様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。第1話は、硬式野球部 内野手の樺澤 健選手(29歳、三好工場・明知工場工務部)。
※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2018年6月15日に掲載されたものです
様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。第1話は、硬式野球部 内野手の樺澤 健選手(29歳、三好工場・明知工場工務部)。
4月27日、都市対抗野球の予選を目前に控える、硬式野球部の練習場(トヨタスポーツセンター)を訪ねた。 バッティング練習でひと際ボールを飛ばす選手がいた。背番号9番、内野手 樺澤 健。
高校3年の夏の甲子園では、主将として選手宣誓。そしてベスト16。大学でも野球を続け、2012年にトヨタへ入社。現在は、4番バッターとして不動のポジションを築き、守備でもチーム1と評価される中心選手だ。
順風満帆に見える樺澤の野球人生。しかし、今があるのは多くの挫折を乗り越えてきたからだった。
勝てなかった学生時代
野球との出会いは、小学1年の時。2歳年上の兄が始めた少年野球に付いて行ったことがきっかけだった。
意外にも、「野球なんて絶対やらない」と言って、同じ年の子と練習場所の隅で遊んでいたと言う。
「人見知りだったし、体も小さくてまだ何もできなかったので。それでも兄に毎日くっついて行ってました。小学3年くらいになって、キャッチボールができるようになったら、それだけで面白くて、楽しくて。どんどん野球にはまっていきました」
加入した少年野球チームは強豪で、小学生のころは常に勝者だった。本当に野球が楽しかったそうだ。しかし、中学での部活から、それは一変した。
「中学3年に上がり、自分たちの代になってから全く勝てなくなったんです。郡大会で勝ち上がれず、県大会に出れませんでした。力は絶対にあったのに、自分たちの野球ができなくて、力が発揮できずに勝てない。本当にどうしたらいいか分からなくて、もどかしくて、辛かった。後悔が残った中学生活でしたね。」
高校では、3年の夏に甲子園に出場し、ベスト16という成績を残した。それだけですごいことだと思うが、樺澤は「それ以外は勝てなかった」と話す。大学は東京農業大学に進学し、4年間東都リーグ2部で過ごした。
「学生時代の野球には本当に悔いが残っています。今、社会人野球7年目になって、やっと野球が楽しくなってきました。自分がしたいプレーができることが、ちょっとずつ増えてきて。守備の形とか、この打球に対してはこう捕るとか。だから、より過去が悔しくなりますね。あの時こうできたなぁっていうのが、今になって分かるようになってきました。」
打てない、出れない
練習で打球を飛ばしている樺澤の姿を見ていると想像もつかないが、入社当時は全く打てず、試合に出れない日々が続いたそうだ。
「必死に頑張りすぎてたんですかね。打たなきゃ、打たなきゃって。どんなにバットを振っても、ボールが前に飛びませんでした。気負いすぎて身体がガチガチになっていて、1年目は僕が打席に立ったらベンチが笑ってましたからね。(苦笑)」
そんな樺澤がどうやって4番バッターに成長したのか。樺澤が打てずに苦しんでいた新人時代、同じ選手として側で見てきたコーチの乗田(のりた)はこう話す。
「樺澤は、真面目に一つひとつ努力ができる選手ですね。もともと守備は上手かったので、バッティングの練習に時間をかけていたと思います。そういう姿勢を見てきたので、もともと力を持っていますし、いずれ主力になると期待していました。」
他のチーム関係者に話を聞いても、みんな口を揃えて、彼のひたむきな練習姿勢、こつこつ積み重ねができることを評価していた。本人に話を聞くと、心境の変化もあったようだ。
「今だから言えるんですけど、当時あまりにもダメすぎて、いつ野球を辞めてもいいから、やるだけやってダメなら仕方ないって開き直ったんです。それが逆に良かったみたいです。」
今、若手選手を見て同じことを感じるという。
「トヨタって本当にすごい選手ばっかりなんですよ。レギュラー陣がどっしり落ち着いてプレーをしている中で、若手が自分も打たなきゃって危機感持っても、そう簡単に追い越すことなんてできない。のびのびと、これが俺のスイングだ!ってくらいのバッティングとか、個性を出した方がうまくいく。今だからそう思えます。」
肩の力を抜いたことで、自分らしいバッティングを取り戻した樺澤。4、5年目には4番バッターを任されるまでになった。当時、先輩からもらったアドバイスで、今も大事にしていることがあると言う。
