富士24Hへの予備知識 第3回 もう一つの見どころ"給水素"

2021.05.20

水素エンジンの24時間レース挑戦に向けた連載。第3回では、レースのカギを握る"給水素"について紹介する。

水素エンジン車が走る24時間レースに向けた予備知識。第3回は水素充填作業について。

4月22に水素エンジン車でレースに出場することを発表した豊田章男社長の言葉を振り返ると、ピット作業、とりわけ、水素充填が一つのポイントであることがわかる。

豊田社長

燃費が問題だと聞いていますので、24時間レースの場合、クルマの耐久性よりも、メカニックの耐久性の方が課題になってくると思います。

(クルマが)頻繁にピットインしますので、24時間、どういう体制でメカ作業に対応していくのか。普通のタイヤ交換、水素充填に加えて、いろいろな部品の交換も入ると思います。

レースでは、ピットインする車両はピットロード上にクルマを停める。そこをメカニックが取り囲み、ドライバー交代、タイヤ交換、給油などを行い、またコースに戻っていく。

GRヤリスのピットロード上の作業の様子(撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY)

その作業を迅速に終わらせるため、各ピットには給油塔が設置されている。しかし、水素充填のための設備は、もちろん設置されてない。

給油ならぬ“給水素”をレース中にいかに行うか? 少しでも早く終わらせてクルマをコースに戻せるか? 今回、それもゼロから考えなければならなかった。

前々回の記事でお伝えしたとおり、クルマに積まれているタンクはMIRAIと同じ。MIRAIのユーザーは水素残量が減ってきたら、街にある水素ステーションに行って水素を充填する。

現在、全国には水素ステーション144箇所(2021年5月現在)ある。まだ設置されていない県もあり、普及途上という段階だ。

水素ステーションには大きく分けて「定置式」と「移動式」の2つのタイプがある。その場所に設置されたタンクに水素を貯めておくのが「定置式」。一方、「移動式」は大きな水素タンクを搭載したトレーラーが水素を運んでくると、その場が水素ステーションになるというものだ。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

簡単に言えば、今回、富士スピードウェイ(静岡県)に、その“移動式水素ステーション”に来てもらうということだ。

しかし、「そんなに簡単ではなかった」と、今回のプロジェクトで給水素を担当したGRプロジェクト推進部の蟹江庸司主査と市川正明グループ長は語っていた。

レース中の水素充填はどうするの?

水素は高圧でタンクに閉じ込めてある。パンパンに張った風船のようなもので、これは移動式ステーションのタンクも、水素エンジンのカローラに積まれているものも同じである。

その高圧水素を“ステーションのタンク”から“車載のタンク”に注入する作業を行うことになるのだが、安全に取り扱うために「高圧ガス保安法」をはじめとする諸々の法律・規則に従う必要がある。

例えば、24時間レース決勝中には水素ボンベを積んだトレーラー4台が待機することになる。合計の貯蔵量が一定量を超えるため、貯蔵所としてあらかじめ静岡県から認可を受ける必要がある。

市川グループ長

チームやサーキットと相談してROOKIE Racingのピットを第1コーナー寄りの端にしてもらいました。そこだとピットロードからクルマを外に出しやすいからです。

まず、ピットインしてもらったら、タイヤ交換やドライバー交代などの燃料充填以外の作業をピットロード上でしてもらいます。

それが終わったらエンジンをかけて自走で走り出します。普通なら、そのままコースに戻るのですが、今回は、一度、コースの外のパドックエリアに出てきてもらいます。

パドックエリアの端に広い場所を用意いただけたので、そこに2台の移動式水素ステーション(トレーラー)を用意してあります。ガソリンスタンドが2軒並んでいるイメージです。ガソリンじゃなく水素ですが…。

まず1軒目のステーションに寄っていただきます。そこで充填し終えたら、もう一回、エンジンを始動して、数メートル先の2軒目に。そこで満タンにしたら、またエンジンを始動して、コースに戻っていただきます。一見面倒くさいですが、その方が充填時間を短縮できるので、このように考えました。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

この説明でよく分からないのは「2回に分けて充填した方が時間を短くできる」という点である。

先述の通り、水素タンクはパンパンに膨らんだ風船のようなものである。走り始めのカローラは満タンのタンク、つまり、パンパンの風船を積んで走り出す。どのくらいパンパンかというと、大気圧の700倍もの圧力だという。そこから水素をエンジンに送り込めば、風船は徐々にしぼんでいく。タンクの圧力が落ちていくということだ。

タンクの水素がなくなってきたら(風船がしぼんできたら)ピットインして、また水素充填して(風船を膨らませて)もらって、コースに出ていくというイメージである。

(実際にはタンクの中の圧力が上がるだけで、タンクが膨らむわけではない)

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

ということで、今回のレースでの水素充填を風船の話に置き換えてみる。

走り続けてしぼんだ風船を積んだカローラが、パンパンに膨らんだ風船の水素ステーションにやってくる。その2つをホースでつなぐ。そうすると風船と同じで、パンパンのステーションからカローラのタンクに水素が入っていく。

最初は勢いよく水素が吹き込まれていくが、圧力が同じくらいになってくると(ステーションも同じくらいの膨らみ具合になってくると)、水素の吹き込みスピードは落ちてくる。そこで、もう一つパンパンの風船を用意しておく。そうすると、そちらにつなぎ直せば、また勢いよく吹き込まれていく。このもう一つの風船が、2軒目のスタンドである。2軒のスタンドを用意したのは、こういう理由であった。

