マルクスが記憶している限り、彼の人生で大きな部分を占めてきたのがバドミントンだった。幼少の時より、国の伝説的な代表選手であり、コーチでもあった父・クルニアフ・ギデオンを見ながら育ち、トレーニングを積み、国際大会で研鑽を重ねてきた。9歳の時にバドミントン選手として活動を始め、13歳になる頃にはプロとして競技していた。
※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2019年9月19日に掲載されたものです
マルクスが記憶している限り、彼の人生で大きな部分を占めてきたのがバドミントンだった。幼少の時より、国の伝説的な代表選手であり、コーチでもあった父・クルニアフ・ギデオンを見ながら育ち、トレーニングを積み、国際大会で研鑽を重ねてきた。9歳の時にバドミントン選手として活動を始め、13歳になる頃にはプロとして競技していた。
「バドミントンを選んだのは、父がバドミントン選手だったから」自身のキャリアに父親が多大なる影響を与えたこと、特にマルクスが7歳の時にコーチとして本格的に関わり出したことを受けて、こう言った。「父はコーチとしてとても優秀でサポートも手厚い。幼い頃からコートによく連れていっては、バドミントンを始めるきっかけを作ってくれた。」
父親の指導の下、マルクスはバドミントン競技の世界に入り、シングルスの選手として数々の大会で活躍できるようになった。そして、2011年、ダブルスに挑戦することになる。
それが更に好機をもたらすこととなった。同年、シンガポール国際シリーズにて初めてのダブルスでの優勝を決めた。そして、情熱を注ぎ厳しい練習にも取り組んだ結果、短期間で素晴らしいメダルの数々を記録していくこととなった。2015年のアジア競技大会でのダブルス金・銀、2017年全英オープン・スーパーシリーズでのダブルス優勝、そして、直近2018年バドミントンアジア選手権でのダブルス金と続き、現在、世界バドミントン連盟における男子ダブルスのランキングでマルクスは世界ランク1位となった。「羽根を追って、スマッシュを決める時のスリルがたまらない」と彼は言う。コートの上に立ってる時も、そうでない時も、常にベストな自分でいることを心掛けているそうだ。
彼の次なる挑戦は今年の世界選手権と翌年のオリンピックでの優勝だ、と興奮気味に彼は話す。現在のダブルス・パートナーであり、約4年間共に戦ってきたケビン・スカモルジョ選手と変わらず組むことに意欲的だ。「同じゴールを共有できているので、私達は強いペアなんだと思います。コートでは互いの役割を理解し、どちらかがミスしても、いつでも補完しあえる体制をつくっています。」
そうたやすく勝てるものではないと知りつつも、どんなに厳しい試合になろうと手ごわい相手が現れようと、彼の夢を妨げるものはない。「最強のバドミントン選手になるという僕の夢は、不可能だと言われたこともありますが、私はやり遂げれば、できないことはないと彼らに証明できると思う。」
コートの外でも不可能に挑戦
トレーニングや試合をしていない時のマルクスは、ホラー映画を見ることと、旅に出ることが大好きだそう。故郷であるインドネシア国内をまわるのが好きで、今はアンボン島という美しいマルク諸島(州)にある離島のオラ・ビーチが彼の行きたい旅行先リストに入っているそうだ。もし、プロのバドミントン選手じゃなかったらという質問には、なんと自動車業界で働いていたと答えた。「だって、車が本当に好きなんだ」と彼は微笑みながら言う。
車好きが高じて、バドミントン選手としての成功を利用して、個人的な関心事でもあるインドネシアでの交通安全に関する意識を高めたいと彼は言う。世界でも品質の高いバドミントンコート(地面)で競技している一方で、出身地であるジャカルタでの路面(地面)事情は全く異なる。たとえば危険な道路やドライバーの質など、今回のトヨタとのパートナーシップを通して彼自身が改善の一助を目指す。
Start Your Impossibleという企業イニシアティブの下、モビリティを通じた持続可能な社会の実現に向け選ばれた12人のアスリートの1人として、マルクスは行きたい場所に移動できる自由を感じるために、誰もが自由に移動できるようになればと願う。
そうたやすく実現できる事ではないと知りつつも、彼はベストを尽くさずにはいられない。トヨタとのパートナーシップについて彼は「素晴らしい理念だと思う。人々に、不可能を可能にする勇気を与えてくれると思う」と言葉を締めくくった。