「秦コーチが当時選手で、お前ちゃんとボール見てるか?って話をしてくれたんです。TV見ながらボール取れるか?取れないだろう?って。それまでは、そこまで意識してなかったんです。長いこと野球をやってると、当たるは当たるので。でも、ちゃんとボールの芯に当たるかって言ったら、確率がすごく低かったんで、そう言ってくれたんだと思います。それは今でも大事にしています。」
今では、乗田に「勝負強くて、欲しいところで打点をあげてくれる。守備も含めて、チームで1番信頼している。」とまで言わせる選手なのだが、本人はまだまだだと、首を横に振った。
「打つのは本当に難しい。試合になると、一杯いっぱいで何もできないんで、今、とにかく頑張って練習して、本番になったら身体が勝手に動いてくれる状態をつくりたいと思います。」
自分に厳しく、常に最善を尽くす姿勢。これが、樺澤が4番であり続ける理由なのだろう。
チームに何かを残せる選手に
インタビューを続けていると、樺澤の穏やかな人柄が伝わってくる。樺澤が若手の時にコーチだった佐野(上郷工場・下山工場工務部)も、「優しくておっとりしている。感情が表に出ないタイプ。」と話す。しかし、高校時代には感情が爆発してしまったこともあったそうだ。
「高校時代はケガが多くて、1番練習していないレギュラーでした。やりたいのにやれないって思いと、練習できてないのに試合に出してもらって申し訳ないって思いが強くて。練習中に、ちょっとふざけていた選手がいたんです。それを見て、本当に腹が立ってしまって、お前らふざけんなよ!って、ちょっとキレてしまったことがありました。」
その時の出来事で、樺澤の周囲に対するスタンスが変わったという。
「怒ったことでチームメイトとギクシャクしたりはなかったんですけど、自分の中でしこりが残ってしまった。しかも、思いが伝わらなかったんですよ。当時の僕は何て言ったらいいか分からなくて、上手く言えなかったと思うんですけど。伝わらないなら言わなくていいかって、それからあんまり、人に言ったり、周りを気にしたりすることがなくなりましたね。悪く言うと、自分のことしかやってないみたいな。」
社会人になってからも、自ら発言をしたり、声を出すことが少なかった。しかし、自分より若い選手が増え、チームを引っ張っていかなければという自覚が芽生えたことが、樺澤を変えた。
「あの時、キャプテンだった僕がしっかりしていれば、もっといいチームになれたと思うんですよ。諦めずに自分の思いを伝え続ければ。だから、今年の目標は、ピッチャーが頑張れる声掛けをしつつ、ノーエラーでやりきりたい。そこが自分の1番の課題だと思ってます。」
自分をサポートし続けてくれた周囲に対する感謝も口にした。
「高校生でケガをした時には、両親に生活面でも精神面でも支えてもらいました。毎日の学校までの送り迎えや、病院に行くために仕事を抜けてもらったりとか。入社当時の試合に出られなかった時には、彼女(今の奥様)に八つ当たりしまくって、迷惑をかけて。でも、受けとめてサポートをしてくれました。ここまで野球を続けてこれたのは、周りのサポートがあったからだと思います。自分も、チームを支え、チームに何かを残せる選手になりたい。」
そんな樺澤に対する、監督の桑原の信頼は絶大だ。
「彼は年を重ねるごとにいい味を出すようになってきました。監督をやってる間、ずっと4番を打ってもらってますが、すごいプレッシャーの中で自分を持ってやってくれています。僕は彼に頼りっぱなしです。」
プロフィール
生年月日: 1989年9月12日
血液型: O型
出身: 群馬県前橋市
出身校: 群馬県立前橋商業高校 → 東京農業大学
ニックネーム: カバ、カバさん(ファンの方からはカバちゃん)
家族構成: 妻、息子(1歳)
競技のこと
ポジション: 内野手(現在はサード中心)
競技成績 学生時代: ’07年 夏の甲子園ベスト16
社会人: ’14、‘17年 日本選手権優勝(’17年に優秀選手賞を受賞)
‘16年 都市対抗野球優勝
憧れの選手: 元ソフトバンク 小久保 裕紀選手。小久保選手がつけていた9番を背番号に選んだ
試合前に必ずやること: 朝、お風呂に入って体を温める
自分のこと
性格を一言で表すと: マイペース
趣味: 子供と遊ぶ。チームメンバーの佐竹選手とパズドラをやること(笑)
特技: 野球の守備
チャームポイント: 天然パーマ(帽子やヘルメットから、チョロンと出るえり足に注目してください!)
子供の頃の夢: プロ野球選手
今の将来の夢: 都市対抗、日本選手権W優勝
生まれ変わったら何になりたい: プロ野球選手
好きな食べ物: ネギいちラーメンのA定食
嫌いな食べ物: きのこ
好きな音楽: 音楽は聴かない
好きな漫画: ワンピース(高校のとき、部活を引退してからはまりました)
異性のタイプ: 妻
オフの過ごし方: 子供と遊ぶ。独身時代はモーニングに行ったり、ゴルフをしたりしていた
一日で好きな時間: 子供と遊ぶ(本音は寝かしつけた後、まったりする時間)