"歩く"に向き合った医師とエンジニア 「すべての人に移動の自由を」

2021.11.10

技術ありきの失敗作で始まったトヨタのリハビリ支援ロボット開発。10年以上にわたるその歩みをたどる。

「すべての人に移動の自由を」。それは、「移動」がチャレンジするための障害ではなく、夢を叶えるための可能性になってほしいというトヨタの願いだ。

今から4年前の201710月、自動車会社からモビリティ・カンパニーへの変革を掲げて以降、この言葉はトヨタの新たなチャレンジの羅針盤として、あらゆる場面で使われるようになった。

しかし、その10年も前からこの言葉を掲げてきた人たちがいる――。今回トヨタイムズで取り上げるのは、最も根源的な「移動の自由」に向き合ってきた医師とエンジニアのストーリーである。

歩けなくなった人のリハビリ支援ロボット

今年8月、トヨタが開発するリハビリ支援ロボット「ウェルウォーク」がシリーズ生産累計100台を達成した。

ウェルウォークは脳卒中などが原因で、下肢麻痺になった患者のリハビリテーションを支援するロボット。自由に動かなくなった脚の動きをアシストしつつ、自分で歩けるようになるためのさまざまな情報を正面のモニターに映すことができる。

従来のリハビリでは、理学療法士が患者の体を担ぎ上げるようにして支え、転ばせないよう注意を払いながら歩行練習をするのが一般的で、歩行状態を客観的に観察することが難しかった。

しかし、ウェルウォークを使えば、患者の状態に適したロボットのアシストにより、リハビリ初期から目標に近い歩行の形をつくることができる。つまり、自分の脚で歩いている実感を持ちながら、自然な歩行練習を行うことが可能になる。

さらに、さまざまなデータを定量的に取得できる。システム上で調整できる項目は自動保存され、体格に合わせて調整する装具にもすべて目盛りが振ってあるので、療法士が代わっても同じ状況を再現できる。

脳卒中は、がん、心疾患と並んで日本人の三大疾病の一つに数えられており、発症者は年間約30万人、患者総数は118万人にも上る。介護が必要になる主な要因となっている病気であり、患者の多くがリハビリに取り組んでいるという。

「もう自分の脚で歩くことができないかもしれない――」。そんな絶望の淵に立たされている人とのトヨタなりの向き合い方がウェルウォークである。

“Iの視点”で始まった開発

「『なんでトヨタがやっているんですか?』と何十回も聞かれています。でも、『歩くという人間にとって根源的な移動の機会を提供することは、我々が取り組むべき使命なんです』と答えると皆さん納得してくれます」

そう語るのはウェルウォークの生みの親、新事業企画部 ヘルスケア事業室の鴻巣仁司主査だ。

新事業企画部 ヘルスケア事業室 鴻巣主査

病気やけがで移動に困っている人がたくさんいる。そんな人たちに「移動の自由」を届けたい――。日本が直面する少子高齢化にトヨタはどんな貢献ができるだろうか――。

そんな想いで、2007年、医療・介護支援用パートナーロボットの開発がスタートした。

トヨタのロボット開発の歴史は古い。1980年代の車両工場における産業用ロボットの開発に始まり、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)では、人と共生するロボットのコンセプトを提案。

これまで培ってきた技術を生かし、試行錯誤しながら、2007年末に最初の試作機が完成。鴻巣主査や今井田昌幸室長(新事業企画部 ヘルスケア事業室)ら開発陣は、リハビリ医学の権威である才藤栄一教授(現最高顧問)を訪ねて藤田保健衛生大学(愛知県豊明市。現在の藤田医科大学)の門をたたいた。

藤田医科大学病院(愛知県豊明市)

決して技術を過信していたわけではない。すべてが最初からうまくいくと思っていたわけでもない。それでも、才藤教授の言葉は厳しかった。「これでは全然ダメ。リハビリや患者をまったくわかっていない」。

試作機は配線だらけで大掛かり。障がいのない脚にも装着するタイプで、重さは17kgもあった。それに、開発では健常者がロボットを装着し、模擬的に検証を行っていた。リハビリのプロでもあり、さらに、自身も右脚に障がいを抱える才藤教授からすればナンセンス。

装着型歩行支援ロボット(後のウェルウォーク)の試作機

「今思えば、技術ありきの独りよがりな“Iの視点”でつくったロボットでした」と振り返る鴻巣主査。

才藤教授は「リハビリの現場を知らないとダメだ。本当の患者や障がい者がどういうものか知らずに開発はできない」と自ら被験者を買って出た。そこから二人三脚の医工連携が始まった。

2、3日に一度、教授自ら汗だくになりながら歩行のトライアルを重ね、データを取っては課題を洗い出す。トライアルがない日も毎日病院に通い、リハビリの現場に立ち会っては、医師や療法士、患者の話に耳を傾けた。

トヨタの開発陣とともにトライアルを行う才藤教授(中央)

日々患者と向き合う臨床の場では何が必要とされているのか、現場は何に困っているのか、それを解決する最適な技術は何なのか――。エンジニアの思い込みや妄想を排除し、現地現物に基づく“Youの視点”に立った開発が動き出した。

