「これだけは決して自分の代で止めるわけにはいかない」。社長の豊田章男が毎年必ず足を運ぶお寺とは?
9月21~30日の10日間、秋の全国交通安全運動が実施された。例年、期間中は交通安全に対する国民の意識を高めるための注意喚起や情報提供が行われており、最終日の30日は「交通事故死ゼロを目指す日」とされている。そして今年、期間中の交通事故死者数は前年同期より2人少ない87人となり、統計が残る1954年以降、過去最少となった。
実はトヨタには、交通事故ゼロを目指して、毎年決まって祈りを捧げる日がある。さかのぼること3カ月前、長野県茅野市にある蓼科山聖光寺に社長の豊田章男の姿があった。
トヨタのトップが毎年訪れる寺
蓼科湖のほとりにある聖光寺は桜の名所として知られている。境内には300本ほどのソメイヨシノが植えられているが、標高1,200mの高原に位置することから、満開の時期は4月下旬から5月上旬。本州で最も遅く桜が満開になるスポットとして名高く、この時期には多くの観光客で賑わう。
聖光寺は交通安全を祈願するために建てられた寺である。しかし、その建立にトヨタが関わっていることや、毎年7月に催す夏季大祭にトヨタのトップ、全国の販売店やトヨタグループの代表が足を運んでいることは、まだあまり知られていない。
交通事故の社会問題化
聖光寺が建てられたのは1970年。「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国が参加した大阪での日本万国博覧会(大阪万博)が開催されたのもこの年であり、日本は高度経済成長の真っただ中。モータリゼーションも急速に進展し、自動車の保有台数は年間200万台規模で拡大していた。
しかし、その裏側で増加の一途をたどり、社会問題化していたのが交通事故だった。1959年に交通事故死者が1万人を突破すると、その後も増え続け、1970年には1万6,765人を記録。この危機的状況は「交通戦争」と呼ばれた。
自動車に生涯を託した人たちの胸中
人々の役に立つと信じて手がけてきた自動車が、人の命を奪い、悲しみの原因になっている――。自動車メーカーや販売店で働く人たちは、この現状に胸が潰れる思いだったに違いない。
当時のトヨタは、自動車の生産を担うトヨタ自動車工業(トヨタ自工)と販売を担当するトヨタ自動車販売(トヨタ自販)に分かれていた。トヨタ自販の社長だった神谷正太郎は、交通事故で亡くなった方の霊を慰めるとともに、負傷した方の再起と交通事故の撲滅を願って、寺の建立を発願。全国のトヨタ販売店に声をかけると、その想いに賛同した各社から多額の寄付が寄せられ、聖光寺の創建が進められることになった。
1970年7月9日の落慶式で参列者に配布された冊子には、発起人総代として、神谷と当時トヨタ販売店協会理事長だった山口昇(愛知トヨタ自動車)の「建立のことば」が記されている。
現在、自動車産業が日本の経済成長を支え、輸出によって外貨を獲得し、経済面はもとより、暮らしの面においても多大の貢献をしていることについて、私たち業界に携わる者として生きがいと大きな誇りを感じております。
しかし、社会に対してこのような利益をもたらしている自動車が、他面では間接的ではあるとは申せ、種々の弊害をもたらしつつあります。
中でも交通事故の悲劇は都市から地方にまで及び、連日悲しいニュースに接することは、自動車に生涯を託してきた私たちにとりまして、心中全く耐え難いものがあります。
トヨタは交通安全を「神頼み」している?
