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2023.06.23
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孤軍奮闘で改めた制度、取り戻した風土

2023.06.23

株主総会において、毎年議案にあがる取締役の選任。その数は14年間で3分の1の10名になった。そこには、豊田章男会長の孤軍奮闘の闘いがあった。

株主から11の質問が寄せられたトヨタの株主総会。今回は人事、役員制度に関する株主とのやりとり2つをピックアップする。

それは、豊田章男会長が長い闘いの末に変えてきたものでもあった。

女性登用は進んでいるのか?

今回、壇上に上がったのは、役員、監査役、本部長など43名。うち、女性は4名。

株主からは、「女性が少ないのではないか?」と指摘があり、「女性登用の取り組み状況を伺いたい」と声があがった。

議長の豊田会長の指名を受け、総務・人事本部の東崇徳本部長が多様性を発展させる取り組みについて説明した。

東本部長

経営においても多様性を引き上げていくのは、非常に大事なことだと思っております。

今回ご提案させていただいた取締役・監査役についても、外国人を4名、女性につきましては2名と、1名ずつ増やす提案をしております

社内でも今年2月、(世間で)“春闘”と言われる労使の話し合いで、通常4回目で賃金・賞与の回答させていただくところ、今回は1回目で回答させていただきました。

その後、2回目、3回目の話し合いで、職場の多様な一人ひとりが、いつでも、何度でも、失敗を恐れずチャレンジできる環境に向けての議論を進めてまいりました。

女性に関しては、この14年間で採用も大幅に増やしております。事務系と言われるオフィスで働くメンバーは45割、エンジニアは2割弱、(工場などの現場で働く)技能系も2割ほどと、大きく増やしてきております。

次に議長から指名を受けたのはChief Sustainability Officerを務める大塚友美シニアフェロー。

「今までの経験から、後を追う女性にエールを送るためにも発言してほしい」と促され、トヨタの制度と風土の変化に言及した。

大塚シニアフェロー

私は約30年前に事務系総合職の一期生として入社をいたしました。当時はどの会議に出ても女性は私一人というのが当たり前でした。

その後、2002年ぐらいから、ダイバーシティの観点で託児所をつくったり、当時はまだ少なかった在宅勤務の制度をつくって、女性に限らず、仕事と育児を両立する人を応援したり、メンターをつけて女性のキャリア形成を支援してきました。

こういったことで、活躍する女性のメンバーが増えてまいりました。

さらに、会長が「全員活躍だ」と言って、人事のやり方、考え方、制度そのものを大きく変えたことから、皆の意識もすごく変わってきたと考えています。

「そもそも一人ひとりが多様で違うのだから、その個性を生かして、自分らしい活躍、貢献をしていけばいいんだよ」という考えがだんだん浸透してきたわけです。

このような考え方は、私を含めた女性、キャリア入社者、また、若い世代の勇気と自信につながり、会社の変革へ声を上げやすくなってきたと感じております。

また、最近では、男性の育児休職も4割、平均2カ月弱まで増え、期間も伸びており、これも多様な活躍の仕方、働き方があるということが浸透してきた実績ではないかと考えております。

私たちのミッションは幸せの量産です単一的な幸せではなく、多様な幸せを多様な人に寄り添って実現していきたい。そのためには、私たち自身が多様性を体現して、全員が活躍できる職場をつくっていくことが大事だと考えております。

取締役を減らしてきた意図は?

株主総会において、毎年議案にあがるのが、取締役の選任について。今年も社外取締役4名を含む10名の取締役を選任した。同規模の会社と比較すると人数は少ない。

しかし、この組織構成は、豊田会長の社長在任中に変わってきたものだ。

株主からは、この意図や経営に与える影響について質問が寄せられ、再び、総務・人事本部の東本部長がマイクを取った。

東本部長

本日、登壇しているメンバーは40名ほどで、2010年に豊田社長が議長を務めた最初の総会も、同じぐらいの人数が登壇しておりました。ですが、構成が変わったと思います。

取締役の数は当時で30名弱。本日ご提案しているのは10名でございます。取締役と執行役員、監査役も含めると、80名を超えていました。現在は20名ほどになっております。

それだけではなく、14年前は役員OBと言われる顧問・相談役も60名ほどいましたが、現状、0名です。

合計すると、豊田社長が社長に就任した当時、年上の役員OBが約150名でした。

本日は40名ほどの登壇者のうち、私も含め、(役員ではない)現場のリーダーの本部長、プレジデントも10名ほど、参加させていただいております。

経営体制のスリム化を数値で説明した東本部長。

続いて回答したのは、2度にわたって豊田章男の上司を務め、30年近く同じ時間をともにしてきた小林耕士番頭だった。

役員体制改革の裏にあった豊田会長の決断と闘いに踏み込んで解説した。

小林番頭

会長が社長に就任する以前は、技術や生産といった各部門が強くて、そこのトップが副社長でした。機能を中心に仕事をやっていた時代です。

仕事がどんどん増えていたころで、年間50万台ぐらい(生産・販売)台数が増えました。したがって、どんどん役員のポストを増やしていました。

さらに、副社長以上(の役員)が引退すると、顧問・相談役という制度があり、永久に肩書を残していました

「機能」は、ある意味、派閥に近いんです。機能が強くなると、クルマづくりや会社の意思決定が部門最適、機能最適になるわけです。

現役の社員も役員も、先輩の顧問・相談役にも気を遣いますし、口を出す方もいらっしゃいました。非常に仕事が進めにくい状況でした。

それで、豊田は「これではもっといいクルマをつくれない」と。何としても自分の代でこの制度を変えたいという強い覚悟を持っていました。

まだ、当時、5758歳でした。他の皆さんの方が大先輩。(顧問・相談役という)制度をつくった大先輩の既得権益をなくすというのは、先輩に弓を引くことなんです。

進めるにあたって、猛反対に当然あうわけです。(豊田章一郎)名誉会長からも、他のOBの方々からも。現役の役員は怖くて手が出せません。

そういう中、たった一人で、おひとりおひとりに粘り強く向き合って、説明していきました。

とにかく次世代にバトンを渡すんだという覚悟で、満身創痍、孤軍奮闘でここまで闘い続けられたんじゃないかなと横で見ていて思いました。

「『過去』に時間を使うのは、私の代で最後にしたい」

「『肩書』ではなく、『役割』で動く会社に変えていかなければならない」

「自分と同じ苦労をさせたくない」と願い、闘い続けてきた豊田会長の「次世代への想い」を涙ながらに代弁した。

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