレビで見ていた有名な選手ということで特に緊張しました。でも、西堀さんは明るく気さくな方で、大好きな猫の話題になると目を輝かせていたのが印象的でした。

チームの皆さんに西堀さんについて伺うと、口を揃えて「タケさんは面白い!」とおっしゃっていました。今年のベトナム遠征で犬や猫、更にはとても大きくてカラフルなカエルを「可愛い!」と言って触ろうとしたり、練習後の焼肉が楽しみだったのか、トレーニング中に「9」を「牛(ぎゅう)」と聞き間違えたり。普段は面倒見の良いしっかり者のお姉さんだけど、たまにおっちょこちょいで皆を笑わせてくれる。とても魅力的な方で、皆さんに愛されていることが伝わってきました。

プロフィール                                                            

生年月日: 1981820

血液型: A

出身: 長野県中野市

出身校: 古川商業高校(現、古川学園高校)

ニックネーム: タケ

家族構成: 父、母、双子の妹

競技のこと                                                            

競技成績 

学生時代(バレー): ’97年 全国高校総体 準優勝

          ’98年 全日本バレーボール高校選手権大会(春の高校バレー) 準優勝

            全国高校総体 優勝

          ‘99年 全日本バレーボール高校選手権大会 優勝

            全国高校総体 優勝

            国民体育大会 優勝

社会人(ビーチバレー): ‘15年 ワールドツアーオープン(南アフリカ) 準優勝

            ‘17年 ジャパンビーチバレーボールツアー 年間チャンピオン/第23戦 優勝

            ‘17年 第28回全日本女子選手権 優勝

            ‘18年 アジアツアーカントー大会 3

            ‘18年 第29回全日本女子選手権 優勝

代表歴: ‘12年 ロンドンオリンピック アジア大陸最終予選日本代表

     ‘16年 リオオリンピック アジア大陸最終予選日本代表

尊敬する人: バレーを教えてくれた恩師の皆さん

自分のこと                                                            

性格を一言で表すと: マイペース(チーム関係者によると「生き急いでいる」)

趣味: 猫雑貨集め

特技: のら猫を見つけること

チャームポイント: 写真を撮る時に必ず目をつぶる、明るい、笑顔

子供の頃の夢: 看護婦(母の妹が看護婦で憧れていた)

今の将来の夢: 猫カフェをやること

生まれ変わったら何になりたい: 猫

好きな食べ物: カレー、焼肉

嫌いな食べ物: 刺身などの生もの

好きなアーティスト: Superfly

好きな漫画: スラムダンク

好きな動物: 猫(以前は犬派だったが、妹が猫を拾ってきたことをきっかけに猫派になった)

宝物: 家族

異性のタイプ: 優しい人、面白い人

オフの過ごし方: 部屋の掃除をする

一日で好きな時間: 寝る時

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