今井田室長は当時を振り返って語る。「とても親身になって協力してくれるパートナーに巡り合えたことは本当に幸せでした」。

鴻巣主査とともにウェルウォークの開発に取り組んできた新事業企画部 ヘルスケア事業室 今井田室長

潮目を変えた運動学習理論

日々、病院に足を運ぶ中、医療現場で使われる用語やリハビリの理解は深まってきたが、医師の指摘の真意が分かるようになるには時間がかかった。

才藤教授に指摘された箇所を改良して見せても「確かにそうは言ったけど意図が違う」と認識のズレがなかなか埋まらない。

なぜかみ合わないのか悶々としていた開発陣に才藤教授は伝えた。「運動学習理論が分かっていない」。すぐにその場で講義が始まった。

運動学習理論とは、病気によって失われた運動機能を再び学習しなおしていく理論のことだ。2019年に才藤教授からバトンを受けて、現在の開発をともに進める大高洋平教授は解説する。

「一般的に工学の人がロボットをつくるとロボットが主役になります。医療でも、『手術をする』『薬を出す』など、介入する側が主役になりがちです。しかし、リハビリの場合、本人が能動的に動かない限り、何も起こりません。脚が不自由になった人が新しく歩行を学んでいく学習の過程なので、本人の能動的な学習をいかにうまく助けるかが大事なんです」

「既存のリハビリは療法士といろいろな道具を使ってやってきましたが、患者さんにとって助けすぎにならず、かといって難しすぎない、ちょうど学びやすい難易度の学習環境をシームレスに提供することが難しい状況にありました。でも、ウェルウォークは本人にしっかり寄り添うように学習を支援してくれるので、より早く患者さんが自立するようになります」

才藤教授からバトンを受け、ウェルウォークの開発に取り組む藤田医科大学の大高教授

「『歩ける』と『歩けるようになる』には大きな違いがある」というのは才藤教授の弁。ロボットが助ければ歩けるかもしれない。しかし、助けてばかりだと学習が遅れ、歩けるようにはならない。

指摘の根幹をなす考え方が理解できたことで、潮目が変わった。それからは、言われたことの行間を読んで、トヨタの開発陣からプラスアルファの提案を持っていけるようになった。

10年の開発の末に世の中へ

後にウェルウォークと名付けられるリハビリ支援ロボットは2011年に医療現場での実証実験を始め、2014年からは全国23の医療機関で臨床的研究を行うなど、現場の声を織り込んでつくり上げてきた。

そして、2016年、ウェルウォークWW-1000として医療機器承認を取得し、翌年にはレンタルを開始。開発が始まって、実に10年がたっていた。ようやく努力が実を結び、喜びもひとしおだろうと思いきや、開発陣は複雑な心境だったと今井田室長は言う。

「それまでに、いろいろな病院に広まっていったので、役に立てる確信は持ってはいました。でも、患者さん一人ひとり、歩き方も体格も全然違うんです。リハビリのアプローチも人に応じて変えないといけません。ここからがスタートだという気持ちで、安心はできませんでした」

ふたを開けてみれば、そんな心配をよそに、計画していた80台すべてに予約が入り、すぐに次の生産準備が始まった。

2019年には、機能と使いやすさを向上させたウェルウォークWW-2000を発表。レンタルから販売に業態も転換した。2機種合わせて、94台が全国で使用され、これまでに5000人を超える患者のリハビリに使用されている。

大高教授は、リハビリという医学にウェルウォークがある変化をもたらしていると期待を寄せる。

「リハビリは扱う課題が複雑で、熟練技術や経験則によるところが大きいです。だから、定性的にならざるをえず、客観・定量データに基づく標準化や構造化は困難な課題でした。高血圧なら、あるタブレットをどれだけ飲めば、血圧がどれだけ下がるか分かりますが、リハビリはそれが分かりません」

「しかし、ロボットを使うことで、治療効果が高まっただけでなく、やったことと結果が定量的に記録されます。今まで難しかった(標準化・構造化の)課題が解決されようとしていて、この医学自体の大きな進歩につながっているイメージです」

ともに汗して変わったトヨタの印象

「誰ひとり取り残さない社会」の実現を目指し、トヨタは現在も次のモデルの投入に向けた研究・開発を続けている。今年で、開発に加わって5年目となる大高教授は、この間にトヨタの印象が大きく変わったという。

「思っていた以上に汗をかいていますね。何度も失敗しながら、努力を重ねてモノができていくので、イメージと私自身の付き合い方も変わりました。『巨大な企業』から、どちらかというと『泥臭い・汗臭い集団』というイメージに変わりました」

「あと、誠実な企業だというのは一緒にやっているからわかります。ここまでやるかという安全性とか、物事を積み上げるときの慎重さ。『誠実なモノのつくり方』をしていて、パートナーとして信頼できると感じています」

藤田が大切にする「臨床第一」とトヨタの「現地現物」。2つの共通する価値観が時間をかけて混ざり合い、今では切っても切り離せない結びつきになっている。

しかし、挑戦はまだ道半ばだ。今後の課題を聞くと、「すべてのお困りの方に使っていただけるよう、導入の価格的な障壁をとっていくことを使命にしています」と鴻巣主査。

大高教授も「今までは、脳卒中で比較的症状の重い入院中の方を対象にしてきましたが、その後の生活とか、違う疾患、障がいの方に広げることができたらというビジョンを持っています」と既に次を見据えている。

取材の最後、大高教授に医師として叶えたいことを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「『すべての人に移動の自由を』がトヨタの使命だとしたら、『すべての人に活動の自由を』がリハビリを担当する者の使命。同じ山の頂に挑戦しているんです」

「移動」と「活動」の自由を通じて、幸せを量産する。志を同じくする医師とエンジニアの挑戦は続く。
左から大高教授、鴻巣主査、今井田室長(藤田医科大学病院にて)
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