テストでは1軒のスタンドで5分くらいの作業時間がかかっていた。まず、3分程度かけて水素を吹き込む。しかし、それですぐにホースを抜いて2軒目に向かえるわけではなかった。水素が吹き込まれたら、担当者が「減圧開始します!」と声をあげ、次の作業にかかっていた。

そのままホースを外そうとすると、シャンパンの栓のように中の圧力で“パンッ”と飛んでいってしまい危ないらしい。

(実際は外そうにも外せない機構になっているとのこと)

ステーション側で圧力を抜いてから安全にホースを外す。この減圧にも1分程度の時間を要する。

2軒のスタンドに寄る方が充填時間を短縮できることは理解できた。しかし、やはりまだまだ時間がかかる。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

今回、純粋な水素エンジン車でレースに出るということは世界初である。それも4カ月前に「出る!」と決めて、突貫でさまざまなことを準備してきた。まずは、ようやくレースで水素エンジンを走らせる基本的なことが整備された段階である。

今は、街の水素ステーションがサーキットに仮設されたということではあるが、こうした水素充填の面でも、レースに参画することを通じて、今後の革新につながる発見があるかもしれない。

グリーン水素で走るということ

水素を燃焼させてもCO2は出ない。しかし、水素をつくる段階ではCO2が出ることもある。それによって、グリーン水素、ブルー水素、グレー水素と呼び分けられている。

グレー水素は化石燃料由来の副生製品であり、製造過程でCO2が出ているもの。ブルー水素はグレー水素の製造過程で出るCO2を回収したりしてCO2が出ないようにしたもの。グリーン水素は水を再生可能エネルギー(太陽光や風力発電)で電気分解し発生させたもの。グリーン水素は製造過程でもCO2を排出していないということだ。

今回、24時間を走るのに使うのは福島県浪江町でつくられた“グリーン水素”である。2軒の移動式水素ステーションのタンク内の水素はそこから運ばれてきたものだ。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

これについても、担当の市川グループ長に聞いてみた。

市川グループ長

今回使うのは浪江町から運ぶグリーン水素です。なので、製造段階でも、走行でも、CO2は排出しません。本当にカーボンニュートラルへの挑戦です。

ですが、実は、浪江町から運ぶ段階でCO2が排出されています。この量も試算してトータルでカーボンニュートラルに考えました。

豊田社長も言われていますが、水素社会は「つくる人、運ぶ人、使う人」全てで取り組んでいかないと実現できません。今回の挑戦で、その難しさを実感しました。

耐久レースはどれだけ長く走れるかが勝負

1回の水素充填で何周走れるかも、今回のレースの見どころである。これについてもチームは手探りだった。

ドライバーが見るメーターには、タンク内の水素の圧力を示す数値が表示されている。この数値が減ってきたら“ガス欠”ならぬ“水素欠”が近づいていることになる。

H2 Press欄にタンク内の圧力が数値で表示される

今回のテスト走行では、“水素欠シミュレーション”も実験的に行われていた。ドライバーの松井孝允選手が走行担当のとき「どこまで行けるか? 行けるだけ走ってみよう」と送り出されていた。

結果的に、コース上でエンジンが止まるまでは走らせずにピットに帰ってくるよう指示が出されていたが、そのときの実験では、もともとエンジニアが算出していたより長い距離が走れそうな感触をレースメカニックたちは感じていた。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

レースメカニックたちは生粋のレース屋である。なるべく水素充填の回数を減らし、クルマを長く走らせたい。一方、水素タンクのエンジニアは圧力などのデータを見ながら「本当にそこまで走らせて大丈夫か?」という不安を隠しきれない。

クルマに積まれたセンサーから送られてくるデータを見ながら、ピットではレース屋とエンジニアが

15周はいけるだろ!?」

「いや…15周はキツいかもしれない…。最初は13周でいきましょう」

といった値切り交渉のようなやりとりも続いていた。

レース本番、何周でカローラはピットに戻ってくるのか? これも大きな見どころである。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

耐久レースを戦う水素充填担当たち

先述のとおり、水素充填には時間がかかってしまう。しかし、充填担当者たちも、それで良しとは思っていない。「少しでも時間を短くして、カローラが長い距離を走れるようにしたい」と言っていた。蟹江主査は語る。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

蟹江主査

まず、安全第一なのは言うまでもありませんが、レースなので、少しでも早くクルマをコースに戻せるようにしたいと思っています。1mでも長い距離を走ることができれば、それだけ多くのデータが取れます。その方が、水素社会やカーボンニュートラルの実現に近づくと思うからです。

そのために、我々は一つひとつの工程のリードタイムを短くしたいと考えました。トヨタ生産方式(TPS)の考え方も入れて、少しでも効率的に作業ができるように考えてきました。

レース中にも、やりながら改善を繰り返していきたいです。数え切れないほど充填作業はありそうなので、24時間最後の充填が一番短い時間でできるようにやっていきたいと思っています。

今回は、水素に関わるいろいろな企業の方と一緒にやらせてもらっています。岩谷産業さんや大陽日酸さん、鈴木商館さんです。我々も含め、その皆さんもドライバーたちと同じで、1mでも多くの距離を走らせるために24時間戦っていきますので、ぜひ応援いただければと思います。

今回、水素充填エリアもピットロードの一部として扱われる。充填メンバーたちもピットのメカニックのように耐火服と言われる作業ツナギを着て24時間戦うレーシングチームのメンバーということだ。トヨタイムズでは充填メンバーの24時間レースにも注目していきたい。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

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