自動車に携わる人たちの切実な想いが形になった聖光寺ではあったが、建立当初を知る2代目住職の松久保秀胤(しゅういん)によると、「トヨタは交通事故を神頼みでなくそうとしている」と揶揄されることもあったという。
それでも、販売店やグループ会社を含めたトヨタの代表たちは、毎年欠かさず祈り続けてきた。松久保は2017年7月18日の夏季大祭で、これまでを振り返ってこのように語っている。
「自動車をつくる以上、交通事故で命を落とす人があってはならない」。トヨタはそう考えて聖光寺を建てたんです。
そして、トヨタ自工とトヨタ自販が合併して以降は、名誉会長(の豊田章一郎)が今日に至るまで交通安全の祈りを続けていただいております。
私がここに来たときは、境内に門もなく、野原にお堂だけが建っていました。「しっかりとした寺にしないと」と思ってまいりましたが、おかげさまで、あと3年で50年を迎えます。
今日、こうして皆さんと交通安全を一緒にご祈願できるということは、初めにトヨタ自販が、全国の販売店と一緒に力を合わせてこのお寺をつくられ、名誉会長がその意志をずっと続けていただいているおかげです。
名誉会長の豊田章一郎は、トヨタ自工とトヨタ自販が合併(工販合併)した1982年から30年以上にわたり蓼科を訪れ、祈りを捧げてきた。1981年から2012年は聖光寺の責任役員として、寺の活動を支援している。
50周年に際し豊田章男が伝えた想い
コロナ禍の今年7月18日。ひっそりと50周年の夏季大祭が行われた聖光寺には、今年も社長の豊田章男の姿があった。豊田もまた、社長就任以降、毎年欠かすことなく参拝している。この50年の節目に、聖光寺の責任役員に就任した豊田は、安全への想いを次のように語った。
先日、最新の自動運転技術を搭載したクルマに試乗する機会がございました。最初に乗った時に比べますと、技術の進歩には目を見張るものがありますが、実際の交通社会では、今の私たちには想定できないことが必ず起こります。安全を願って開発した新技術も、使い方によっては、悲しい事故につながることがあると思います。
試乗を終えて、私は、創業当時のトヨタに想いを馳せました。豊田喜一郎たちが、最初に販売したトラックは、残念ながらすぐに故障するクルマでした。あまりの故障の多さにお客様はお怒りになり、そのたびに、喜一郎をはじめとするエンジニアたちは飛んでいって対応を続けたといいます。
クルマによって、命を落とす方がいる。悲しい思いをされる方がいる。これは、創業当時も今も変わりません。私たちは、その事実から決して目をそらすことなく、クルマをつくり、新しい技術を世に送り出します。
私たちは、この50年間、毎年欠かすことなく、ここ聖光寺において、交通事故による悲しみがなくなるよう、願い続けてまいりました。創建当時には、「願うだけでは事故はなくならない」と言われたこともあったと聞いております。
それでも、私たちは願い続けてまいりました。精一杯の願いを込めた技術であり、クルマでなければ、世の中に出すことなどできない。私はそう思っております。
今、「CASE」と呼ばれる技術革新によって、クルマの概念そのものが大きく変わろうとしております。それでも、変わらないものがあります。それは、私たちが本当につくりたいものは、人々の幸せだということです。
これからも私たちは願い続けてまいります。この世界から悲しい事故がなくなりますように。そして、もっと人々を幸せにするクルマを追求してまいります。
受け継がれる安全への願い
後日、毎年聖光寺を参拝する想いを聞かれた豊田は、こんな回答もしている。
自動車業界が「100年に一度の大変革期」を迎える中、豊田が口癖のように繰り返す言葉がある。「決断とは『断つことを決める』と書く。やることを決めるのは誰にでもできる。止めることを決めるのがトップの仕事だ」。その豊田が「これだけは止めるわけにはいかない」と語る。先人たちが「世の中から交通事故をなくしたい」と本気で願い、半世紀にわたって祈り続けてきたことの重みを誰よりも理解しているからこそ、聖光寺に足を運び続ける。
元々、トヨタ自販と全国の販売店で始まった交通安全の祈願も、1982年の工販合併を機に、グループ各社、協豊会(部品仕入先)、栄豊会(設備・物流仕入先)をはじめとする関係会社へと広がっていった。
そして、CASEによって、クルマの概念が大きく変わろうとしている中、この取り組みも新たな広がりを見せている。トヨタにおいて先進技術開発の中心的な役割を担っているのが、人工知能や自動運転・ロボティクスなどの研究開発を行うギル・プラットCEO (Toyota Research Institute, Inc.:TRI)であり、ジェームス・カフナーCEO(Toyota Research Institute Advanced Development, Inc.:TRI-AD)だ。
実は、プラットがトップを務め、カフナーがチーフテクノロジーオフィサーを務めていたTRIの最初の取締役会は、2016年に聖光寺のある蓼科で行われ、2人は夏季大祭の安全祈願にも参加している。「交通事故死傷者ゼロ」はトヨタの自動運転開発のぶれない軸として受け継がれているのだ。
さらに、昨年、夏季大祭に合わせて立ち上がったのが「タテシナ会議」だ。安全技術は普及してこそ社会に貢献できる。そのためには、競争だけでなく、協調する分野が必要になる。そうした想いで、スズキ、SUBARU、マツダなどの自動車メーカーや、ブリヂストンや住友ゴムといった仕入先のトップが蓼科の地に集まった。今、安全なクルマ社会を実現するための議論は、自動車業界のうねりとなって広がっている。
3,215人。これは昨年の交通事故で亡くなった方の数である。この50年、交通安全は官民が一体となって取り組む国家事業となった。道路の整備や交通安全教育などが進むとともに、クルマの技術も飛躍的に進歩。奇しくも聖光寺ができた1970年をピークに死者は減少し、今では5分の1になった。しかし、残念ながら、今もまだ交通事故で命を落とされている方々がいる現状は変わっていない。
幸せを届けたいと思って世の中に送り出したクルマで、悲しい思いをする人がいなくなりますように。二度と悲しい思いをする人が出ませんように――。交通事故ゼロを願って、これからもトヨタは祈り続ける。