くしくも、東日本大震災からちょうど10年。自工会の会長として臨んだ会見で、社長 豊田章男が届けたメッセージを全文掲載で紹介する。
東日本大震災から、ちょうど10年となる3月11日。社長 豊田章男は、日本自動車工業会(自工会)の会長として、記者会見の場に立っていた。
そこで発したメッセージは、国家を挙げて取り組むカーボンニュートラルにおいて、「自動車をど真ん中においてほしい」というものだった。
ただ、これは、単なる「業界団体としての主張」ではない。
これまでの“10年”を支えてきた基幹産業としての責任と、「JAPAN LOVE」の精神で、発したメッセージだった。
復興の原動力になる
自工会・豊田会長メッセージ
はじめに、今回の福島県沖地震で被災されたすべての方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。
本日は、東日本大震災から10年という節目の日です。10年前の今日、日本列島の半分が大きな被害を受け、私たちは悲しみのどん底につき落されました。
当時、日本の自動車産業は、「6重苦」と呼ばれる非常に厳しい経営環境と闘っておりました。
1ドル80円台が定着した「超円高」に、震災による「電力不足」も重なり、国内でのモノづくりは、「理屈の上では成り立たない」状況にまで追い込まれました。
他の産業が海外にシフトする中で、自動車産業は、まさに「石にかじりついて」日本の雇用を守り、モノづくりの基盤を守り抜いてまいりました。
そこにあったのは、基幹産業としての「責任」と「JAPAN LOVE」だったと思います。
当時、「自動車産業は成熟産業であり、これからは自動車に代わる新しい産業が必要だ」ということが盛んに言われておりました。
そんな中、東北の人たちだけは違いました。自動車産業に期待し、私たちを復興のど真ん中に置いてくださいました。
私たちも、「何としても復興の力になりたい」と思い、2013年には、自工会として、各社の技術者が手を取り合い陸前高田市の「奇跡の一本松」を板金で再現いたしました。
「モノづくり」の力で「未来への希望」を表現し、東北の皆様にお届けしたいとの思いからです。自動車産業という「実業」を通じて東北の皆様と一緒に未来をつくる。私たちは、この想いで、10年間、取り組んでまいりました。
日産は福島で、エンジンの生産を続けてきました。
トヨタは東北を、中部、九州に次ぐ「第3の拠点」と位置づけ、人財育成の学校も含めた自動車生産の基盤づくりを続けてまいりました。
そして、何よりも大きかったのは、多くの地元企業の方々が自動車部品の製造にチャレンジしてくださったことです。
その結果、東北における自動車産業の雇用は約8,000人増加し、自動車・部品の出荷額は8,000億円増加いたしました。
東北生産の多くは電動車で、その比率は実に8割を超えております。未来に向けた環境対応を進めながら、自動車産業は、東北の地にしっかりと根をおろしたと思います。
未来を創る:カーボンニュートラルの実現
自工会・豊田会長メッセージ
これまで私は、毎年3月に東北への訪問を続けてまいりました。今年も、先週、宮城県と福島県を訪問させていただきました。
福島県の浪江町にある水素製造拠点では、菅総理のリーダーシップのもと、グリーン水素を開発する実証実験が着実に進んでおります。
水素社会の実現には、「作る」「運ぶ」「使う」という全てのプロセスをつなげることが大切です。
「運ぶ」「使う」側である自動車産業がこれまでの知見を生かし、国家と福島県の取り組みに、より深いレベルで参画させていただきたいと思っております。
福島県の内堀知事と浪江町の吉田町長は「浪江町は、原発事故により、一度、人口がゼロになった。風評被害も続いている。当たり前の日常を取り戻すだけでなく、この町に未来をつくりたい」と言われていました。
私は、東北の皆さんと一緒に、カーボンニュートラル社会という未来を実現することが自動車産業の役割だと思っております。
だからこそ、カーボンニュートラルにおいても、「自動車をど真ん中に置いていただきたい」と思っております。
カーボンニュートラルを実現するためには、エネルギー政策と産業政策をセットで考えることが必要だと思います。
乗り越えるべき壁はたくさんあります。多くの産業が変化を迫られます。私たちの日常生活も例外ではないと思います。
でも、日本には、「電動車フルラインナップ」と「省エネ」という強みを持った自動車産業があります。
コロナ危機の中でも日本の移動を支えてきた、550万人の仲間がいます。
電動車を積極的に受け入れ、育ててくださるお客様もいらっしゃいます。
そして、未来のこと、次世代のことを考えて行動する企業や国民の皆様がいると思います。
私は、みんなで力をあわせて、「日本の未来」を一緒につくっていきたいと思っております。
これからも550万人の仲間とともに、日本の未来のために、努力を続けてまいりますので、ご支援をよろしくお願いいたします。
その後の質疑応答では、記者から、カーボンニュートラルについて、「自動車をど真ん中において欲しい」と発言した真意について質問があった。
そこで豊田は次のように答えている。
自工会・豊田会長
今日はくしくも3月11日です。10年前の今日、私自身は、国土の半分が災害に見舞われたこの日本で、何もできない無力さを感じました。
その中で、「自動車産業が復興の原動力になろう」「何とか日本のモノづくりを守ろう」と言ったのも、ちょうど10年前の今日でした。
10年たった今日、当時とは違った形で、またしても「日本のモノづくりを守る闘い」が、さらに大きくなって自動車業界に押し寄せてきているという現状を、ぜひとも皆様にご認識いただきたいと思います。
国家を挙げた一大プロジェクトであるカーボンニュートラル。「自動車産業をど真ん中に据えてほしい」という発言は、震災後10年を実業で闘ってきた産業だからこその心の叫びにも聞こえた。