連載
2022.10.03

#13「日本のクラウン」

2022.10.03

クラウンの誕生。それは日本の自動車産業の未来をかけた挑戦だった。16代目となる新型クラウンを豊田章男は「日本のクラウン」と称した。クラウンに込めた思いを探る。

2012年12月25日。14代目となるクラウンの発表会が行われた。その壇上で、豊田章男はクラウンにこんな枕詞をつけた。

「いつの時代も、クラウンは日本を背負ってきたように思います。そして、 世界に対し、『日本のクラウン、ここにあり』ということを示してきたと自負しております」

2012年当時は、1ドル70円台にもなる超円高や電力価格の高騰をはじめ、日本の製造業は“六重苦”とも“七重苦”とも言われていた。また、若者のクルマ離れが叫ばれて久しく、国内の自動車市場は縮小をたどる一方。日本にモノづくりを残すため、豊田は「石にかじりついても国内生産300万台を守る」と訴えていた。

「動かなくなった国内市場を、お客様を、動かすことができるのか? 新型クラウンの戦いは、ライバルに勝つための戦いではありません。日本市場の復活と日本のモノづくり死守をかけた戦いです」
今年7月、16代目となるクラウンが、ここ日本で世界初公開された。近年、基幹車種は米国や中国で披露しており、日本での公開は久しぶりのこと。豊田はもっといいクルマをつくろうと開発の陣頭指揮をとった歴代の主査たち、そして、このクルマへの想いを語った。再び、あの言葉を口にした。

「クラウンは、日本の豊かさ、ジャパンプライドの象徴でした。そして、世界に誇る日本の技術と人財を結集したクルマでした。新型クラウンにも、そんな日本の底力が詰まっております。だからこそ、このクルマで、私たちはもう一度、世界に挑戦いたします」
「クラウンが、世界中の人々に愛されることで、日本がもう一度、元気を取り戻すことにつながれば、こんなにうれしいことはありません。『日本のクラウン、ここにあり』。それを世界に示したいと思っております」
14代目のクラウンから数えて10年。当時、日本市場の復活を託されたクルマは16代目を迎え、世界に打って出るクルマとなった。時代に合わせて、変化を重ねてきたクラウン。それでも変わらないのは、いつの時代も日本を背負ってきたということだ。

「日本を元気にしたい」と行動を起こしてきた豊田。発表をへて「私自身、本当にクラウンが好きなんだなと自覚した」と語った。

RECOMMEND